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会社からの帰り、実家方面行きの電車に乗ったついでに、久しぶりに実家に戻ろうと思いついた。乗りはじめの頃は、仲間内で騒いでいる学生や酔い潰れたサラリーマンで混んでいたが、気づくと周りにはほとんど人も居なくなり、同じ車両には、ドアの脇に立ってる自分と、自分の目線下で1人シートにうなだれて座っている老人のみとなった。
ぼんやりその老人を見下ろしていてたが、僕は思わず声をあげてしまった
「えっ、とうさん⁉︎」
その声に目を覚ましたのか、寝ていた老人が薄目を開けて見上げた。
「あぁ、元気そうだな。仕事帰りか?」
「うん、久しぶりに実家に帰ろうかと思って。しかし、とうさん。心臓の病気は治ったの? てっきりまだ入院しているものと思ってたんだけど」
「この歳になると、病気は治すというより、仲良く付き合って行くもんだって、先生に言われてね。まあ母さんのことも心配だったし、今退院してきたところだ。まあここも意外に丈夫なものさ」
そういって父親が軽く叩いたその胸は、ほんのり赤くなっていた。
父親の寿命がもう長くないことを知っていた。最近の医療機関は、人の寿命についても、まるで有名大学の試験問題の解説かのように一分の隙もなく説明してくれる。
「そう、でもみずくさいな、退院するんだったら一報くれれば付き合ったのに」
「いや忙しいと思ってさ。あまり電話しても迷惑だと思ってね」
そう、僕はいつもそうだった。これまで父親から電話が来ても、いつも電話に出なかったり、面倒くさそうに応対してきた。そういえば社会人なりたての頃も、仕事でトラブっている最中に父親から電話があり、コールバックするといったまま忘れていることもあった。後から母親に
「おとうさん、電話の前でずっとあんたからの連絡待っていたんだよ」
とこっぴどく叱られたものだった。
しばらく沈黙が流れた後、再び父親から話を続けた。
「ところで最近はどうしている?相変わらず仕事が大変だって聞いているけど」
僕は最近の仕事の近況に関し、特殊な仕事故誰も教えてくれず自分で決めなければならないことが多くて大変なこと、プレッシャーもそれなりにあることなど、伝えられる範囲で簡単に説明した。それから、好きな彼女ができたこと、とびっきり素敵な彼女なんだけど、今少し重たい病気で長い期間入院していること、そして週に2-3回お見舞いに行くけど最近は些細なことですぐに口喧嘩してしまうことなど、実に取り止めもない話をした。
「そうか。ハハハ!喧嘩、大いに結構じゃないか。恋人同士の喧嘩は恋の進捗アップデートなんて言われてるからな。一つだけ聞いていいか、お前彼女のこと愛しているのか?」
僕は少し考えた後、俯いたまま小さくうなづいた。すると父親は続けて
「この先2人には色んなこと待ち受けてるだろうよ、決して綺麗事ばかりじゃない、だから喧嘩したっていいさ。とうさんも母さんとはしょっちゅう喧嘩していたものさ。ハハハ」
久しぶりにあった父親は実に楽しそうに笑っていた。
「でもな、最後、喧嘩の落とし所においては最後は必ず彼女に譲るんだ。どっちがいいか悪いかなんてどうでもいい。それから何があっても最後は自分の家族、彼女を守り抜け。女の子は生まれた時から女性だけど、男の子はさ、愛する家族を守りくことでようやく男になるんだから」
父親と女の子の話なんて一切したことなかったが、こんな風に考えてるって少し見直した。
それに気づいているのかいないのか、父親は口元に笑みを浮かべながら、時折窓の外の流れる街の明かりを目で追っかけていた。
そしてしばらくて父親は再び口を開けた。
「ちなみに、この列車はねぇ、これまでいくつもの山や渓谷を通ってきたんだ。途中、大雪でしばらく止まっていたこともある。また止まった列車を動かすために、命を落としたものもいる。それでも誰もこの列車には文句は言わないものだ。それは皆がこの列車が正しいところに向かっていると信じているからだ。」
それから父親は手すりにつかまって辛そうな身体をようやくおこした。いつの間にか車窓からは目映いほどの星が煌めいている。その中でも大きく赤く瞬いているのは蠍座のアンタレスかもしれない。
「そろそろ時間だね。とうさんはここで列車を降りて母さんと会ってくるよ。お前も家出たしさ、今は振り出しに戻って家族は母さんと2人だ。でも母さんとはさ、最初に出会った頃のようで、それはそれで楽しいものさ。ほら、これも買ったしさ。」
そう言って父親はラム肉の生ハムサンドイッチで有名なパン屋の包み紙を見せた。
「とうさん、僕も一緒に降りるよ。とうさんとても疲れてそうだし。これまで迷惑かけてばっかりで、何もしてあげられなかったし。せめて今日ばかりは親孝行させてくれよ」
「ありがとう、でもお前はまだ降りれないんだよ。お前がこの列車の運転手なんだから。どんなことがあろうと、誰から何を言われようと、お前が本当に正しいと思う方向に向かってこの列車は進んでいくんだ。大丈夫、落ち着いたらまた会えるから」
それだけいうと、父親は井戸の底のように深くて暗い駅のホームの中に消えていった。
小さな赤い点となって消えていく父親の後ろ姿を見送りながら、父親が亡くなってもうだいぶ経ったんだなってこの時ようやく思い出した。