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珠世の願い
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椿彩さんの血の栄養価の高さに、私も愈史郎も驚いた。
貧しい人から輸血の称して血液を買っていた分は、それをやめてしまうと相手の生活がつらくなってしまうだろうからそのまま続け、緊急で血を必要とする患者に使うことにした。
私と愈史郎は、椿彩さんの血を少量ずつ飲みながら日々を過ごしている。
栄養価が高いので、それまで飲んでいた量よりも遥かに少ない血で事足りるようになった。
椿彩さんには1ヶ月ごとに採血に協力してもらっている。
採った血は保存して、自分たちが口にする分と輸血に使う分、鬼を人間に戻す薬の研究に役立てている。
椿彩さんには、夜、自宅へ来てもらうので鬼と遭遇する可能性も高い。その為、愈史郎の目眩ましの血鬼術をかけた紙を渡し、それを身に着けて来てもらう。
鬼である愈史郎を、鬼から救ってくれた椿彩さん。
直感的に、愈史郎は倒す対象ではないと判断したらしい。
“何となく”そう感じた彼女の、並外れた勘の鋭さに愈史郎も私も救われた結果となった。
『こんばんは。珠世さん、愈史郎さん、お邪魔します』
にっこりと笑う、まだあどけなさの残る少女。その声を聞いて、その笑顔を目にして、胸の中が温かくなる。
「こんばんは。椿彩さん、いらっしゃい。今日もありがとうございます」
『いえ、気にしないでください。珠世さんや愈史郎さんや茶々丸くんに会えるの、私の月に1度の楽しみなんです』
屈託なく笑う椿彩さん。
今夜は非番なのだろうか。鬼殺隊の制服ではなく普通の町娘のように着物と袴を身に着けている。
『これ、おみやげです。上手く焼けたので持ってきました』
「まあ、ありがとう。…もしかして、スフレパンケーキ?」
『はい!今日は紅茶の茶葉を入れてみたんです』
以前彼女が食べさせてくれた“スフレパンケーキ”という名の不思議な食べ物。
鬼である私にとって食事は不要なのだけれど、せっかく持ってきてくれたのに口にしないのは悪いのでいただくことにした。するとそれがとても美味しくて、その時ほど随分自らの身体を弄ってきた過去の自分に感謝の念を覚えたことはないくらいだった。
『珠世さん、紅茶お好きですよね?』
直接話したことはないけれど、私がいつも紅茶を飲んでいるのを覚えていてくれたのね。
「ええ、ありがとうございます。愈史郎、いただいたパンケーキをお皿に開けて、お茶を淹れてきてちょうだい」
「はい!珠世様!」
愈史郎がその場を後にする。
私は採血する為にいそいそと袖を捲る椿彩さんに話し掛ける。
「…椿彩さん。あなたにお願いがあります」
『?…はい、何ですか?』
「愈史郎のことです」
本人が席を外しているうちに頼みたいことがあった。
「もし、椿彩さんが元の世界に戻ることができたら、たまにでいいので愈史郎と会ってあげてほしいんです」
『え……』
白くて細い腕に針を刺す。赤い血が管を通ってシリンジの中に溜まっていく。
「あの子は私が鬼にしました。だから普通の人間より老いる速度も遅く、日光に当たらない限り死ぬこともありません。他の鬼と違って、鬼舞辻無惨が死んでも彼は消滅せず生き続けるのです」
採血が終わり、針を刺したところにテープを貼って、つばさ彩さんは袖を元に戻した。
大きな戦いが近付いてきている。
私は鬼殺隊頭首の計らいにより、胡蝶さんと共同で鬼を人間に戻す薬を開発している。
もうすぐ、あの憎い男を倒せるかもしれない。
かつての自分が自暴自棄になって大勢の人の命を奪った罪を償う為にも、私はあの男を討ち滅ぼすことにこの命を懸ける。
心残りはひとつだけ。愈史郎を独りにさせてしまうこと。
私はきっと、今度の戦いで死ぬだろう。
