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22
#医者
GUMI。
649
先生との同棲生活も二カ月が経ち軌道に乗り始めたのだけれど……、当初程私のことをかまわなくなっていた。
いい方向に考えると、お互いを信頼し落ち着いた関係が構築できているということなのだが、この頃の先生の態度を見ていると“釣った魚に餌をやらない男”でしかない。
「ねえ、今日は早く帰ってくる?」
ある日の夜勤明け。病棟の廊下で先生を見かけた私は人がいないのを確認してから小声で話しかけた。
「……いや。雑用がたまってて遅くなると思う」
「なんの?」
「主に書類整理だな、医局で」
そう言われてしまえばこれ以上何も言えなくなる。
医師の仕事は看護師である私が知る以上に大変だろうし、これまで私と過ごしていた時間は無理して生み出していたんだろうなと推測できたから。
「悪いな。先に寝ててくれていいから」
先生はとても申し訳なさそうな顔をして、顔の前で手を合わせた。
「分かった。仕事頑張ってね」
私はそうとだけ言ってナースステーションへ戻った。日勤のスタッフへ申し送りをし、残りの仕事を片付けてスタッフルームに置いてある荷物をもってエレベーターに乗る。
更衣室で鏡を見た時、口角のさがったブスな自分に気が付いた。
久しぶりに夕ご飯を食べてイチャイチャしたいな、なんて思っていたから余計にガッカリしてしまったのだけれど、だからと言ってこんな顔で先生に『仕事頑張れ』だなんて嫌味にしか聞こえない。
――……最低。
自己嫌悪に襲われて、憂鬱な気持ちで家路についた。
シャワーを浴びて部屋着に着替えるとソファーに寝転んでテレビをつける。昼のワイドショーは芸能人のスキャンダルを面白おかしく取り上げている。
「くだらない」
ここにいる人たちは人に誇れるような恋愛しかしてこなかったんだろうか。少なくとも私には他人の恋路をとやかく言う資格なんてない。
ハッとして目を開くと、夕闇が部屋の中まで入り込んでいる。なにも掛けずに眠ってしまっていたからか、体はすっかり冷えていた。
「寒っ~」
二の腕をさすりながら部屋の明かりをつけ、お湯を沸かすとコーヒーを淹れた。
マグカップに注ぎ、ふうふうと冷ましながら飲む。
いつもと同じコーヒーのはずなのに、どこか味気なく感じる。いそいで二杯目を入れ直し、保温の効くタンブラーにいれた。
冷蔵庫を開け、有り合わせの材料でお弁当を作ると病院粋のバスへ飛び乗った。
会えない会えないって嘆く暇があったら自分から行動すればいい。
病院に着くと通用口から院内へ入り、医局の前まで来た。
先生を呼び出してもらうつもりだったのに、いつも入り口にいるクラークさんはもう帰ってしまったらしい。
「……どうしよう」
電話で呼び出そうにも、スマホを部屋に忘れてきてしまっていた。病棟へ行って内線電話をかけるのが手っ取り早そうだけれど、夜勤のスタッフが変に思うだろう。上手い言い訳が見つからない。
「仕方ないか」
私服で医局内へ入るのは気が引けたが、これ以上ここに突っ立っているのも嫌だった。
意を決して電子キーを解除してドアノブに手をかけた。
すると先にドアが開き中から見知った顔が出てくる。
「東先生!」
ラッキーと思った。東先生なら余計な詮索もしないし、噂を立てたりもしないだろう。
「驚いた。竹光さんか」
突然声をかけたからか少し驚いたような顔をする。けれどすぐに真顔に戻ってしまった。イケメンでポーカーフェイスが張り付いているような先生も驚くことがあるようだ。
「突然すみません」
「いえ。どうしました?」
「あの、ですね。患者さんのことで確認したいことがありまして、安西先生を呼んでもらえませんか?」
医局で書類整理をしているはずだ。でも東先生はちいさく首を捻る。
「もう帰ったと思うけど……」
「帰った?……そんな。まだ二十時前ですよ」
夜遅くなると言っていたのに『もう帰った』だなんて。耳を疑った。どうせ夕ご飯も食べないで仕事をしているはずだーなんてお弁当まで作ってきてしまったのに。
「院内にいるのかな……でもカバンもないし」
「どこへいったんですか?」
「それはわからないよ。もし急用なら安西先生に連絡しようか?」
私に嘘までついてどこへ行ったんだろう。合コン?キャバクラ?それともほかに女ができたとか……。悪い予感しかしない。
「竹光さん? どうかした?」
「すみません、東先生。失礼します」
ペコっと頭を下げて、踵を返した。足早に医局のあるフロアーを抜けて、エレベーターに乗り込んだ。
「どういうことなの……」
これはほぼ黒ではないだろうか。
仕事が忙しいから一緒にいる時間が作れないんだと、そう言い聞かせて我慢してきた。今日だってお弁当を作って会いに来た。それなのに、この仕打ちはなに?
