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とうとう一緒に絵を見に行くことになった。美術館はデートのお決まりコース。そんな非現実的な場所を選ぶのも、まあよくあること。冴子にとっては、映画を見に行くよりも良いというくらいだった。絵を見るのは個人的にも好きだし、仕事柄、自分磨きにも最適だったし。美術館の最寄り駅で待ち合わせをした。改札で彼を待つ。
携帯にメールが来る。
『どこにいますか?』
冴子はもう改札を出ていた。改札の中にいる良彦の姿を見つけた。笑顔で手を振ってみる。彼は嬉しそうに駆け寄ってくる。
「待ちましたか?」
「いいえ、今来たところです。いい天気でよかったですね。」
「ほんとですね。さ、行きましょう。」
美術館を目指して歩いていく。今日は確か『レンブラント展』が開催されているはず。冴子は特には宗教画に興味はなかったが、後学のために、冴子の方からぜひ観てみたいと言い出したのだった。
良彦は普通に絵を観て回った。言葉は少なかった。そのおかげで冴子もじっくりと絵を観賞することができた。下心があるのかないのか。それはあるに決まっている。でも冴子は心のどこかでそうでないことを願っていた。
でも、どうなるものでもなかった。独身の冴子にとって、結ばれるはずのない恋愛など、何の価値もなかった。良彦はどんなつもりで冴子に近づいてきたのか。あんなマイホームパパさんが、家庭を壊してまで冴子とのことを真剣に考えるはずもない。
「加奈子さん、疲れませんか?」
「ええ、大丈夫です、ありがとう。」
そんな優しい言葉についふらふらっとくる。でもそれも全部、幻のようなもの。騙されてはいけない。いえ、騙されたふりをしていればいいのだ。
一通り全部観て回ると、時計の針はちょうど12時をさしていた。
「そろそろ出ましょうか。」
「そうですね。」
「どこか食事でもいかがですか?」
「ええ、そうしましょう。」
美術館を出ると、公園の中を少し散歩しながら、食事のできるところを探すことにした。爽やかな5月、新緑のきれいな季節だった。
ふと良彦の左手が冴子の右手に触れた。とその瞬間、良彦は手ちょっとためらった後冴子の手を握ってきた。やはりこういうことになるのか、と冴子は思いながら、その手をそっと振りほどいた。
「ごめんね、加奈子さん。」
「いえ・・」
「ほんとにごめんね・・」
少し沈黙が流れた。でも、それから冴子は、今度は自分から手を握ってあげた。そして良彦を見上げてそっと微笑んであげた。(こんな感じでどう?きっとうまくいくわね、きっと)男なんて単純だ。(でも、あなたが結婚していなかったらよかったのにね)
良彦は嬉しそうだった。41歳とは思えないほど、子供のようにはしゃいでいる。(ごめんね)冴子は心の中でつぶやいた。
冴子は何度もやめようと思った。こんなこと。でももう少し。もう少ししたら、もうやめよう。結婚できない恋愛なんて、はじめから自分が傷つくのがわかっている。それなのに、この男は私に近づいて、私の心をもて遊ぼうとしている。勿論、彼はそんなことは意識しているわけがない。だから、気づかせてやりたいのだ。こんなナンセンスなこと、もうやめなければいけない、と気づかせてあげたい。そのためには、もう少し、彼に夢を見てもらおう。冴子が繋いだ手をちょっと強く握ると、良彦もぎゅっと握り返した。またもや勘違いさせている。彼はどんどん冴子を、いえ、加奈子を自分のものにできると喜んでいるに違いない。