恐らく、無惨の細胞に取り込まれて。
「あなたはおよそ100年後の世界から来たと言っていましたね。人間にとってはかなり長い年月ですが、鬼にとってはほんの数日の感覚です。愈史郎はそのくらい平気で生きていられるでしょう」
『…そうなんですね……』
「そこで先程のお願いです。あなたが元の世界に戻れたら、愈史郎と会ってあげてほしいの。……彼をこの先独りぼっちにさせてしまうのが気掛かりで…」
『…それは全然いいですよ。でも……』
椿彩さんが寂しそうな顔をする。
勘のいい彼女のことだ。その未来に私がいないという結末に気付いたのだろう。
『…私は、元の世界に戻れたら、珠世さんにも会いたいです……』
「椿彩さん…」
『この世界でも私、たくさん思い出ができました。みんなのことが大好きです。鬼殺隊の仲間たちも、珠世さんや愈史郎さんのことも。…だけど、100年後の世界には、みんないないって分かってるからそれがすごく寂しくて。だから初めて会ったあの日、ひょっとしたら元の世界に戻った時にもお2人に会えるかもしれないと思って嬉しかったんです……』
そうだったのね……。
『……珠世さんは、近付いてきてる戦いで死ぬつもりでいるんですね……』
「ええ、ほぼ確実に命を落とすでしょう」
椿彩さんが目を潤ませて俯く。
いつも明るい笑顔の彼女にこんな顔をさせてしまって胸が痛む。
『…そんな覚悟を持っている人に、“死なないで”なんて呑気なことは言えないけど……。私は100年後の世界でも、珠世さんとこうやってお喋りしたかった……』
とうとう彼女の大きな瞳から透明な涙が零れ落ちた。
「…っ……ごめんなさいね、椿彩さん。…あなたと出会えてよかった。たくさん協力してくれて本当にありがとう。必ず鬼舞辻を倒すから、どうか幸せに生きて。……愈史郎と仲良くしてやってください…」
私も言いながら声が震えて、熱い雫が頬を転がり落ちていく。
『はい……。もしも私が元の世界に戻れて、もしも、珠世さんも愈史郎さんも生きていてくれたら、その時はまたいっぱいお話しましょうね。お昼間がしんどいなら、日が落ちてからお出掛けしましょう。夜カフェに行きましょう。紅茶を飲みながら他愛のないお喋りして……。きっと楽しいですよね…!』
「椿彩さん……」
私がいない未来を分かっていて、それでも一縷の望みかけて100年後の話をしてくれる椿彩さん。
無理矢理笑顔を作る彼女を、私は堪らず抱き締めた。
温かい。華奢で小さな、少女の身体。
椿彩さんも私の身体にぎゅっと腕をまわしてくれた。
「!?珠世様!どうなさったのですか!?…貴様、珠世様に何をした!!!」
涙を流す私を見て、お盆を手に戻ってきた愈史郎が驚きの声を上げる。
そして、抱き締め合っていた腕を解き、身体を離した椿彩さんも涙を流しているのを見てまた更に驚いた顔になる。
「…愈史郎。先に椿彩さんを泣かせてしまったのは私ですよ」
「ですが…!おい夏目!珠世様に何を言ったんだ!!」
ハンカチで涙を拭う椿彩さん。そして、
『ガールズトークなので愈史郎さんには内緒です』
と悪戯っ子のような顔で笑った。
「……さあ、せっかく淹れてくれたお茶が冷める前に、椿彩さんからいただいたパンケーキを食べましょう」
「…はい、珠世様」
『お口に合うと嬉しいです』
いつもの笑顔に戻った椿彩さんも、私たちと一緒にパンケーキとお茶を口にした。
口いっぱいに広がるアールグレイのいい香り。
すっと溶けていく、椿彩さんのスフレパンケーキ。
「とっても美味しいわ。椿彩さんありがとう 」
『よかった〜!』
花が咲いたように笑う椿彩さん。
そんな彼女が生きる世界に、絶対に鬼の存在を残してはいけない。
彼女や、その大事な人たちをも守るために、私は必ず、鬼舞辻を弱らせて倒すと誓う。
1人では無理だけれど、今は鬼殺隊という心強い味方がいるから。きっと大丈夫。
椿彩さん。どうか、どうか幸せに。
つづく