テラーノベル
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◇――と、今でこそ笑って話せるけどさ。
あの頃の僕は、本当に「生きること」そのものが怖かったんだ。
なにしろ、発動条件が『死の危険』と『異常なアドレナリン』でしょ?
普通に過ごしてたら、そんなの滅多に起きないじゃない。
だから小・中学生の頃の僕は、ただただ自分を押し殺して生きてた。
「感情を動かさない」
「人と争わない」
「目立たない」
そうやって自分の殻に閉じこもって、息を潜めるみたいに毎日をやり過ごしていたんだ。
◇
運命が変わったのは、中学2年の秋。
雨が降りそうな、薄暗い放課後だった。
いつもの帰り道。
普段なら絶対に立ち寄らない、古い雑居ビルの前で足が止まった。
……ドスッ、ドスッ。
地下へ続く階段から、腹に響くような重い音が漏れ聞こえてくる。
【陣内ボクシングジム】
剥げかけた看板。
湿気と、汗と、革の匂い。
吸い寄せられるように階段を降りて、重いドアの隙間から中を覗き込んだ。
そこには、今まで僕が避けて生きてきた「暴力」の塊があった。
リングの上で、汗を撒き散らしながら殴り合う二人。
セコンドの怒鳴り声。
ミットを叩く破裂音。
(ヒッ……!)
一瞬、背筋が凍りついた。
足がすくんで、逃げ出そうとしたその時――
「おい、坊主。人のジムを泥棒みたいに覗いてんじゃねえよ」
背後から、低く濁った声が響いた。
振り返ると、そこに立っていたのは……鬼だった。
顔に大きな傷跡。
頬には削げ落ちたような無数の擦り傷。
鋭い眼光で僕を射抜いていたのは、元・東洋太平洋王者の陣内(じんない)会長だった。
「ひっ……すみま――」
「入れ」
「え?」
「雨が降ってくんだろ。邪魔だから中に入れ」
半ば強引に首根っこを掴まれて、ジムの中に引きずり込まれた。
◇
「ほら、これ嵌めてみろ」
渡されたのは、使い古されてボロボロになった14オンスのグローブ。
ずっしりと重くて、カビと汗の混ざった匂いがした。
「え、あの……僕、ボクシングなんて……」
「いいからサンドバッグ叩いてみろ。暇つぶしだ。一回500円取るぞ」
「取られるんですか!?」
軽口を叩きながらも、会長の目は笑っていなかった。
僕が恐怖で身体を強張らせているのを、見透かしているようだった。
「……打ってみろ」
言われるままに、目の前にぶら下がる巨大な革の袋――サンドバッグに向き合う。
ポカッ。
頼りない音が響いた。
手首がグニャリと曲がり、拳に鈍い痛みが走る。
「……プッ、なんだその軟弱な突きは。豆腐でも殴ってんのか?」
リングの上で汗を流していた先輩ボクサーたちが、クスクスと笑った。
恥ずかしくて、顔が熱くなる。
やっぱり、僕なんかここに来るべきじゃなかったんだ。
僕は怪物を隠して生きるべきで、こんな格闘技の世界なんて――
「おい」
陣内会長が、僕の手首をガシッと掴んだ。
その手はゴツゴツとしていて、まるで岩みたいに硬かった。
「……お前、力入れすぎだ。拳を握り込んで殴るから手首が曲がる。インパクトの瞬間まで力を抜け。手首を固定しろ。……もう一回だ」
「……え?」
怒られると思って身構えていた僕は、拍子抜けした。
会長は笑っていなかった。
冷やかすでもなく、バカにするでもなく――ただ『指導者』の目で僕を見ていた。
◇
それから、僕の「地獄の日常」が始まった。
未来視を使って無双?
そんなの、ずーっと先の話。
最初の数ヶ月間、僕がやったことと言えば――
・ひたすら床を磨く雑用
・真っ直ぐジャブを打つためのシャドーボクシング
・陣内会長の怒号を浴びながらのロープ跳び
これだけ。
「腰が入ってねえ!」
「アゴを引け! 刺されるぞ!」
「フットワークが重い! ドタバタ走るな!」
毎日、毎日、基礎の基礎。
少しでも気を抜けば、会長のバンテージ巻いた拳が小突いてくる。
未来視なんて、発動する余地すらなかった。
だって、目の前にあるのは「死の危険」じゃなくて、ただの「地味で苦しい反復練習」だったから。
でも――不思議と、嫌じゃなかったんだ。
今まで僕を苦しめてきた「圧倒的な体感」や「鋭すぎる勘」。
それを、会長は全部『基礎体力とフォーム』という土台で受け止めてくれようとしていた。
「いいか未来。パンチってのはな、腕で打つんじゃねえ。足の裏で床を蹴り、腰を回し、その回転を拳の先に乗せるんだ」
「……こう、ですか?」
シュッ!
初めて、サンドバッグから『パンッ!』と乾いたいい音が鳴った。
手の平に伝わる、芯の通った手応え。
「……ふん。まあ、ちょっとは様になってきたじゃねえか」
会長が、フッと鼻で笑った。
その瞬間、僕の胸の奥で、小さく温かいものが弾けた。
(あぁ……僕、ボクシングをやってるんだ)
自分の異常な能力に怯え、世界から隠れていた僕が。
初めて「自分の努力」で、自分の身体を動かしている実感。
未来視なんて関係ない。
『刃向未来』という一人の人間が、汗を流して強くなろうとしている時間が、たまらなく愛おしかった。
◇
――そして、ジムに入って半年が過ぎた、冬のある日。
僕に、初めての「試練」が訪れる。
「未来。今日のスパーリング、お前の相手をしてもらう」
陣内会長が指さしたのは――
ジムで一番粗暴で、デビュー間近の高校生ボクサー、鷹村(たかむら)さんだった。
「へっ、会長。こんなもやしっ子とやれって? 壊しちゃいますよ」
ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべる鷹村さん。
リングに上がる僕の足は、ガタガタと震えていた。
(怖い……。練習とは違う。本物の『殺気』だ……)
ゴォン……と、頭の中でジムの鐘が鳴る。
14オンスのグローブを顔の前に掲げ、必死にガードを固める僕。
その目の前で、鷹村さんがニヤリと笑い、強烈な左ジャブを放ってきた。
風を切る音。
圧倒的な圧力。
――その瞬間。
ドクンッ!!
半年間、眠っていた僕の心臓が、激しく跳ね上がった。
全身の血が逆流する。
視界の端が、スーッと青く澄み渡っていく。
(……あ)
半年間の地道な基礎練習と、湧き上がる恐怖が交差したその時。
僕の目に、初めて「リング上の未来」が重なって見え始めたんだ――。
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キュルノ
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#学園
大正
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#近未来
鳳蓮荘
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コメント
1件
いやあ、第3話、めっちゃ良かったです……! 「生きることそのものが怖かった」っていう過去の告白から、陣内会長との出会い、そしてサンドバッグを初めて打った時の「パンッ!」って音。一つ一つの描写が心に響きました。 特に「未来視なんて関係ない。『刃向未来』という一人の人間が、汗を流して強くなろうとしている時間が愛おしかった」っていう一文、グッときましたね。自分の能力に怯えていた少年が、基礎の積み重ねで自分の身体を信じ始める——その過程が丁寧に描かれていて、読んでて胸が熱くなりました。 最後のスパーリングで、半年ぶりに能力が発動しそうな伏線も、次が気になりすぎます! 続き楽しみにしてます🔥