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🌙第二話「帰ってきた父」
玄関のドアが開く音がした。
時計の針は、夜の九時を少し過ぎている。
健一「……ただいま」
低く、掠れた声が廊下に落ちる。
その声を聞いて、キッチンで皿を洗っていた真綾が顔を上げた。
真綾「おかえりなさい。今日も遅かったのね」
健一「現場、押しててな。明日も朝早いけど……顔出したくて」
真綾は手を拭きながら笑う。
真綾「お風呂、もう沸いてるわよ」
健一は「ありがとう」とだけ言って、リビングの方をちらりと見る。
そこにはソファに座り、イヤホンをつけてスマホを見ている孝宏の姿。
健一「……孝宏」
呼ばれても、息子は反応しない。
イヤホンを外す気配もない。
真綾「孝宏、お父さん帰ってきたわよ」
しばらくして、イヤホンを外した孝宏が、ゆっくりと顔を上げた。
その目は、どこか他人を見るように冷めている。
孝宏「……おかえり」
それだけ。
視線を合わせることもなく、再びスマホに目を落とした。
健一は何か言いたげに唇を動かしたが、結局言葉にならない。
代わりに、手にしていた紙袋をテーブルに置いた。
健一「……これ、出張先の土産だ。甘いの、好きだったろ」
孝宏「……別に」
短い返事。
それ以上、会話は続かない。
真綾が間に入ろうとする。
真綾「ありがとう、健一さん。じゃあ明日のおやつに出すわね」
健一は小さくうなずく。
そして息子の背中に目をやり、
「おやすみ」と言いかけたが、声にならなかった。
沈黙のまま、寝室へ向かう健一。
その背中を見送りながら、孝宏はそっとイヤホンを外した。
ドアが閉まる音。
残ったのは、リビングに流れる時計の針の音だけ。
真綾「……ほんとに、そっくりね。あの人と」
孝宏は、何も返さなかった。
ただ、テーブルの上の紙袋に視線を落とす。
中には、小さな焼き菓子の箱。
包装紙の端には、父の手跡が残っていた。
孝宏は無言でその箱を手に取り、
ため息をひとつついた。
孝宏(心の声)
「……来なくていいって言ったのに。なんで帰ってくんだよ」
窓の外では、秋の風がカーテンを揺らしていた。