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第3話「エルフの耳は正直すぎる」
午前九時十二分。
相沢直人は仕事をしているふりをしながら、二つ離れた席を見ていた。
森野リリカはパソコンに向かっている。
いつも通りだった。
きれいに巻かれた髪。
白いブラウス。
薄いグレーのカーディガン。
真面目な表情。
どこから見ても普通の二十六歳の会社員である。
ただし実年齢百四十三歳。
そしてエルフ。
さらに、昨夜、
『好きな人はいません、と言いましたが』
という謎のメッセージを送ってきた女性でもある。
相沢はもう一度スマートフォンを見た。
もちろん続きは来ていない。
「相沢さん」
「はい!」
突然声をかけられた。
森野だった。
「何ですか?」
「いや、何でもない」
「さっきからこっち見てますよね」
「見てない」
「見てます」
「気のせい」
森野はじっと相沢を見た。
その瞬間。
髪の中で何かが動いた。
ぴく。
相沢は目を細めた。
「今、動いた?」
「何がですか」
「耳」
森野の顔が一瞬で赤くなった。
「動いてません」
ぴく。
「動いた」
「動いてません!」
ぴくぴく。
「二回動いた」
「仕事してください!」
森野は両手で髪を押さえた。
相沢は笑いをこらえながらパソコンへ向き直った。
なるほど。
これは面白い。
エルフの耳は、感情に反応するらしい。
午前十時。
営業企画部の定例ミーティングが始まった。
部長が資料を配る。
「来月の新商品の販促についてだけど」
全員が資料を見る。
森野も真剣な表情でページをめくっていた。
相沢は隣の席になった。
偶然である。
たぶん。
「相沢君」
部長が言った。
「この数字、説明して」
「はい」
相沢は立ち上がった。
売上予測について説明する。
その途中で、ふと森野を見る。
森野は真面目に聞いていた。
しかし。
髪の中の耳が少しだけ動いた。
ぴく。
相沢は言葉に詰まった。
「どうした?」
部長が聞く。
「いえ」
説明を続ける。
また森野を見る。
ぴく。
「……」
これは何だ。
なぜ俺が話すと耳が動く。
相沢は気になって仕方がない。
会議が終わった。
席へ戻る途中、森野が小声で言った。
「見ないでください」
「何を?」
「耳です」
「見えないよ」
「見ようとしてるでしょう」
「してない」
「してます」
ぴく。
相沢は笑った。
「ほら」
「何ですか」
「また動いた」
「知りません」
森野は早足で席へ戻った。
昼休み。
相沢は社員食堂へ向かった。
森野はいつも同僚の女性たちと食べている。
今日もそうだろうと思っていた。
ところが。
「相沢さん」
振り返ると森野がいた。
「一緒に食べませんか」
「俺と?」
「嫌ならいいです」
「嫌じゃない」
二人は社員食堂へ入った。
森野は日替わり定食。
相沢はカレー。
向かい合って座る。
「珍しいね」
「何がですか?」
「森野さんから誘うの」
「たまたまです」
ぴく。
相沢はスプーンを止めた。
「今の嘘?」
「何がですか」
「耳」
森野が箸を置いた。
「相沢さん」
「はい」
「一つお願いがあります」
「何でしょう」
「耳で嘘を判定するのをやめてください」
「そんなことできるの?」
「できません」
ぴく。
「できるんだ」
「できません!」
ぴくぴく。
相沢は笑った。
「便利だな」
「本人には最悪です」
森野は髪を押さえた。
「子どもの頃から困ってるんです」
「子どもの頃?」
「はい」
相沢は想像した。
小さなエルフの少女。
長い耳。
感情が出るたびにぴくぴく動く。
「かわいかっただろうな」
森野が止まった。
「何がですか?」
「子どもの頃の森野さん」
耳が大きく動いた。
ぴくん。
