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その日は結局、初の顔合わせというのものあり、私の体調にも気を遣わせてしまい、お開きとなった。
マーカスはともかく、院長まであぁ言うのは、おそらくポーラさんのせいだろう。体調は全快なのに……。
全く、パトリシアから『銀竜の乙女』に繋がりそうな情報を、聞けていないので、残念でならなかった。特に、男主人公であるルカ・カリフとは、もう出会っているのか。どんな状況下で召喚されたのか。それによって、物語がどこまで進んでいるのかが、分かるからだ。
そういえば、どんな風に二人は出会うんだったっけ。
自分の部屋のベッドの上で、ゴロゴロしながら、『銀竜の乙女』の内容を思い出していた。
確か、パトリシアがマーカスを探しに家を出てから、そう間を空かずに、二人は出会うことになっている。まぁ、そうしないとストーリーが進まないからね。
だから、召還された際、パトリシアが侯爵家にいた場合は、まだ出会っていないことになる。次に会った時に、確認してみよう。可笑しな質問だとは、思われない内容だから、大丈夫だろう。
仮に、侯爵家を出ていた場合だと、二人は出会っている可能性が高くなる。
パトリシアは、護衛を付けずに出てきていたために、街にいるガラの悪いチンピラに絡まれるのだ。旅に出る装いはローブを纏うくらいで、中に着ている服も、町娘よりも少し上等な服装だったことが、絡まれた原因だった。
その中の一人に、ルカがいた。
チンピラたちの溜まり場になっていた、ぼろぼろの空き家に連れ込まれたが、パトリシアは右腕にある生贄の証である、蔦のような模様の痣を盾に、身を守る。
「そう、これに触れれば、呪われるとか言って」
実際は、呪われることはないが、そういえば自身に触れたりはしないだろう、と考えて。意外とチンピラどもは、そういうものに弱いから、金品だけ奪われて、街外れの森に捨てられてしまう。
その時にルカが、同情して付いてきてくれるのだ。侯爵令嬢として生まれたパトリシアなら、同情されることなど、プライドが傷ついたかもしれない。けれど、頼る者も宛もなく、さらに生きていく上で必要な金銭もない。
「同情だろうが何だろうが、一人よりかは良いと思うもんね」
それはアンリエッタもまた、同じだった。孤児院から逃げた先で出会った、イズル夫妻から寄せられた、最初の感情は同情だったと思う。そうでなければ、孤児の言葉に耳を傾けたりしないだろう。食べ物を与えることなど、しなかったはずだ。
当時のことを思い出したら、睡魔が襲ってきた。あまり思い出したくない、記憶だったからだろうか。
それでも、目を擦りながら、ルカの特徴を思い出してみた。確か、黒髪黒目だった。
「ん?」
最近、同じ特徴の人物を見たような……。
「どこ……だった……か……な……」
そんな特徴の人間なんて、いっぱいいるから思い出せないのか、それとも眠くて頭が働かないのか。そのままベッドの上で、アンリエッタは眠りについた。
***
次に気がついた時には、朝になっていた。仕事をしていないのだから、そんなに疲れることなんてないはずなのに。
やはり、マーカスの言う通り、本調子じゃないのかな。いやいや、体力が落ちただけ。早く仕事に戻れば、自然と体力は戻るはず。まだ若いんだから。それには、マーカスを説得しないと。
そう思い、ベッドから起き上がると、その当人がいた。ベッドの端に、何故かうつ伏せになっている、マーカスが。
こ、これは、どういう状況なの? 無断で入ってきた、ってことよね。いくら何でも、これは怒っていいよね。
「マーカス」
感情は確かに怒っているのに、呼びかける声は、穏やかになっていた。それは、朝日を浴びて光っているように見える、金色の髪がいけなかった。触れてみたくなるような、ふんわりした髪に手を乗せると、撫でたくなるような、触り心地がしたのだ。
二,三度、髪を撫でた頃に、マーカスが顔を上げた。寝ぼけているのか、無防備な顔を向けられた。
