「――はあ!? お前、全然戻んねえじゃん。何で?」
「わからない。本当に、申し訳ない。ラーシェ」
「あ、謝んなくてもいいけどさ。ほんと、なんでだ?」
家に帰ってすぐにボール遊びも、庭の散歩、いつも人間に戻るためにやることを一通りしたのに、ゼロの身体は一向に人間に戻る様子はなかった。ゼロは遊ぶたびに嬉しそうに尻尾を振っていたし、癒されていないということはなかっただろう。ゼロ自身も楽しんでいたし……だが、それ以上に、何故戻らないのかわからなくて、互いに顔を見合わせて首をひねった。
呪いに期限はなかったはずだ。もうこのままポメラニアンから戻らないなんてことはないはずで。
俺は、ふかふかのベッドの上にゼロをのせて、向き合っていた。外はもう暗くなっており、部屋の明かりは眩しいくらいに明るい。
「心当たりは?」
「ない。強いて言えば、ない」
「それ、ないじゃんか……はあ」
恒例行事となったポメ化。しかし、こんなにも長くポメだったことがあっただろうか。
原因が分からないのも怖いし、何よりも、呪いが進化したのではないかとか物騒なことも浮かんでくるから駄目だった。さすがにそんなことはないと言い切りたいが、言い切れる自信もない。
ゼロは、また耳をペションと下げて、尻尾もたらりと垂らしていた。お行儀よく短い前足を合わせてうつむいている。心なしか、ターコイズブルーの瞳も陰っているような気がした。
一体何が原因なのだろうか。
「変わったこととかは?」
「ないな…………ラーシェが、あの男と話しているときイライラしたが、今は俺を、俺だけを優先してくれているから問題ない。それが何よりも嬉しい」
「そ…………か」
やっぱり、嫉妬してたんじゃん、とか簡単に突っ込めなかった。だが、今は穏やかだ、というゼロの気持ちを信じてあげたい。
そうなってくるとますます原因が分からない。
「ラーシェ、あの男のことを本当に友人だと思っているのか?」
「え? ああ、クライスのこと?」
「ああ。危険だっていっただろ。あいつが犯人なんじゃないか? あの、狩猟大会の」
と、ゼロは話をコロッと変えて、クライスと話していたときの話題を持ち出した。俺は、姿勢を正してゼロのほうを見る。ゼロは第六感だといわんばかりに、クライスが犯人だと目で訴えかけてくる。
正直言うと俺もそう思っていた。
「俺も、そう思う、けど」
「なら、なぜあんなにべたべたと…………間違えた、失言だ」
「いや、間違えてねえだろ。別に、べたべたはしてねえよ。お前のべたべたに比べればましなもんだろ」
「俺は、ラーシェのことが好きだからいいんだ。それに、飼い主にべたべたしても罰は当たらないだろ」
「飼い主いうなよ。俺とお前は、対等……まではいかずとも、それなりに仲のいい、マブだろ?」
飼い主と犬、なんて関係に収まってもいいのかと俺はゼロを見る。ゼロはあれだけ犬扱いを嫌っていたのに、やはり度重なるポメ化で犬としての意識が芽生えたのだろうか。
まあ、そんなことはどうでもよかった。
ゼロも薄々あいつが犯人なのではないかと思っていたらしい。俺も、そう思っているのだが、あいつを前にするとどうも、こいつは友だちだ、というような気持ちが芽生えてしまう。こいつは、胡散臭いけどいいやつだって、そう脳が勝手に変換するというか。今は正常に、クライスという男を分析できている。
「魔法……か」
「魔法? 何の魔法なんだ、ラーシェ」
「ああ、お前は知らないもんな、魔法のこと。クライスは、洗脳魔法の類を使ってたんじゃないかって思って。ほら、魔物を使役……まではいかずとも、動物を魔物にするなんて相当な芸当だ。そして、人間を襲うようにプログラミングされてるっつうーか」
プログラミング? と首を傾げたゼロを横目に、俺は続ける。
「洗脳魔法はめちゃくちゃ高度な魔法なんだよ。俺も使えないわけじゃないけど、多分クライスは相当な腕の持ち主。俺の得意とする魔法は、服従魔法だし、似て非なるものだな」
「ラーシェも相当なものを使うな」
「それは、褒めてんのか、けなしてんのかどっちなんだよ」
「どちらでもない。まあ、この屋敷にいるやつら全員にかけられるほどの魔力量を持ち、かつ正確に魔法をかけているところを見ると、ラーシェもそうなんだろうな」
思い出したくない黒歴史というか過去。
俺の得意とする魔法は、相手を自分の支配下に置く服従魔法。クライスが使えると予想する洗脳魔法とは似て非なるもので、あちらは魔法をかけた相手に対し一つ命令を下せる魔法である。そして、かかった人間はその指示に従って目的が達成されるまで動くと。
逆に俺の魔法は、俺の命令には逆らえないもので、命令自体ができるわけではないが例えば「動くな」と言われたら動けなくなるし、「働け」といったら働くようなもの。まあ、似てるっちゃ似てるけど洗脳魔法は意識をすべて魔導士側に持っていかれるもので、服従魔法は意識はあるが体が逆らえないものである。精神に干渉するか、肉体に干渉するかの違い。
それと、洗脳魔法の成功率は服従魔法より高くない。腕の持ち主でも、片手で数えられるほどが限界だろう。
