「俺が来なかった二、三日の間になにがあったんだ……」
とキャットフードを手にしたのどかは貴弘に問われた。
「はあ。
ヒトヨ ヒトヨニ ヒのヒトヨが尽きてしまいまして」
と言うと、なんだ、それはと言われたので。
貯金の残高だという話をすると、
「……いくつかある通帳のうちのひとつか?」
と確認される。
「いいえ」
「……箪笥貯金でもあるのか?」
「この家の箪笥、私のじゃないです」
「それ、いい大人の貯金額か?」
「いやいや、もっと少ないときもありましたよ。
これでも多かった方です」
とうっかり言って、経済観念と計画性のなさを暴露してしまう。
「で、ヒトヨ ヒトヨの何処のヒトヨがなくなったんだ?」
と確認され、
「最初のヒトヨです」
と言って、溜息をつかれてしまった。
「いや~、出来限り、お金かけないようにしたんですけど。
引っ越し貧乏って言葉がありますが、本当ですね」
と言って、のどかは、はは、と笑う。
もう笑うしかなかったからなのだが、貴弘は遠い目をして、
「貯金総額が141,421円な時点で、貧乏じゃないか……?」
と手痛い真実を突いてきた。
「まあ、生きてはいけてますよ~。
職場に、中原さんっていう、綾太の秘書で、私のことが嫌いな人が居るんですけど。
あの人に社食でその話聞かれちゃいまして。
今みたいに溜息つかれて、財布を手に、
『いくらか都合しましょうか』
って言われたときには、さすがにちょっと、終わったなって感じはしましたけどね」
自分を嫌いな人間にまで同情されるとかどうなんだと思って。
「それで、昨日から、お隣の刑事さんと雑草煮て食べてるんですよー」
と近況を報告して、
「なんだって?」
と訊き返される。
「雑草煮て食べてるんですよ」
「そこはもう驚かん。
その前だ」
と追及され、
「……お隣の刑事さんと一緒に雑草煮て食べてるんですよ」
と前の部分をつけてみた。
「刑事さんだって言わなかったでしたっけ?」
と言って、いや、問題はそこじゃない、と言われる。
「なんで隣の男とメシ食ってんだ?」
「それが珍しく、昨日の夕方、八神さんとバッタリ会いまして。
ちょっと話してたんですけど。
ふたりともお金がないことが判明しまして」
「この家には計画性のない奴しか住まないのか……」
いやまあ、そうでなければ、こんなところに住まないか、と貴弘はあばら屋敷を見上げて呟いている。
ぺんぺん草でも屋根に生えてそうな、立派なあばら屋だ。
まあ、実際にあばら屋に生えているのは、ぺんぺん草ではなく、ハルジオンやヒメムカシヨモギだそうだが。
ぺんぺん草のタネは、鳥に運ばれないし、飛んで移動したりもしないからだ。
……なのに、なんで、ぺんぺん草も生えそうなって言うんだろうな。
荒地によく生えてるからかな、と思いながら、のどかはなんとなく、屋根を見上げた。
「で、その八神って刑事とメシ食ってどうしたんだ?」
「ああ、美味しかったので、残りをそれぞれ持ち帰って、朝も温めて食べました」
と言って、また、
「だから、そこじゃない」
と言われる。
「じゃあ、何処なんですか~」
と思わず、言ったとき、広すぎて日が差さない屋敷の中から猫の鳴き声がした。
「泰親さんー」
とのどかは振り返り、猫を呼ぶ。
「……泰親さん?」
と貴弘が訊き返した。
のどかの呼びかけに応えるように、仔猫がよちよちと走り出てくる。
細く赤い首輪が映える白とグレーのふさふさの毛。
淡いブルーとグレーの中間色のまん丸の瞳でこちらを見上げてくる。
マンチカンとペルシャを交配したミヌエットの仔猫だ。
「まさか、此処に住み着いてたの、その高そうな猫だったのか?