「おはよう」
「お、おは、よう」
昨日、パトリシアに会ったせいか、一瞬彼女に微笑まれたのかと思った。普段見せるマーカスの笑みは、そう見えないように、敢えて務めているのかと、錯覚するほどだった。
しかし、それを考慮すると、逆の考えが思い浮かんだ。
「マーカス。自分の部屋のベッドで寝た方が、ちゃんと疲れが取れると思うわよ」
ベッドで寝ないから、疲れるのだと。そして、こんな所にいないで、自分の部屋で寝ろ、とオブラートに包んで伝えた。
私の場合、オブラートに包み過ぎてしまい、相手に伝わらないことが多いが、察しの良いマーカスには、通じるだろうと思っていた。
「大丈夫。ちゃんと疲れは取っているから」
ん? 寝起きだからなのか、これは通じていない気がする。
「そうじゃなくて、どうして私の部屋で寝ているのか、ってことよ」
我慢できず、ストレートに聞いた。けれどマーカスに、詫びられた様子は見られなかった。
「あぁ、そのことか。アンリエッタは、よく眠れたか」
「えぇ。もう体調は全快だから、今日から店を出しても、構わないでしょう」
「ダメだ。まだ全快じゃない」
マーカスの頭から手を離し、いくら何でもやり過ぎだと、抗議を込めて睨んだ。さきほどの怒りも相まって、爆発した。
「じゃ、何だったらいいの? もう大丈夫なのに、まだダメダメって言って、行動を制限させられる、こっちの身にもなってよ!」
しかし、カチンときたのは、アンリエッタだけではなかった。突然立ち上がったマーカスに、押し倒され、体の自由を奪われた。
その途端、そんなに痛くもなかったのに、背中に痛みを感じ、苦しくなり叫びそうになった。するとマーカスは、アンリエッタの上から体を退けた。そして、アンリエッタの背に腕を回し、逆に抱き寄せた。
「すまない。思い出したくもないことを、思い出させて」
そうだ。魔法陣に捕らわれていた時に感じた、あの痛みと辛かった出来事を思い出し、マーカスにしがみついた。呼吸を整えようにも、上手くいかず、ただ必死に堪えることしか出来なかった。
しっかりと抱き抱えられ、髪を優しく撫でられ、背中も摩ってくれた。それがどれだけ経ったのか、分からないが、ようやく呼吸が安定してきた頃に、マーカスがゆっくりと現状を話してくれた。
「医者が言うには、事件の後遺症なんだそうだ。時間が経てば治ると言っていた。……覚えていないだろうが、夜中に何度も、これを繰り返している」
「いつ……から?」
「目を覚ます前からだ。覚ました後は、大分回数も減ったが」
後遺症があったなんて、知らなかった。そんな話、してもくれなかったじゃない。
手慣れた様子で、アンリエッタを介抱するマーカスに、ある予感が脳裏を過った。
「もしかして、その度にこうしてくれたの?」
「これだけは、譲れないからな」
「だから、まだ全快じゃない、って?」
「自覚はないだろうが、夜中に何度も起きていたら、ちゃんと休めているようには思えなんだ」
予感は的中した。つまり、逆を言えば、マーカスの方が、ちゃんと体を休めていないのだ。だから、正常な判断が出来なくなっている。
アンリエッタは、マーカスから体を放し、ベッドから抜け出した。そして、マーカスの手を取った。
「アンリエッタ?」
呼びかけはするものの、アンリエッタの行動を止めようとはしなかった。さきほどの行動に、罪の意識を感じているのかもしれなかったが、アンリエッタにとっては、好都合だった。
マーカスの部屋へ行き、そのままベッドに座らせた。
「休んで。私のせいで、ちゃんと眠れてないんでしょう。ごめんなさい。気づいてあげられなくて」
「いや、仮眠は取っている」
「仮眠じゃなくて、睡眠は?」
言葉を間違えないで、とばかりに言うと、マーカスは黙り、目を逸らした。その態度で答えを貰ったアンリエッタは、マーカスの肩を押した。
「取引をしない?」
「一緒に寝る取引?」
アンリエッタの腰を抱き寄せて、平然とマーカスは言った。
これは、寝言は寝て言え、と言った方がいいのかな。それとも、殴ってでも寝かすか?