やっぱり先生は女好きの遊び人なのだ。本質は変わらないというし。こんなことになるのなら本気で好きにならなければよかった。
……でも。信じてみたいと思ってた。
私と出会った先生は変わってくれたんだなんて思い上がりにも程がある。
「短い付き合いだったな……」
言い訳は聞こうとは思っている。だけどもう、無理だ。こんな気持ちになるのなら別れてしまった方がいいに決まっている。
病院の外へ出ると雨が降っていた。アスファルトを叩く雨粒がバラバラと音を立てている。梅雨入り間近だと天気予報で言っていたのを思い出す。
あいにく傘は持っていない。バス停まで歩くと濡れてしまいそうだ。
踏んだり蹴ったりとはこのことか。
「最悪……」
深いため息を吐きながら私は歩き出した。すると突然腕を掴まれて軒下へと引き戻される。
「おい、絢香!」
「……え? 正臣?!」
振り向くとそこには不思議そうに私を見つめる先生の姿があった。
「何してんの、こんなところで」
「そっちこそ。どうして病院にいるの?」
いないはずの先生が目の前にいる事実を私はまだ呑み込めずにいた。
「どうしてって、仕事って言ったろ」
「そ、それは知ってる」
てっきり浮気していると思い込んで別れる算段までしてしまっていた。へなへなと腰の力が抜けていくのを感じる。
「……で、でも。遅くなるっていってたじゃない」
「そうなんだけど、絢香の様子がおかしかったから早く帰ろうと思って仕事切り上たんだよ。なのに、途中で副院長につかまっちまって」
――そうだったの!?。
「……それで、どうして絢香はここにいるんだ?」
先生は掴んでいた腕を放すと私の顔を覗き込んでくる。
「それはね……これを! お弁当を届けに来たの!!」
私は弁当に入った紙袋を目の前に掲げた。すると先生は人目も憚らずに私を抱き寄せる。
「ちょっと、正臣。ここ病院だよ」
しかも職員専用の通用口だ。誰かに見られてしまうかもしれない。
「そんなの構うかよ。むしろ見せつけてやりたくくらいうれしいんだぜ」
「喜び過ぎよ」
「別にいいだろ。最近一緒にいてやれなくて愛想尽かされたらどうしようって心配だったんだ」
「そんなこと……」
「あるだろ?」
私の気持ちを見透かされていたようで胸が痛む。
「でも絢香なら理解してくれるって信じてる」
先生は私を信頼していた。そう思うといたたまれない気持ちになった。
「ごめんなさい……私、正臣の事少し疑ってた」
少し、どころじゃなくかなりだけど。
すると先生は「そっか」と言って私を抱きしめていた腕をほどく。怒らせてしまった?不安に駆られながら先生の名前を呼んだ。
「正臣?」
ライトに背を向けてるから逆光で表情がよく分からない。
「……ごめん絢香。このままここにいてくれる?」
「え、なんで――」
私が言い終わらないうちに先生は雨の中へ駆けだした。置いてきぼりの私は言われたとおりに待つことしかできない。
おそらく五分にも満たない時間だったと思う。私にとってはその数分さえもとてつもなく長く感じて不安で寂しかった。
「……どこ行っちゃったの?」
遠くの方から車のライトが見えて、それが先生のものだと分かると心の底からホッとした。
「もう。車撮りに行くならそう言ってよ! 置いていかれたのかと思っちゃったじゃない」
乗り込んだ車内で私は憎まれ口をたたいた。すると先生は「置いていくわけないだろ」と言って私の頭をクシャっと撫でた。
その手の大きさと重みが心地よくて安心する。
もっとしていて欲しいと思ってしまう。
けれど先生の手はすぐに離れていき、ハンドルを握る。そしてマンションとは別の方向へとハンドルを切った。
「どこへいくの?」
「ん? うん、行けば分かるさ」
そう言って先生は行き先を教えようとしない。車はだんだん都心へと近づいていく。やがて高級ブランドの路面店がひしめく通りのパーキングに先生は車を止めた。
