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「兄ちゃん、5キロだな」
「うん、そうです」
「10万円だ」
「え、そんなにするんですか?」
「じゃあ要らねぇんだな、次!」
「か、買います、買います」
僕はビニール袋の中から1万円を10枚差し出した。
「坊や、気をつけて帰れぇ、次!」
売り子の男は金歯を光らせた。僕は手渡された米袋をリュックに詰める。僕は穴の空いたジーンズにスニーカー、継ぎ当ての当たったダウンを着ている。そして、「えいやっ」ってリュックを背負った。
わずか一ヶ月でよくここまで治安が悪化したものだ。この街で生きるのは大変だ。
帰ろうとしたそのときだった。長い列の中に、懐かしい顔が見えた。
えっと、美咲さん。
目が合った瞬間に心臓の鼓動が倍速になった。
高校の同級生。窓際でいつもポニーテールだった女の子。茶色の髪、よく光るエスプレッソ色の大きな目。もちろんまつ毛は超長い。
韓流の歌手みたいにスリムな足に主張するバスト。彼女を既存のランクに当てはめることすらおこがましい、別格の存在。
清楚系で真面目で気位が高い。かといって一軍でもなし。僕みたいなダメな男にとって会話もできない女の子だ。
そういえば、地震のあと、高校のクラスメートのこと、消息が分からなかったな。
まさか、こんなところで会うなんて思わなかった。
「……美咲さん?」
僕は、精一杯の勇気を振り絞って声をかける。彼女は一瞬きょとんとした表情を見せる。
う、やばい。それから小さく笑った。
「え、隼人くん? うそ……」
笑ったその顔に、あの窓際での光が一瞬戻った気がした。
煤で汚れた頬、汚れたコート、だけど、茶色の瞳の奥はあの頃のままだ。
「こんなところでどうしたの?」
「そっちこそ」
互いに言葉が途切れて、照れたみたいに笑う。
周囲のざわめきが遠くに引いていくように感じた。彼女は少しうつむいて言った。
「子供たちがいるの。だから、どうしても食べ物が必要で」
「……そっか」
僕はうなずいた。でも、こればっかりは何もできない。
そこで会話が途切れる。
「じ、じゃ、また。気をつけて帰りなよ」
「うん。ありがとう」
彼女の笑顔が、薄い光の膜のように胸に残った。
それで終わるはずだった。
だが、その帰り道。夕暮れの裏通りで、僕は悲鳴を聞いてしまった。
瞬間、全身の血が逆流した。声のした方へ駆ける。薄暗い路地。焦げた匂い。
男が5人いた。
美咲さんはそのうちの2人の男に押さえつけられていた。
大事に抱えたバッグを剥ぎ取られる。
「返して、それがないと、生きてゆけないの!」
「知るかよー」
それだけじゃない。後ろにさらに2人。
バッグを取り上げたうちの1人がニヤニヤしながら口を開く。
「おい、美咲―、つれねぇじゃないか。せっかく出会えたんだ、ちょっと楽しんでいこうぜー」
そいつ、嫌な笑い声。
「ふざけないで!」
美咲さんが叫ぶ。
「ふん、相変わらず気が強いな。あれから、ちょっと胸がデカくなったんじゃねぇかー?」
あ、こいつ、知ってる。確か、渡辺剛。クラスメートだぞ。素行が悪かったやつだ。いつも嫌がらせをするやつ。
「あなた、クラスメートでしょ、こんなことしてどうするの」
「そうさ、いい世の中になったもんだよなー。こうして美咲ちゃんといいこと出来るんだもんなー」
渡辺はヘラヘラ笑いをやめない。
「冗談じゃない、絶対嫌よ!」
美咲さんが言い返す。
「おや、そうしたらさー、このバッグ、返せなくなるなぁー」
