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その直後、テレビの画面が変わりニューススタジオが映し出され、ベテランの男性アナウンサーが緊急発表だと告げた。
「本日午後八時五十分、政府の要請を受け、福島県知事は、福島第一原子力発電所から半径二キロ以内の全住民に対し、避難指示を発令しました。半径二キロ圏内にお住まいの方は、ただちに二キロ圏外に退避して下さい。繰り返しお伝えします。福島県知事は半径二キロ圏内の住民全員に対し……」
その場にいた医師、看護師全員の表情が凍りついた。看護師長の声が、どこか遠い所から響いてくるように亮介には聞こえた。
「これって、原発に何かあったって事なの? そうよね」
誰かが応じた。
「原発の近くは、これから大変だぞ。うちはまだいい方かもな」
深夜近くになり、緊急処置はあらかた終わったが、亮介を含む病院に待機した十六名の医師と二十五人の看護師は入院患者のケアに追われた。医師のうち、副院長を含む五人とは未だに連絡が取れずにいた。
非番の看護師も自宅や避難所から次々に駆けつけたが、うち七名が所在不明。連絡がつかない看護師の一人は海沿いの地域に訪問看護で出かけていた。もし津波到達時に海沿いにいたら……その可能性は誰もが考えつつ、しかし誰も口に出さなかった。
時計の針が深夜十二時を少し回った頃、地元の消防団員が二人、懐中電灯を持って病院を訪ねてきた。待合室に寝かされた軽傷患者の様子を見ていた亮介の耳に、消防団員と院長の会話が漏れ聞こえて来た。
「院長、違うべや、三キロだ。避難の指示は原発から三キロだ」
「さっき見たテレビのニュースではニキロと言っていたようですが?」
「そりゃ県知事の発表だろ? 政府だ、国の避難指示なんだ。そっちでは三キロなんだよ」
「ついでに院長、原発から半径三キロから十キロの距離のところは、屋内退避指示つうもんが出たらしい」
「屋内退避? 何ですか、それは?」
「よく分かんねえ。なんでも家の中にこもって、窓とか全部塞いで、外に出るなっちゅうことらしいで」
「そんな距離まで影響が及んでいるんですか?」
「なんでもベントとかいうもんをやったらしいで」
「いや違う。これからやるんだ、そのベントってのを」
「え、そうだったか? 院長さん、ベントって何だ? 息子の携帯は相変わらず電話はつながらんけども、ワンセグのテレビは見られるんだが、ニュースの政府の発表聞いても何の事だが、俺たちには全然分からねえ」
結局何が何だか分からないま、消防団員たちは去り、院長が再び手の空いている医師、看護師全員を待合室の一角に集めた。
地図で指をコンパス代わりにして測ってみると、亮介たちのいる南宗田市立中央病院は福島第一原発から22キロの距離にあった。その場の全員がホッと安堵のため息をついた。
だが、院長は険しい表情で地図上の一点を指差した。そして誰にともなく言った。
「ここは三キロ圏内だな」
院長が指差した地図の一点を見つめた内科医の児玉がつぶやいた。
「三つ葉厚生病院。あそこは高齢で寝たきりの入院患者が多い所だ。そこが避難指示とは、たまったもんじゃないぞ」
院長は深々とうなずきながら、また独り言のようにつぶやいた。
「避難してくる患者さんを、うちで受け入れる可能性もありますな。みなさん、念のためその心構えをしておいて下さい」
医師と看護師が二班に分かれて夜間の患者対応に入り、亮介はそのまま夜勤に入った。重症の詩織の容態は比較的安定していて、設備の整った大病院へ搬送すれば命に別状はなさそうだった。
夜明け前、東の空がうっすらと明るくなった頃、オートバイのエンジンの音が聞こえて来た。二台のバイクが病院の玄関前に停まり、濃紺のベストを防寒着の上に羽織った三十代らしい二人の男が玄関から中に向かって呼びかけた。
「富山県のDMAT(ディーマット)です。どなたか、状況を聞かせて下さい」
たまたま一階にいた亮介は院長を呼んで来るように看護師の一人に言って、玄関に駆け寄った。二人の男は医師と薬剤師だと名乗った。
亮介もDMATの事は知っていた。大規模な事故や災害が起きた時、各都道府県単位で医師、看護師、薬剤師その他の医療関係者が緊急派遣チームを組み、現地の医療機関に協力する。彼らは富山県の大学病院から派遣されたDMATのメンバーで、道路が損壊している場所が多かったため、オートバイで南宗田へ入ったと言った。
「それは想定外ですね。いや、帝都電力のセリフじゃないですが」
亮介からこれまでのおおまかな経過を聞いてDMATの医師は驚きを含んだ口調で言った。
「建物の崩壊で押しつぶされた重傷患者の大量発生を想定して準備してきたのですが。そういう患者さんはそんなに少ないのですか?」
亮介も大きくうなずきながら応えた。
「そうなんです。開放骨折の女の子が一人いますが、ほとんどは低体温症などの内科系疾患です。外科医の出る幕がないほど」