「着いたぞ、絢香」
「着いたって、ここで降りるの?」
「ああ、店そこだから」
先生が指差した方向には有名なジュエリショップがある。
「なにしにいくの?」
「何しにって、指輪買おうと思って」
「指輪!? なんで?」
思わず聞いてしまった。だって今日は記念日でも誕生日でもない。それにまだプロポーズしてもらうには付き合って日も浅い。
「なんていうか、俺は言葉足らずなところがあるし、今までのこれからも絢香のこと不安にさせたりすると思う。でも、今までにないくらい本気なんだ。だからそんな俺の気持ちを形にしたくて……だめか?」
普段は強引な先生に『だめか?』なんて聞かれたら心が揺らがないわけがない。
「だめじゃない。嬉しいよ、嬉しいけど……」
私は自分の胸元を見た。くたびれたスエットのパーカ。小さな毛玉が出来ている。下は黒のレギンスパンツと履き込んだスニーカー。
近所のスーパーや居酒屋になら躊躇なく行けるけれど、スーツを着たドアマンがいるような店に立ち入れるような恰好ではない。
「また今度にしない? 部屋着だし……」
「……分かった。だったら服を買えばいいだろ」
言いながら先生は車を降りた。助手席に回り、ドアを開けて傘を広げた。
「ほら、絢香。おいで」
半ば強引に私を車から降ろすと、近くにある店へと入ってく。
「どれがいい?」
「どれって……」
比較的カジュアルなブランドではあるけれど、価格は高めであることには変わりない。
私は目の前にあるシンプルなシャッワンピースに手を伸ばした。
ネイビーの張りのある生地は高級感があるし、梅雨時の肌寒い時期に重宝しそうだと思って。
「これにします」
「それだけ?」
「は、はい」
欲を言えば靴も合わせて購入していけれど、持ち合わせがない。
「そうか。すみませーん!」
先生は店員さんを呼び、私が選んだワンピースに合う小物を持ってきて欲しいと頼んだ。
「ちょっと、正臣。私そんなに買えないよ」
「いいから」
店員さんは白いレギンスを持ってきてくれた。
「どうぞ御試着されてみてください」
「は、はい」
私は促さるまま試着室へとはいる。着ていた部屋着のスエットを脱ぎ、ワンピースに袖を通した。
張りがあるのにやわらかくて、とても着心地がいい。ウエストのシェイプした感じもとても素敵だ。
店員さんが選んでくれたレギンスも伸縮性があって履きやすい。
「いかがですか?」
「あ、い、いい感じです」
試着室の扉を開けると、スクエアトウのミュールが置かれている。
「おお、いいじゃん。それも履いてみろよ」
「うん、わかった」
おずおずと足を入れてみる。サイズがぴったりで、丈の長めなワンピースにとてもよく合う。
「あとこちらも合わせてみてください」
そういって店員さんは白のサマーニットを肩にかけてくれた。
「とてもお似合いですよ」
大げさに褒められて照れながら鏡で全身を見た。ネイビーと白のコントラストがとても上品でおしゃれだ。
「いかがですか? お客様のイメージにピッタリだと思いますが」
「うんうん。よく似合ってるぞ、絢香」
二人同時に褒められて気恥ずかしさで顔が赤くなる。
「そんなことないよ……」
「なにいってんだよ。これにしよう。全部ください。あと、そこのバッグも」
先生は棚に並べられていたキャメル色の小さなバッグを指さした。
「え、いいよ。ワンピースだけでいいってば」
慌てて先生を止めたが聞く耳を持ってはくれない。
「俺が買うんだからっ黙ってろ」
店員さんはそそくさとバッグを棚から持ってきて、レジのカウンターに置いた。
「こちらでよろしいですか?」
「はい、それで。これ全部着ていくのでタグきってください」
「かしこまりました。ありがとうございます!」
