コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
『今週のヒットチャートのナンバーワンは、全米ツアー真っ最中のサファイアで、Dead or Alive!』
よく利用しているネットのラジオから聴きなれた曲が流れだした。律の旦那が作ったサファイアの代表曲。彼らが全米ツアーまでするような素晴らしいバンドになったのだと思うと、自分のことのように嬉しくなった。
あの事件の日からどのくらいの歳月が経ったのか。長いようで短い気もする。
律や旦那のことは毎日思い出す。彼らが幸せに暮らしていることを、ただ願うばかりで忘れたことは一度もない。
俺はあの後すぐ日本を離れて渡米し、ライブハウスを渡り歩いて生活している。Hiroto Shindoの名義でジャズシンガーとして生計を立てることに『一応』成功した。一応というのは、単純に細々と食べていけているだけという最低レベルだから、胸を張って言えるものではない。
渡米の際、日本の俺の持ち物は全て処分したからそれなりの財産はあるけど、それには一切手を付けていない。コネや金を使わずどこまで自分の歌一本でやっていけるか、試したかった意地があった。
剣との、いつかの約束を果たすためにも。
勿論、最初から無名の俺を使ってくれるようなハコは無かった。ライブハウスに通いつめ、現地の人間と仲良くなってピアノが弾けて歌えることをアピールした。そうなるとメンバーが足りなかったり、ノッてくるとセッションをやるのに声を掛けてもらえるようになった。先ずは一曲セッション、それが二、三曲に増え、メンバーとして招かれ、一時間ほどのライブを演奏できるまでにこぎつけた。
日本語の曲は一切歌わずにスタンダードジャズやシャンソン、更には温めていたオリジナル曲を披露したらそれなりに人気が出てきた。お陰でCDを出さないかという話をもらって、Hiroto ShindoのオリジナルCDを発売した。
しかしインディーズの上に流通もさせてないから、正直言って売れていない。カヴァーは著作権の問題があるから、それは生ライブのみでCDとしての発売は行っていない。
オリジナルのCDはライブハウスで手売りのみで、ストリーミングでネット販売や配信、そっちの類は一切やっていない。簡単に自分の曲を切り売りしたくなかったのと、音質劣化するのが一番赦せない理由だった。CDでさえも微妙なのに、MP3(音楽ファイルを圧縮した保存形式)なんて、俺はしたくない。
というわけでライブハウスで歌い、CD販売のみで細々と活動を続けている。シンガーの稼ぎとしては最低レベル。時代に逆行するかのように、アナログな方法で生きていると思う。
それでも、モリテンのようなお節介な音楽好きが方々に俺を紹介してくれたおかげで、拠点にしていたライブハウス以外でも歌えるようになってきた。そこそこ名前が知られるようになったのは、つい最近の話。
俺はフリーのシンガーだから、連絡があればどこへでも行く。身がひとつなのでフットワークは軽いし、どんな国へも赴く。行った先で最初は歓迎されなくても、ライブが終わったら絶賛されるから、どこでもやっていける自信はついた。
今日俺が歌うライブハウスは、丁度全米ツアー真っ最中のサファイアのライブ会場付近。サファイアの公演チケットは即日完売、海外のファンも多く獲得していて、彼らの音を楽しみにしている者が多いと現地メディアが報道していた。
ジャパメタ(ジャパニーズメタル)がアメリカで通用しないと言われていたのに対して、彼らは世間をその素晴らしい音でねじ伏せ、日本を代表するバンドへと成長した。たった四人で紡ぎだす音が野太く、しかし繊細で素晴らしい。シンフォニー要素も取り入れ、かの有名なMetallica(メタリカ)のようなヘヴィーメタル・バンドへ変貌を遂げたのが良かった。音がどっしりしていないと海外ではウケない。線が細く頼りない日本の音楽――特にジャパニーズポップスが海外で通じないのは、そういう理由があると俺は個人的に分析している。
ギターヴォーカルでリーダーの山根は、恐らく相当厳しい男なのだろう。音作りも、編曲も、細部にこだわるパワーが凄い。雑誌を読んでも、音を聴いても、それが明確にわかる。俺と同じ思考だから、大いに賛同できる。
