テラーノベル
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その夜。アンナから受け取った書類の精査を終え、夫婦の寝室へ戻ったのは、夜11時を回った頃だった。
(あー、疲れた……。さっさと寝て、明日は朝一番で続きを確認しないと)
そう思いながら寝室の扉を開け――足が止まった。
(え。まだ起きてたの?)
カイル殿下はベッドの端に腰掛け、深々とうなだれていた。その背中からは、雨に濡れた大型犬のような哀愁が漂っている。
(……何、この面倒くさそうな空気)
できることなら、見なかったことにして寝てしまいたい。けれど、さすがにそういうわけにもいかず、仕方なく隣へ腰を下ろした。
「……殿下? どうかされましたか?」
「……俺は、今日の茶会を楽しみにしていた」
「え?」
「お前と初めて、ゆっくり話せる時間だと思っていたのだ」
「…………」
(うっ)
痛いところを突かれた。確かに私は、用意されたスイーツを綺麗に平らげた。
そして食べ終わるや否や、カイル殿下を置き去りにして執務室へ直行。言われてみれば、かなり食い逃げに近い。
「……俺は、お前が何を考え、何を好み、どんな時に笑うのか……もっと知りたい」
「…………」
(え、この人……何を言っているの?)
(……重い! 重すぎるわ! めちゃくちゃ面倒くさい方向に拗れちゃってるじゃないの!)
私たちは政略結婚で結ばれた夫婦だ。ろくに会話もしないまま、二人きりになると妙に距離が近い関係だ。
それなのに――。伏せられた横顔は、痛みを堪えるようで。胸の奥が、ちくりと痛んだ。
「……そんな顔をなさらないでくださいませ」
小さく息を吐き、そっと胸元へ抱き寄せた。
「……ソフィア?」
「今日のことは、少し私が悪かったですわ」
「……少しだけなのか」
さらさらした髪を、拗ねた大型犬でもなだめるように撫でる。
「ふふっ。次は私からお茶へお誘いしますわ。……それで許していただけますか?」
カイル殿下が、ぱっと顔を上げた。
「本当か?」
「ええ」
「……必ずだぞ」
「はいはい」
「返事が軽いな」
「面倒なワンちゃんね」
「誰が犬だ」
むっとした顔をしつつも、私の腕から離れようとはしない。むしろ、さらにぎゅっと力を強めた。
(……大型犬以外の何だっていうのよ)
「ソフィア」
「今度は何ですの?」
「……もう少し、このままでいていいか」
「……少しだけですわよ」
「ああ」
そう答えたカイル殿下が、ゆっくりと顔を上げる。視線が重なった。
そして――。そっと、唇が触れた。
***
夜中、一度だけ目が覚めた。
(……薬)
寝る前に飲むはずだったものを、すっかり忘れていた。
枕元の置時計へ目を向ける。けれど、寝ぼけた視界では針の位置もよく分からない。
(起きなきゃ……)
そう思ったのに。背後から回された腕が、ぎゅっと私を抱き寄せた。
「……ソフィア」
名前を呼ばれる。
「…………」
(明日の朝一番で飲めば……いいわよね)
その温かさに負けて、私は再び瞼を閉じた。
***
「……しまった!」
次に目を覚ました時には、窓の外が白み始めていた。
隣を見る。カイル殿下は、すやすやと眠っている。
一方の私は――。死んだ目で天井を見つめていた。
(……ちょっとかわいそうなんて思って、マジで損したわ)
のろのろと身体を起こし時計を見る。そして、頭を抱えた。
(“もう少しこのままで”って、どこが少しなのよ!?)
(結局、朝まで離してくれなかったじゃない!)
横を見る。眠る張本人は実に幸せそうだ。
カーディガンを羽織り、執務室へ向かおうとして――。
「……あ」
足が止まった。
(薬!)
慌てて自室に戻り、化粧台へ向かう。奥から、小さな薬瓶を取り出した。月に一度、城下町の薬屋からこっそり買っているものだ。
毎日、ほぼ決まった時間に飲むことにしている。瓶から一錠を取り出し、口に含む。
(だいぶ遅れちゃったけど……たった一度くらい、大丈夫よね)
そう自分に言い聞かせ、私は薬瓶を元の場所へ戻した。
コメント
1件
ああ、もう……18話、すごく良かったです……! カイル殿下の拗ね方、完全に大型犬じゃないですか(笑)。「少しだけなのか」って返しに思わず笑っちゃいました。でも、そのあとの「もう少しこのままで」の甘さがたまらない……。 そしてソフィアが薬を飲み忘れてしまうシーン、あの温もりに負けてしまうのが、なんとも人間らしくて切ない。お互いに少しずつ心を許し始めているのが伝わってきて、胸がぎゅっとなりました。次も絶対読ませていただきます……!🌷
ひより
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鷹槻れん

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世羅 鈴🎨🎤
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百はな🍑
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