突然連れてこられた店で、洋服一式を買い与えられるなんて漫画家映画の世界だけだと思っていた。それが自分の身に起こると戸惑いしかない。
「なんだよ、あんまりうれしそうじゃないな」
「……嬉しいよ。嬉しいけど、こんなことしてもらっていいのか分からなくて……」
すると先生はため息とともに言った。
「そういうところなんだよな……」
かわいげがないとでも言いたいのだろうか。
でも理由もなくたくさんお金を使ってもらうことに対して素直に喜べない性分のだから仕方がないじゃないか。
甘えることもねだることも苦手だ。
「俺が絢香を好きな理由のひとつ。してもらって当たり前って思わないところ」
「え……そ、そうなの? てっきり嫌われたかとおもった」
「まさか。遠慮しまくる絢香にご奉仕するのが快感なの、分かる?」
先生は私に耳打ちしながらニヤニヤしている。
「……変態」
ぼそりと呟くと、先生は私の手を掴んだ。
「ああ、そうだよ。これが絢香しか知らない本当の俺さ」
「私しか知らない……当然だよ。絶対に他人に知られたらダメだからね!」
着ていた部屋着をショップの紙袋に入れてもらいお会計を済ませた私たちは当初の目的であるジュエリーショップへと向かった。
傘を預けて店内へ入る。
閉店間際だからか、客は私たちしかいない。
「いらっしゃいませ。どのようなものをお探しですか?」
黒いスーツを身にまとった女性店員がにこやかに話しかけてくる。
そう聞かれても私は突然連れてこられただけで、何を買うかも考えていない。
「……正臣」
戸惑いながら先生の顔を見上げる。すると先生は「指輪でもネックレスでもピアスでも、好きなものを選べ」と私にいった。
「好きなものって言われても……」
職場ではピアスを付けることは禁止されている。業務中に外れてしまう危険性があるからだ。指輪は結婚指輪しかつけてはいけない決まりだ。
「じゃあ、ネックレスをみせてください。シンプルなもので襟に隠れる感じのものを」
「かしこまりました。いくつかお持ちいたしますのであちらのソファーにおかけになってお持ちください」
別の店員さんに案内され、店内のソファーへ先生と並んで腰を下ろした。
それからすぐに皮のトレイに乗せられたジュエリーが間の前のテーブルに置かれる。私のリクエスト通り、華奢なチェーンと小ぶりのチャームのネックレスばかり並んでいる。
「わあ、どれも素敵ですね」
ダイヤモンドやサファイヤやエメラルドなどの石、コインの形、十字架やハート、素材もゴールドやプラチナなど様々で迷ってしまう。
「これが気になります」
ゴールドとプラチナが絡み合うようにハートの形になっていて、小さなダイヤがあしらわれている。シンプルだけどかわいさもあるデザインだ。
「ぜひお試しください。お付けいたしましょうか?」
「はい。お願いします」
「どうぞ」と差し出された手鏡を覗き込むと、鎖骨の間に小さなハートがキラキラと揺れている。
「かわいい! ねえ、どうかな?」
「いいね、似合ってる」
先生はそう言って目を細める。
「だよね。私これにする!」
「即決かよ。他のもつけてみたらいいのに」
確かにトレイに並んでいるネックレスはどれも素敵だ。でも、とても気に入ってしまったから。
「ううん、これがいいの。いいよね?」
私がそういうと先生は「もちろん」と頷いてくれる。
「すみません、これをお願いします」
「かしこまりました。こちらは揃いのデザインでリングのご用意もございますがご覧になりますか?」
「いえ、指輪は……」
普段付けられないのでと断ろうとした。けれど、先生は「お願いします」と言って私に目配せする。
「せっかくだし、見せてもらおうよ」
「見るだけなら……」
そう、見るだけ。買うつもりはない。でも実際に指にはめてみると嘘みたいに指に馴染んだ。
「お似合いです! 指がほっそりされているのでこれくらいボリュームがある方がよろしいかと思います」