迷子なんじゃないのか?
首輪してるし」
「いえ、首輪は私が買ってきたんです」
「1,421円しかないのにか……」
「いや~、首輪買ったから、なくなったんですよ~」
と言って、
「……お前、莫迦だろ」
と言われてしまったが。
超絶可愛いので、この猫には絶対赤い首輪っと思って、つい、うっかり、いいのを買ってしまったのだ。
……まあ、中身は猫耳神主なんだが。
「八神ー。
お前、まだ金ないのか。
貸してやろうかー」
片手に缶コーヒーを持ち、片手で署の古いパソコンのキーボードをぽちぽち打っていた八神は、そんな先輩刑事の言葉に、
いや、まだ金ないのかって。
給料日前に、突然、金が何処からか現れたら、それは、なんかヤバイことやってるか、博打だろうよ、と思いながら、
「お金はないけど、なんとかメシは食えそうなんで、大丈夫ですー」
と振り返らずに返す。
すると、側に来たその先輩刑事、高円寺は、
「おっ、なんだなんだ。
彼女でも出来たかっ。
いいよなー。
ツラがいいと、金なくても生きてけるよなー」
と言い出す。
自分の父親より少し下くらいの歳の高円寺は、何故かこの手の話が好きだ。
「いや、女には違いないんですが。
お隣さんですよ。
お金がないって言ったら、ご飯作ってくれたって言うか。
一緒に作ったって言うか……」
作らされたって言うか……とだんだん声が小さくなっていったが、高円寺はその辺の微妙な感じは読み取ってはくれず、
「美人か?
お隣さん」
と突っ込んで訊いてくる。
「はあ、まあ……美人でしょうね。
っていうか、可愛い? 感じなんですけど」
つい、? をつけながら語ってしまう。
いや、見た目は申し分なく、美人で可愛いし、スタイルもいいのだが……。
なんというか、そこはかとなく得体の知れない感じなのだ。
ぼんやりし過ぎてて、得体が知れないというか。
度胸が据わりすぎてて、得体が知れないというか。
なんで、若い娘が、あの呪いの部屋のある家に平気で住んでるんだ。
いや、まあ、あの家に住んでるのは俺も同じだが……と思う八神に、
「おっ、美人なのかっ?
いいじゃないか、いいじゃないか。
でっ?」
と他の連中も身を乗り出してくる。
「好みなのか?」
と三つ上の先輩刑事、桑原が爽やかな笑顔で訊いてきた。
「まあ、好みでないこともないんですが。
なんていうかこう……
……得体が知れない感じで」
と思ったままを暴露してみたが、既に盛り上がっているみんなは、
「そうか、ミステリアスな美女なのかー」
と言っている。
ミステリアスな美女?
まあ、そう言えなくもないんだが……と八神は、昨日、夕暮れの庭でのどかがと出会ったときのことを思い出す。
夕方、
「あ、お隣さん、こんにちはー」
とちょうど帰ってきた自分を見て、のどかは、あのぼんやりした調子で声をかけてきた。
そんなこんなで話しているうちに、のどかが何故、庭に立っていたのかという話になった。
「いや、お金がなくてちょっと」
とのどかは言う。
まあ、こんなところに住んでるくらいだからな、と思っていると、
「そうだ。
庭の草って結構食べられるらしいんですよ」
とのどかが言い出した。
どうやら、庭の草をむしって調理しようとしていたようだ。
「元は雑草だった野菜もあるし、雑草になった野菜もあるらしいですしね」
と言うのどかに、へえー、と感心して、八神は言った。
「じゃあ、俺も金がないから、庭の草でも食ってみるかな」
忙しくてあまり家に居ないので、自分の家の前も草ぼうぼうだった。
「そうですか。
じゃあ、一緒に、どうにかして雑草食べましょう!」
「いや、レシピ知ってるとかじゃないのかよ……」
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