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時に思う。
自分という存在が消えたら世界は一体どうなるのか。
たとえば、天才的物理学者であるアインシュタインが消えてしまえば、相対性理論が生まれず、物理学の進歩が今以上に遅れていたかもしれない。
また、トーマス・エジソンが消えれば、電気も無い真っ暗な世界だったのかもしれない。
そうなった時、自分自身が消えたらなにかが変わるのだろうか。
そう考えることが増えた。
私は、特に好きなことも得意なことも無いいわゆる無趣味と呼ばれる人だった。
そうなってくると、私は何かを生み出したことも生み出すことも無いだろう。
私とは、何を生み出すのだろう
将来結婚し、子供を産み、平凡に暮らす。
それだけの人生、特段何かを生み出すことも無い。
しかし、産んだ子供はどうだろうか?
もしくはその子孫は?
もし、天才が生まれれば新たな学説や物を生み出すのだろうか。
また、スマホに変わる新たな物を生み出すのだろうか。
そう考えると、私という存在が価値があるということとなる。
その天才が産まれるために私は必要となる。
将来は何が起こるか分からない、だからこそ面白味があり、楽しみとなるものである。
そう考える。
今これを読んでいるあなたもですよ。