きっと、ボリュームがなくても『似合う』というのだろうだけど、このリングは確かにかわいい。
「……かわいいですね。でも指輪は普段付けられないので、残念ですがまたの機会にします」
「さようでございますか。限定のデザインですのでお気に召していただけたのならお早めに」
「はい。その際はぜひ」
おそらく購入することはないだろう。……のはずだったのだけれど、翌朝目を醒ますと私の右の薬指にはリングがはめられていた。
***
次の休日、久しぶりに遊びに出かけた日菜に私は安西先生と付き合っていることを打ち明けた。
というよりも、つけていた指輪に日菜が気づいたからなんだけど。
「おめでとう。絢香が幸せなら私もうれしい」
始めは驚いていた日菜も安西先生と付き合うことになった経緯を話すと「応援するよ」と言ってくれた。
人気のパンケーキ店でおいしいランチを食べながら恋バナに花が咲く。
「でもさ、絢香のこと可愛くて仕方がないって感じだね。何でも買ってあげたくなっちゃうなんてさー愛されてるね」
「愛されてるのかな?」
自分が愛されているかどうか、核心は持てずにいるけれど先生が私にちゃんと向き合おうとしてくれているのはよくわかる。
今日着てきた服はこの間先生に買ってもらったもので、朝それを見た先生はとてもうれしそうだった。
「愛されてるでしょ! 安西先生って意外と一途なんだね」
「意外と?」
聞き返すと日菜はバツが悪そうに口を手で覆った。
「あ、ごめん。今までのイメージがあるから……」
そう思われるのは仕方のないことだ。院内でも先生が合コン好きの女たらしという噂が響きわたっているし。
「……まあ、私もそう思ってたんだけど実際は違ってた。真面目だし一途だし、優しいし、私にはもったいないくらいいい彼氏だよ」
「はいはい。ごちそうさま。絢香の結婚式には呼んでよね~」
「結婚!?」
私は飲んでいたアイスティーを吹き出しそうになった。
「それはまだ早いよ~それより、日菜はどうなの? 付き合っている人いたよね」
日菜の彼は年上の自営業だったはずだ。最近お互いすれ違いでそんな話もしなくなってしまったけれど。
「……うん。別れちゃった……」
少し困ったように日菜は言った。
「ええ、そうなの? 知らなかった」
「ううん、全然」
「……のろけ話なんてしてごめんね」
しかも今日見る予定の映画はラブストーリーなのだけれど、日菜はへいきなのだろうか。失恋の傷をえぐるようなことにならなければいいけど……。
「本当に気にしないで! もう落ち込んだりしてないから。そんなことよりも、今日は絢香とのデート楽しみたいの。だから元彼の話はもう、無しね」
私に気を遣ってくれているのだろう。健気な日菜に胸がキュンとする。
「そうだね。日菜とのデート久しぶりだもんね。そろそろ店出ようか?」
私たちはパンケーキ店を出ると歩いて数分の所にある映画館へと向かった。
ポップコーンとドリンクを買い、カップルシートに座る。
映画館で見る映画は久しぶりだったこともあり、とてもわくわくしていた……のだけれど。
物語の中盤、恋敵の役で椎名ほのかが出てきて物語に集中できなくなってしまった。
彼女の演技が病室で見たものと重なって、あの時の不安の秋もちがよみがえる。
退院して以降、先生は彼女と会っていないはずだけれど、映画のように気まぐれに現れてたぶらかしたりしないで欲しい。そう思った。
映画の後はウインドウショッピングを楽しんだ私たち。夕ご飯も一緒に食べようと思っていたのに日菜は「大事な用事がある」と言って帰ってしまった。
「しょうがない。私も帰ろうかな」
先生には夕食は食べて帰ると言っておいた。でも、独りで食事をするのも寂しい。先生と一緒がいい。『これから帰る』とメッセージを送って私は家路を急いだ。