森野は慌てて髪を押さえた。
「そういうことを急に言わないでください」
「何で?」
「耳が反応するからです」
「かわいいって言われると?」
「違います」
ぴく。
「反応した」
「もう!」
森野は味噌汁を飲んだ。
耳を隠すように髪を押さえながら。
相沢は思った。
昨日までとは少し違う。
正体を知る前の森野は、完璧な女性だった。
仕事ができる。
愛想もいい。
服装もきちんとしている。
そして少し近寄りがたい。
しかし今は違う。
百四十三歳なのに照れる。
耳が動く。
経費精算が嫌い。
ネット通販を使う。
雨の日は髪型を心配する。
ずいぶん普通だった。
「何ですか?」
森野が言った。
「いや」
「また見てます」
「森野さんって面白いなと思って」
「どこがですか」
「エルフなのに普通で」
森野は少し黙った。
「普通じゃ駄目ですか?」
「逆。普通だからいい」
森野の箸が止まった。
ぴく。
耳が動く。
今度は相沢も何も言わなかった。
午後二時。
事件が起きた。
総務部の女性社員が営業企画部へやってきた。
「森野さん」
「はい」
「来週の会社案内の撮影なんだけど」
「撮影?」
「若手社員紹介のページ、森野さんにお願いしたいって」
森野の表情が固まった。
「写真ですか?」
「そう。顔写真」
「……」
「嫌?」
「いえ」
明らかに嫌そうだった。
相沢には理由が分かった。
耳だ。
写真撮影では髪型を整えられる。
場合によっては美容担当が髪を触るかもしれない。
「ヘアメイクさんも来るから」
総務の女性が言った。
森野の顔色が変わった。
予想通りだった。
「ヘアメイク」
「うん。プロの人」
「髪も?」
「もちろん」
森野の耳が髪の中で激しく動いた。
ぴくぴくぴく。
相沢は立ち上がった。
「あの」
二人が見る。
「森野さん、来週忙しくない?」
「え?」
「例の企画」
森野は一秒で理解した。
「そうでした!」
「締め切り近いよね」
「はい!」
総務の女性が首をかしげる。
「じゃあ別の人にする?」
「すみません」
「分かった。田中さんに聞いてみる」
女性は帰っていった。
森野は大きく息を吐いた。
「助かりました」
「危なかったな」
「ヘアメイクは無理です」
「耳触られたら終わり?」
「終わります」
「耳って触られるとどうなるの?」
森野が固まった。
「……何でそんなこと聞くんですか」
「単純な疑問」
「普通です」
ぴく。
「嘘だ」
「普通です!」
ぴくぴく。
「絶対何かある」
「ありません」
「触られると痛い?」
「違います」
「くすぐったい?」
「違います」
「じゃあ」
森野は真っ赤になった。
「この話は終了です!」
そのまま席へ戻っていった。
相沢は首をかしげた。
何なのだろう。
午後六時。
仕事が終わった。
相沢がパソコンを閉じる。
森野も帰り支度をしていた。
目が合った。
「帰る?」
「はい」
「駅まで一緒に行く?」
一瞬、森野の耳が動いた。
「……仕方ないですね」
「嫌なら別に」
「嫌とは言ってません」
二人で会社を出た。
夕方の街を歩く。
昨日より自然だった。
秘密を共有したからなのか。
それとも別の理由なのか。
「森野さん」
「はい」
「昨日のメッセージ」
森野の歩みが止まりかけた。
「何のことですか?」
「好きな人はいません、と言いましたが、の続き」
「忘れてください」
「気になる」
「忘れてください」
「誰かいるの?」
森野は答えない。
ぴく。
耳が動いた。
「いるんだ」
「……」
「会社の人?」
ぴく。
「会社の人なんだ」
森野が立ち止まった。
「相沢さん」
「はい」
「耳で尋問するのは禁止です」
「でも反応するし」
「禁止です」
「じゃあ普通に聞く」
相沢は森野を見る。
「誰?」