そんなアンリエッタの雰囲気を察したのか、マーカスは手を放した。
「それで、取引って?」
「うん、私思ったんだけど、何もしていないから、いつまで経っても、後遺症が治らなかったんじゃないかなって。だから、店を開けて仕事に没頭していれば、事件のことなんて忘れて、後遺症だって治ると思うの。マーカスも睡眠を十分取れるようになるし、一石二鳥でしょ」
「仕事を許可する代わりに、何をしてくれるんだ?」
そう、これは提案ではなく、取引だ。仕事をすれば後遺症が治るなんて、根拠のないことを、マーカスが容認するとは思えず、咄嗟に出た言葉だった。しかし、代わりの案件までは、すぐに思いつかなかった。
どうしよう。マーカスに利益になることじゃないと、簡単に受け入れてくれないだろうから。
「やっぱり、一緒に寝る?」
「なんで!」
代わりの案件を用意していなかったことを、見抜かれたと思ったら、とんでもないことを言い放たれた。
「後遺症はまだ、治っていないんだ。介抱しにアンリエッタの部屋に行くよりも、ここで一緒に寝る方が、俺も十分に睡眠が取れるし、一石二鳥だろ」
なんだろう。急に形勢逆転されて、窮地に追い込まれたような感覚がした。
「ちょうどこのベッドは、アンリエッタの部屋のベッドより広いから、良い取引だと思うんだが」
マーカスの部屋は、元々物置同然の部屋として使っていたが、その前の用途は、イズル夫妻が立ち寄った際に、寝泊りする用の部屋だった。だから、ベッドがダブルベッドになっているのだ。
「よ、良くない! それに、ただ寝るだけなんて、マーカスに出来るの?」
目を覚ました時に、しようとしたこと、覚えているんだからね!
「俺が睡眠を取れないのは、困るんだろ」
「そうだけど。私の質問にも答えて」
ちゃんと言質を取っておかないと、信用できない。しかし、マーカスは言葉を濁そうとする。
「別に一緒に寝ること自体はいいだろう。俺たちは恋人同士なんだから」
「……そうだけど。それ以上は、まだダメ」
「どうして」
「私の勘がダメって言っているから」
そんな言い訳が通用するか分からなかったが、“勘”というのも、本当だった。私がマーカスを受け入れられないのではなく、“勘”がまだダメだと、そう告げているのだ。
「こないだの事件には、役に立たなかった勘を信じるのか?」
「あ、あれは仕方がなかったの!」
浮かれていたからだとは、言えない。
「とにかく、守れないのであれば、その案件は却下!」
「分かった。何もしないと、約束すればいいんだな」
「うん。でも、今は一人で寝て。私は仕事の準備をしないといけないから」
そう言って、マーカスの肩を押した。どうせ、マーカスは私を理由に、自警団の仕事を休んでいるのだ。このまま寝ていても、何ら問題はなかった。あったのは、マーカス本人の不満だけ。
「そんなすぐに始めなくてもいいだろう」
「そうはいかないよ。どれだけ休んじゃったと思っているの! 今からでも、遅いくらいなんだから」
薄情だとは思われるかもしれないが、足早に部屋から出ようとした。これで邪魔されることもなく、仕事に取り掛かれるからだ。
まずは足りない材料をチェックして、それからロザリーに、会いに市場へ行かなくてはならない。長いこと開けていなかったから、恐らく材料は揃っていないだろう。
今から準備をすれば、お昼の開店には間に合うはずだ。と意気込んでいると、後ろから声がかかった。
「外出は、俺が起きてからにしてくれ」
「……護衛がついている、って言ってなかった?」
「それとこれとは、別だ」
邪魔されることなく、はまだ当分無理そうだった。アンリエッタは振り返り、マーカスに近づいた。
「わかったから、起きるまで待っているから、今はもう寝て」
駄々をこねる子供にするように、マーカスに布団を容易にかけた。いくらマーカスの方が、体が大きくても、孤児院で培ったアンリエッタの経験の方が勝っていた。
有無を言わせず、寝かしつようとする仕草に、マーカスも観念した様子だった。それが何だか懐かしく思い、アンリエッタはベッドの傍に座り込み、マーカスの胸の辺りを、軽く叩いた。
「子守歌も必要?」
いたずらっぽく言うと、少し驚いた様子だったマーカスも、同じような表情をした。
「是非、お聞かせ願えませんか」
「いいですよ。ただ、苦情は受け付けませんので」
ふふふっ、とお互い笑い合うと、アンリエッタは静かに子守歌を歌い始めた。すると、意外にも早く、マーカスの吐息が聞こえてきた。
やはり、十分眠れていなかったらしい。アンリエッタはそっと、マーカスの額にキスをして、部屋を出て行った。