家に着くとリビングのソファーで先生は眠っていた。
消え入りそうな寝息。少しやつれたような顔をしている。
ここ最近緊急オペが立て続いていて忙しそうにしていたから疲れているのだろう。
私は寝室から毛布を持ってきて先生の体にかけた。それから音をたてないように夕食の支度を始めた。
買い物をしてこなかったので有り合わせのものでしか作れないけれど、栄養のあるものを食べさせてあげたいと思って。
料理が出来上がってダイニングテーブルに並べ終えた頃、先生が目を醒ました。
「……あれ、絢香? 今日は遅くなるんじゃなかったっけ」
先生は上半身だけ起こして私を見つめている。
「うん。そのはずだったんだけど帰ってきちゃった」
「早かったね、楽しかったか?」
「うん、とっても。ご飯できたよ、起きて」
私はソファーまで行くと、先生の腕を掴んで起き上がらせようとした。けれど、先生は私を引き寄せて抱きしめる。
「絢香」
「なぁに?」
「お帰り。会いたかった」
今朝、別れたばかりだけど……なんて考えながらも結局のところ自分も先生に会いたくて帰ってきたのだ。
「ただいま。私も先生に会いたくて帰ってきたよ」
言い終わらないうちに先生の唇が重なってすぐに離れる。
「……ん、ねえ。ご飯、作ったから食べよう?」
「ああ、ありがとう。それは早く食べないといけないな」
そう言いながらもまた私の後頭部を引き寄せて、今度はさっきよりも深いキスをする。押し付けた唇の間を舌でこじ開けて私の口腔内を弄る。
やがて先生の手が伸びてきてワンピースの裾を捲り上げた。
「もう! ご飯冷めちゃうって言ってるでしょ!!」
両手で先生の体を押すようにして離れると、乱れた裾をパパっと整える。
「絢香~つれねえなぁ」
先生は不服そうに私を触ろうとする。距離を取った。
「だめ。ほら、起きて。続きは食べてからすればいいでしょ?」
「……まあ、絢香がそういうなら、食べてからたっぷりかわいがってやるかぁ」
冗談っぽくいながら腹筋を使ってソファーから起き上がると、私のお尻を撫でた。
「もう。すぐ触るんだから」
油断も隙もあったものじゃない。
「別にいいだろ。触りたいんだから」
「減るもんじゃねえし」言いながらまた触ってくる。
「ああこら! そういう問題じゃないでしょ、もう~」
先生のスキンシップの多さに慣れてきたとはいえ、家に居るときは隙あらばといった感じで私に触ろうとしてくる。
でも口で言うほど不思議と嫌ではなかった。言動や態度に表してくれると先生の愛情を感じることができて安心する。
「ん? これって感覚がマヒしてるのかな?」
「なんだってー?」
「ううん。なんでもない。早くご飯食べよう」
常識なんてしらない。人と違ってもいい。私たちが幸せならそれでいいじゃないか。
私の手料理を「旨い旨い」といって食べてくれる先生の顔をみてそう思った。
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第3話、めっちゃ良かったわ…! 最初は「釣った魚に餌をやらない」って比喩から入って、絢香の不安がヒシヒシ伝わってきたし、先生が嘘ついてたって分かった時の絶望感は胸がギュッとなった。でもその裏にはまさかの指輪と服を買いに行くって展開で、雨の中の迎え、服一式買ってもらってジュエリーまで…これはガチのロマンスよ。現実でここまでされると戸惑うのも分かるけど、読者的には最高に持っていかれたわ。 ただ私はどっちかっていうとバトル・ダンジョン系の人間だから、こういう純愛ラブストーリーも新鮮で面白かった。先生の変態チックなスキンシップとか(笑)、逆に愛情感じられて安心するって絢香の感覚もリアルだった。続きが気になるわね。椎名ほのかの影がまだチラついてるし、今後の展開から目が離せない🔥 水羽凛さん、素敵な作品ありがとう!