俺は、その服従魔法をもう絶対に身内に使わないと決めている。この魔法を使ったせいで、俺の評価はダダ下がりしたし、俺のことを恐れているやつも多いだろう。
ゼロも、苦々しい思い出をかみつぶすように歯を鳴らしていた。
「それで、ラーシェは洗脳されていたと」
「さあな。魔法を使った感じはなかったが、気づかぬうちにかけられていたって可能性は大、かもしれねえ。それだけ、俺が余裕物故いていたアホってことだし、俺の不注意が招いた結果だな」
「それではどれだけ命があっても足りないだろ」
「一応な、命にかかわる魔法は使えないんだよ。洗脳魔法でも、服従魔法でも死に関することはかけられない。『死ね』って相手にいったとしたら、それは魔法返しで、自分に帰ってきちまうし」
「複雑なんだな」
まあな、と俺はいって胡坐をかく。
魔法返しも怖いし、何よりもセーフティーロックがかかっている洗脳魔法、服従魔法の解除がなされたら、一言『死ね』といえば相手は死んじまうし。このセーフティーロックも解除する研究が一時期されていたとか、されていないとか。
いつの時代の人間かが、魔法を悪用しないようにと最も危険な魔法にはセーフティーロックをつけたとか、つけていないとか。その中に、洗脳魔法と服従魔法は入っている。相手の肉体に、精神に干渉する魔法というのはやはり危険なのだ。
もし、俺の仮説があっていたとして、クライスが洗脳魔法を使えるなら厄介だなと思った。だが、うまくいけばあの未解決事件も解決できるわけで、友だちという立場を利用しない手はなかった。
今は俺も頭がクリアだし、今のうちに作戦を立てておくのもありだろう。
「やめておけ、ラーシェ」
「んだよ、何も言ってねえじゃねえかよ」
「顔を見ればわかる。大方あの男に会いに行って、狩猟大会のお礼参りをするつもりだろう」
「お礼参りって…………まあ、そのつもり。だって、やられっぱなしは嫌だろ?」
ゼロは肯定も否定もせずただ自分の短い足を見ていた。
クライスが洗脳魔法を使えるとすると非常に厄介だ。だが、魔法にかからないための魔道具だったり、魔法だったりは一応あるわけで、それを使って何とか回避して、ひっとらえようと思っている。危険なのは変わりないが、あの日のお礼参りができるのなら。
(やっぱり、心からの友だちじゃねえよな。あいつ、絶対何かあって俺に近づいてきやがった)
理由はわからない。それは、俺への復讐かもしれないし、ほんとうにただたんに好奇心かもしれない。
だが、俺が初めて魔法を発動させたとき、その瞬間を見ていたという話は嘘じゃないだろう。だって、あの話を知っているのは本当にごく一部の人間だけだ。それを鮮明に覚えているってことは、嘘じゃない。
だからこそ、ますますあの男の目的が分からなくなるのだが。
「だが、ラーシェ。俺は、アンタが危険な目に合うのは嫌だ。相手が、そんなにも危険な魔法を使うのだとしたら、なおさら。ラーシェの魔法がすごいのは身をもって知っている。しかし、もしもということもあるだろう」
「そんなことわかってるっつーの。過保護だな、ゼロは」
「こっちは本気で言ってるんだぞ? 命が惜しくないのか?」
と、ゼロは低い声でうなるように言った。
元傭兵で常に生死の狭間をさまよってきたゼロがいうのだから、その重みは全く違った。
洗脳魔法で殺されるってことはない。だが、洗脳魔法にかけられたら何をされるかわからない。国家の機密情報を盗み出させようとするかもしれないし、王太子であるジークの暗殺とかも命令されるかもしれない。魔法にかかった前提で話をするのは嫌だったが、つまりそういうことで。
無謀だな、と我ながらに思った。しかし、直感であいつが犯人であると俺の中の誰かがいうのだ。
それに、野放しにしたら次の被害者が出るかもしれない。今度はもっと大きな魔物を使役して。それこそ、国家転覆を狙っているのかもしれない。
「まっ、これはもうちょっとゆっくり考えるとするか。泳がせておいたら尻尾を掴めるかもしれねえし。それに、ゼロがこんなんじゃ俺も乗り出せねえよ」
「悪かったな、犬になって」
「いーや、怒ってねえよ。ただ、お前に守られるのが当たり前になっちまったから」
俺はそういいながら、ゼロを抱き寄せた。ゼロは抵抗することもなく俺の腕の中にすっぽりと納まる。そして、気持ちよさそうに目を細めていた。
「お前がいないのに、単身で乗り込むとかバカはしない。だから、早く戻ってくれよ、ゼロ」
「そうしたいのは、山々なんだが」
ゼロは、悔しそうに言って俺を見上げた。
ゼロが人間に戻らないのもまたおかしな話だな、と俺はポメゼロのつぶらな瞳を見つめながら、とあることを思いつき、いったんゼロを枕の上に置いた。それから、俺はきていた服のボタンをプチプチと外した。それを、ゼロは呆然と眺めていたが、俺がバッとシャツを脱いでみせると、全身を震わせ、警戒するように吠えた。
「……っ、な。ら、ラーシェ何をしている」
「こういうときって、これが一番癒されるかと思ったんだよ――ゼロ、俺のおっぱい揉むか?」
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