こういう人間がRBにいたら、俺もまた違ったバンド活動が出来て楽しかったと思うけれど、日本で売れないとビジネス目線からそういう結果が浮かんだ。それに拘りが強すぎるとメンバー間で衝突を起こしてまう。お互い妥協できずに亀裂が入ってまう。これも非常に難しいところだ。
総合的に考えて彼らは日本より海外向き。自分に合ったフィールドやメンバーを見つけることが、長く音楽を続けられる秘訣だと思う。律の旦那がサファイアに加入し、活動ができたのは良い結果となった。
それからサファイアが成功したのは、もうひとつ理由があると俺は思っている。それは旦那のギターの音が変わったことだ。
あの事件以来、実直で真面目だった彼の音に少し翳りが出た。罪を背負った音――やはり様々な経験が複雑な音を織り出す。これは練習や努力で出せるものではない。それがメタルの切なく、聴く者の心を震わせるいい所の音を奏でるようになった。
彼を支えているのは、間違いなく律だろう。ふたりで出した答えが、そのまま音になって表れているのだ。現に旦那は、山根よりもいい曲を書くようになった。時々、RBのフレーズというかコード進行、メロディーラインを参考にしている所があるが、上手く自分なりのアレンジで全く別の曲へと仕上げている。シンフォニック要素もRBの影響が少なからずあると俺は踏んでいる。
だから曲を作る時、旦那は俺のことを思い出しているだろう。あの時、荒井邸の新居で旦那にアドバイスしたコード進行で作ったバラードは、彼らサファイアを一番有名にした名曲となったから――
あの時俺の取った行動は人の道を外れ、間違っていて、決して赦されるわけではないけれど、そのお陰で彼らが成功したのであれば、それもよかったことなのかもしれない。
あのまま俺と律は男女関係になることもなく、彼女が旦那と普通に暮らしていて事件を起こすことがなければ、多分今の名曲もギターの音も産まれず、サファイアはここまで売れなかっただろう。
サファイアのライブ会場付近に行くと、既に彼らのファンが集まっていて、楽しそうに好きなバンドについて語り合っていた。リハーサルで漏れてくる音に耳を傾けながら楽しそうにする姿は、俺も見ていて誇らしい気持ちになる。爆音が漏れてくるたび、外壁に耳を当てているファンが歓声を上げる。
やっぱり音楽はいい。心が躍る。
肝心の俺のジャズバーのライブは、四時から五時の夕方の部のみで、客入りが悪そうな雰囲気だった。
基本ジャズバーは入れ替え制で午後七時頃から一時間、九時から一時間、十時半から一時間、午前零時よりレイトショーがある。始まる時間や終了時間はハコによって様々だが、今日みたいなビッグアーティストがライブをやる時は、その時間に開催される小さなライブハウスは閑古鳥が鳴く。開けていても誰も客は来ないからバーのみ営業で、その前後に力を入れる。
早くから飲みに来させるため、今日は珍しく昼から営業をしている。適当に顔を出したので、散歩がてら歩いている時だった。
ポン、と肩を叩かれた。
誰だろう?
振り向くと恰幅のいい体格はクマを連想させ、更に優しい顔立ちの中年の男性が立っていた。金髪のモシャモシャ頭は相変わらず――
「久しぶりやな、博人。元気か?」
声をかけてくれたのは、十代の頃、俺を拾って育ててくれた現アウトラインの店長――モリテンだった。
「えっ、なんでモリテンがこんなトコに? ここアメリカ…」
「実はサファイアの連中が招待してくれて、さっき着いたところや。あ、折角やから博人、お前も中でリハ見ようや」
「あ、いや、俺はいいよ。部外者やし」
モリテンと喋ると封印していた関西弁がつられて出てきた。やっぱり俺は根っからの関西人なのだと思い知る。
「そんなん気にすんなよ。俺が関係者やって言えば、顔パスで入れるから。見学者が一人くらい増えたって大丈夫やって」
「いやいや、セキュリティーとか厳しいから無理やろ」
「固い事言うなって。時間あるか?」
「少しなら…」
「そらええわ。行こ行こ!」
結局モリテンに連れて行かれた。本当に顔パスが通じてしまって、俺も関係者席エリアパスをもらって中に入れることになった。
――照明もっと絞って、絞った照明は青! サビでバンド演奏になるから、白い照明を全開にして盛り立てて!
