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寿の予言は、また当たった。
瑠璃は月曜に出会った黒木洋平と恋に落ち、多少の紆余曲折はあったものの、婚約、結納、そして結婚へと、つつがなく幸せの階段を駆け上がった。
そして今日――
瑠璃は黒木家で家事に専念するため、本日付で三共保険株式会社を退社する。
営業部フロアは、午後の柔らかな陽射しに包まれていた。
寿がライラック、ミモザ、ユーカリの枝を深緑のリボンでまとめた花束を抱え、田中が「祝」の大きな紙袋と小さな箱を黒木に手渡す。
「おめでとうございます!」
「ダブルでめでたいとか、係長、やっちゃいましたね!」
「や、やめてくれ……」
「いいじゃないですかぁ、本当のことなんだから!」
課長や部長も、まるで自分の息子や娘の門出のように顔を綻ばせていた。細身だった瑠璃の下腹は、やや膨らんで見える。
黒木洋平は顔を真っ赤にし、眼鏡を外して額の汗を拭った。
妻はその表情を、穏やかな笑みで見上げている。
フロアの衝立の奥では、黒木の友人である堺をはじめとする係長一同が、「やはりお前は俺たちの希望だ」「俺も若い女性社員と結婚するぞ!」と呟きながら、うんうんと頷き、盛大な拍手を送っていた。
ヒューヒュー!さらにその後ろから、甲高い口笛のお囃子が響く。
振り返ると、黒木の父親である支店長が、にやにやしながら指を口に当てていた。
「や、やめろよ!」
「ヒューヒュー!」
「やめろって!」
瑠璃のデスクには、新しく採用された20代の男性社員がすでに座っていた。
奈良建は三共保険を退社後、社屋からほど近いあおぞら生命株式会社に再就職した。
週末になると、彼は北陸新幹線の乗車券を握り、富山駅で下車する。
「寿、ありがとう」
「本当にね! これでもうハムハムされないから、安心して婚活できるわ」
「あれ、田中くんは?」
「あんな優柔不断な奴はお断り!」
「え……」
「これからは飲み友達よね!」
「お、おう」
そんな微妙な表情を浮かべていた田中だったが、半年後には寿と同じデザインの指輪を左手の薬指にはめていた。
寿の考えていることは、相変わらずよく分からない。
――そして一年後。雲雀が天高く舞う、穏やかな夕暮れ。
青々とした芝生が続く犀川の河川敷に、まだ幼い男の子の右手は父親が、左手は母親がしっかりと握っていた。
自宅から歩いてわずか三分。
瑠璃は夕飯の支度を終えると、洋平の帰宅を待ち、毎日三人で散歩に出かけるのが日課になっていた。
微笑み合う瑠璃と洋平。
リードを引くビーグルの尻尾を、嬉しそうに追いかける息子の洋介。
「洋平さんの言った通りだね」
「なにが?」
「お散歩にはぴったりだって」
「でしょ?」
「楽しいね、洋介」
「ん!」
洋平は妻の肩を引き寄せ、軽くキスを落とした。
瑠璃は照れくさそうに笑いながら、夫の腕に自分の手を重ねた。
結婚式の日のことを、ふと思い出す。
白いチャペルに満ちた柔らかな光。
寿がブーケトスで大はしゃぎし、田中が慌ててキャッチしようとして転びかけたこと。
奈良が遠くから静かに拍手を送っていたこと。
そして、バージンロードを歩くとき、父親が涙を堪えきれずに鼻をすすっていたこと。
「私、幸せです」
「俺もだ」
洋平はそう言って、妻と息子の手を同時にぎゅっと握りしめた。
雲雀のさえずりが、家族三人の笑い声に重なる。
犀川の水面が、夕陽を受けてキラキラと輝いていた。
寿の予言は、最初から最後まで、ことごとく当たっていた。
そして今、瑠璃と洋平の物語は、新しいページを静かにめくり始めている。