この世には、死後の世界ってもんがある。
その世界は、『黄泉の国』と呼ばれ、生物の種を問わず死んだもの全てが平等に流れ着く。死後の世界には地獄も天国も存在せず、あるのは黄泉の国だけである。黄泉の国では、2つの選択が取れる。その選択というのが、転生するか、黄泉の国に滞在するかの2択である。だが、その選択を簡単には取れない者がいる。それが、生前に罪を犯したものと、『他者からの憎しみ憎悪を問わず、強い思いのこもった呪い』を受けたことのある者である。まず、生前に罪を犯したことのあるものについてだが、そういうものは生前で言う刑務所のようなところにぶち込まれる。そこでは、生前では味わえないような恐怖と痛みが待っている。刑務所には生前に犯した罪の数だけ滞在することとなる。そして、罪を償い終わりそこからが選択の時である。そして、『他者からの憎しみ憎悪を問わず、強い思いのこもった呪い』を受けたことのある者だが、そのようなものは特殊で、生前に罪を犯したおかしてない関係なく、転生という選択が取れない。もちろん例外はあるが大多数の、呪いを受けた者は転生ということが出来ない。その代わり、黄泉の国を回す、いわゆる仕事をさせられる。その代わりと言うには代わりになっていないが、本質はそこでは無い。呪いを受けたものは、呪いの内容により呪いの『力』が決まる。この力が転生することが出来ないことに繋がる。呪いの力が強ければ強いほど転生を促す聖の力を阻んでしまう。 これがあることにより転生ができないのだ。そこで、その呪いを『活用』しようと俗に言う神が決めたのだ。それこそが仕事である。仕事内容はたった一つ、具現化した呪いを倒すこと。なんで死んでまで働かなくてはいけないのか、それは近年の呪いの増加である。それは他者が他者にかける呪いの増加ではなく、人に悪口などを言うことですぐに批判が生まれる現代社会が生み出した、行き場のない呪いである。例えば、『あの人が嫌い、消えて欲しい』という思いがあったとしても口には出せないし、呪う手段もネットに転がっている紛い物ばかり、そんなことで人を呪うことが出来ない。呪いの手段として用いられるのは呪言が大体で呪う事などができない。言っているところが目撃されたら怖い。人のいない所に行く勇気さえない。呪う手段も紛い物。ならば、この思いをどこへ吐き出せばいいのか、そんな思いが人の心の器から溢れ出し具現化したものが呪いの自称神、『お呪様』である。このお呪様は、自分のことを神と思い込んでいるためふざけた霊感のある高校生などの若者が不敬を働くと例外無く取り込まれてしまう。そしてそいつの心の奥底にある憎悪や憎しみにつけ込み自身の糧とする。そして強大なお呪様となり、世の中の人間の不満が高まり戦争や治安が悪くなっている。そのようなことが繰り返されることによって、近年の呪い増加に繋がっている。人は悪口でもなんでも口に出すことでストレスなど不満を発散してきた、そのようなことを人に言う、相談するなどのことができない人間が増えるおかげで世の中は大混乱、呪いを祓う『祓い屋』の人間もお呪様にやられ、年々減ってきている。それを支えるのが、生前に呪いを受けたことのある人間である。このような人間は、自身の呪いとお呪様をぶつけ祓うことが出来る。これは祓い屋も原理は同じで、祓い屋は代々受け継いできた呪いを使いお呪様と戦う。だから、祓い屋の家系の人間が死んだ場合、生前受け継いだ呪いを黄泉の国でも持ち越すことになり、必然的に黄泉の国での仕事に出ることになる。祓い屋の人間は、その呪いを受けた死者と共闘することになるので死んだあとの世界は把握しており、先代の祓い屋、他の祓い屋の死者と共闘するなんてことはざらにある。そして現世に降り立った死者は実体を持ち、己の身体能力を持ってして祓い屋と共闘する。そして、死者にはお呪様と対抗するための武器が支給される。その武器は使うものによって形を変え、時には斧、ときには鎌だったり形状を変化させる。
そんな『お呪様』が蔓延る現世を回すために、自分の日常を回すために、流されるがまま生きる。
それこそが僕の日常である。
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ユイまる〜