エリア内に入ると、早口で山根がスタッフに喋っている声がマイクを通して聞こえてきた。彼の話す口調は流暢な英語だった。猛勉強したのか、もともと長けていたのかはわからないが、前者だったら山根は想像以上の努力家で凄い男だと思った。
日本から連れてきているスタッフにも英語で喋っているのは、英語に慣れておくためにも、普段から努力している証拠だ。
演出にも拘っていて細かい指示を出す姿は、かつての俺を見ているようだった。他のメンバーは黙って音の調整をしているのも全く一緒。でも俺の時と違うのは、他のメンバーが圧倒的に音楽の才能と演奏技術があること。特に旦那のギターの音がいいし、他のメンバーの各パートのアレンジも素晴らしく、俺一人の舟だったRBとは違っていた。
旦那は上手(かみて)側にいた。彼に見つかりたくないからサングラスをかけて目線を反らした。
「おー。やってるなぁ~」
のんびりとした口調は相変わらずで、モリテンが顎髭を擦った。音を聴くとき彼はいつもこうする。癖みたいなものだろう。
「アウトラインでライブしてた連中が、海外のこんな立派なホールに立って演奏するなんてなあ」
感慨深げに呟いた。
「それより博人はどうや? CD売れてるか? 今日もライブやろ」
ある程度は俺のことを把握しているらしい。こんなところで会っても驚かないのだから、活動状況が耳に入っているのかもしれない。音楽業界が狭いのではなく、きっと彼が俺のことを心配して気にかけてくれているのだろう。
「まあ、ぼちぼちやってる」
「後でCD買いに行くわ」
「別に買わなくていいよ。来てくれたらCDくらい渡すから」
「アホ。CDを簡単に人に配るな。ただでさえCDが売れにくい時代やのに、買うって言う客に売らんでどうする」
コテコテの関西弁を久々に聞いた。俺自身も関西弁を喋ったのは久々。日本を発つ前、彼の元を訪ねて最後に話して以来かも。
今では全部英語。歌も英語かフランス語。母国語を喋る機会は無い。
「わかった。じゃあ、後で買いに来て。これ、俺の名刺。近所のシュートってバーで歌うから観に来てや」
全て英語で書かれた自分の名刺を渡した。Hiroto Shindo と書かれたシンプルな名刺。連絡先の電話番号とメールアドレス、メインで活動しているライブハウスのみを記載してある。
「博人はもうバンドやらんのか?」
「たまにやりたいと思うけど、気の合うメンバー探すのもしんどいから、バンドはもういいかな」
「それなら女性ボーカルはどうや? ええ子がいるんやけど、曲書いてくれへんか。めっちゃ才能ある子やねん。博人も一緒にピアノボーカルしたらいいと思う。俺がギター弾くで」
「モリテンのトコで可愛がってる女なら、もっと他に頼めるヤツいるやろ。なんでわざわざ俺に?」
理解しがたい申し出だった。
「まあ、深い意味はないけどさ。でも、楽しそうやん。博人と俺で一回バンドやろうや。それに、俺のイチオシの子と恋が芽生えるかも! あ、博人今、コレ(彼女)いる?」
右手で小指を立てて聞かれた。
「いや、別にいない。悪いけど女性を紹介するとか、その人と恋愛するとか、そういう話やったら遠慮しておく」
「なんで?」
「…もう二度と会えないけどさ、好きな女がいるんや」
律のことを思い出した。
すべてが狂おしい程に愛しいと思える女性は、この世でただひとり。
彼女だけ。
「俺、アメリカに来る前に一生分の恋したから、そういうのはもういい。他のヤツに頼んでくれるか」
「そっか。オーケー」
モリテンは俺の気持ちを察したらしく、それ以上しつこく言わなかった。
それからは他愛もない話をした。モリテンの話によると、RBのメンバーは元気にしているらしい。剣の話も聞いた。剣がモリテンを訪ねたらしい。外出もままならなかった剣が、モリテンに一人で会いに行くなんて。
色々心配かけたことを侘び、俺の身を案じてくれていると聞いた。
事件を起こしたあの日。剣に会いに行って彼と交わした約束――いつかステージで共演するという例の約束は、いつか果たせる日がくるだろうか。
叶うなら、いつかアウトラインで剣と出演したいな。
そんな風に昔を懐かしみ、これからの夢への想いを馳せながらモリテンと話をしているとあっという間に時間が過ぎた。サファイアの本格的なリハーサルも見れて満足した。彼らの様子から、今日のライブが大成功で終わるだろうと予感した。全米ツアーという偉業。彼らは素晴らしい夢を実現している。
みんな前に進んでいる。俺も頑張ろう。
「声、かけてくれてありがとう」
パスを返却してホールから外に出た後、モリテンに礼を言った。
「博人、元気で。たまには日本にも遊びに来てや」
「ああ。落ち着いたら」
「アウトラインで待ってるから」
「オーケー。じゃあ、俺もライブあるから」
「ああ、頑張って。見に行くわ」
手を振って別れた。
モリテンに会えて良かったと思い、俺は歩き出した。