「言いません」
「俺の知ってる人?」
森野は答えない。
耳も動かない。
「うまく隠したな」
「百四十三年生きていますから」
「こういうときだけ年齢を武器にするんだ」
「経験値が違います」
森野は少し得意そうだった。
駅が近づく。
人が増えてきた。
そのとき、強い風が吹いた。
森野の髪が大きく揺れた。
「あっ」
髪の間から細長い耳の先端が出る。
相沢は反射的に森野へ近づいた。
自分の体で人の視線を遮る。
「直して」
「はい」
森野が慌てて髪を整える。
数秒。
「大丈夫?」
「大丈夫です」
周囲を確認する。
誰も気づいていない。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
森野は髪を押さえたまま歩いた。
相沢はその隣を歩く。
しばらく沈黙が続いた。
「相沢さん」
「何?」
「どうしてそんなに普通なんですか?」
「何が?」
「私がエルフだって知ったのに」
相沢は少し考えた。
「最初は驚いたけど」
「はい」
「森野さんは森野さんだから」
森野が止まった。
相沢も止まる。
「何?」
「……そういうことを」
「何」
「急に言うの、ずるいです」
「何が?」
森野は両手で髪を押さえた。
しかし間に合わなかった。
髪の中で耳が激しく動いている。
ぴくぴくぴくぴく。
相沢は笑った。
「すごい動いてる」
「見ないでください!」
「見えないって」
「感じるんです!」
「自分で?」
「分かります!」
森野は顔を真っ赤にしたまま駅へ向かった。
相沢が追いかける。
「待ってよ」
「知りません」
「怒った?」
「怒ってません」
ぴく。
「怒ってる」
「耳を判定機にしないでください!」
改札前。
森野が足を止めた。
「では、また明日」
「うん」
相沢は少し迷った。
そして言った。
「森野さん」
「はい」
「今日もかわいかったよ」
森野が完全に固まった。
数秒。
耳が髪を押し上げるほど動いた。
「……相沢さん」
「何?」
「明日から」
「うん」
「必要以上に私へ話しかけるの禁止です」
「何で?」
「耳がもちません」
森野は改札を抜けた。
相沢はその背中を見送った。
十歩ほど進んだところで、森野が振り返る。
そして小さく手を振った。
相沢も手を振る。
森野はまた前を向いた。
その夜。
午後十時三十四分。
相沢のスマートフォンが鳴った。
森野からだった。
『お願いがあります』
相沢は返信する。
『耳のこと?』
すぐ返ってきた。
『違います』
『じゃあ何?』
しばらく返信がない。
三分後。
『今度の土曜日、空いていますか』
相沢は画面を見つめた。
土曜日。
会社ではない。
休日だ。
『空いてるけど』
既読。
一分。
二分。
返信。
『一緒に来てほしいところがあります』
『どこ?』
また沈黙。
やがてメッセージが届いた。
『エルフの集会です』
相沢はベッドから起き上がった。
『え?』
森野から続けて届く。
『人間は原則参加禁止です』
『俺、行っていいの?』
長い沈黙。
そして。
『たぶん』
相沢は嫌な予感がした。
『たぶん?』
森野から最後のメッセージが届いた。
『私が人間に正体を知られたことを、報告しなければならなくなりました』
相沢は画面を見つめた。
昨日まで、自分の会社にはかわいいエルフが一人いるだけだと思っていた。
どうやら。
そうではないらしい。
コメント
1件
わあ、第3話もすっごく良かったです…!もうエルフの耳がぴくぴく動くたびにこっちまで照れちゃいますね🤭 相沢さんの「森野さんは森野さんだから」って言葉、すごく優しくてじんわりきました。しかも最後の「エルフの集会」って…次回が気になりすぎます!二人の距離が少しずつ縮まっていく感じがたまらないです🌷