そいつは眉を下げる。バッグを美咲さんの前にぶら下げる。思わず彼女がバッグに手を伸ばす。
その腕をいきなり掴む。彼女の胸に手を伸ばし、ブラウスを一気に引き下げる。ボタンが吹っ飛ぶ。
「いやぁ!」
美咲さんが悲鳴をあげる。僕は脳天に血が昇った。
なぜなら彼女の両手の間から溢れる白くて綺麗な深い谷間を見てしまったからだ。
その横には、片方は刈り上げ頭がニヤニヤしている。
少し向こうにはジャージ姿の男。半グレの先輩なんだろうな。体格もいい。碌な奴らじゃない。
「そ、そこまでだ、やめろぉ!」
僕の声が勝手に出た。
やば、絶対頭に血が上った勢いのせいだ。
男たちが振り向く。
「なんだーぁ、てめぇ、邪魔すんじゃねぇ!」
渡辺が叫ぶ。振り向いた。
「なんだ、テメェ、あれー、金窪くんじゃないのー。珍しいな」
強者のオーラ全開だ。僕はしょんべんちびりそう。
「あの、その手を離しなよ」
僕はやつの言葉を一生懸命無視した。
「おいおい、同級生が久しぶりだっていうのにー、なんだ、その態度はよぉー。
おい、いじめられ方が足らなかったのかぁ?」
優越感で超上からの声。
「とにかく、て、手を離せよ!」
「お前、馬鹿かー。美咲ちゃんの前でカッコつけたいのかー?それとも、ここで僕の靴でも舐めにきたのかー?」
渡辺は僕を見下ろす。
金窪流剣術は一般人相手には御法度だ。
だから学校では、結構我慢していた。だからこういうバカから見ると、僕は弱っちいオタクにしか見えなかったんだね。でもさ、世界は変わった。学校も休校。誰も「使っちゃダメだ」なんて怒る大人もいない。
僕はこのことに気がついてちょっとショックを受けた。もうブレーキ無しなんだ。残りは心の歯止めだけ。だからそいつを外すことにした。
「あのお、け、警告はしたよ」
そう言って、僕は奥義の呼吸法を開始した。
口の中でつぶやく。
『人を殺めることをお許しあれ』
これは伝承された心の安全装置を外す手続きだ。
そして凶暴なもう一人の僕が心の中から姿を現す。世界がスローモーションになってゆく。
バックパックから特殊警棒を取り出した。ワンアクションで伸ばす。
「おいおい、殺されたいようだなー!」
渡辺は美咲さんから手を離す。
片手には金属バット。
肩に担いで無造作に歩いてくる。そのまま僕にフルスイング。
ああ、まるでスローモーション。素人丸出し。
金窪流の構えを取る。
親父に何度も叩き込まれた型。
右足を引く。
バットが来る。軽くスウェイしてかわす。右手を警棒で叩く。剣道の小手の要領だ。
とは、言っても合金製の特殊警棒だ。相当のダメージだろう。
渡辺はバットを落とし、手を押さえた。その顔は屈辱で歪んでいる。
「テメェー、卑怯だぞ」
何言ってるんだ?バット振り回してるのはお前だろ?
「おい、剛、何やってるんだよ。こんな小僧、さっさと片付けろ。じゃないと、この女、俺がいただくぜ」
後ろのジャージ姿が渡辺を煽る。
渡辺は、片手を押さえたまま。もしかしたら折れたかな?
「おい、これ使え」
その姿を見て、でかいサバイバルナイフをジャージが渡辺に渡す。
「さっさとやれよ」
渡辺は怯えた目でジャージを見た。ナイフを受け取り覚悟を決めたようだ。
「金窪―ぉ、クソガァ、死ねぇ」
あれ、同級生じゃなかったっけ?震災って人間を変えるんだね。
でも、これで容赦することはない。
うん?
同時に、僕の後ろに坊主頭が回り込んで来た。鉄パイプを持っている。
渡辺じゃ、どうせダメと踏んだのだろう。挟み撃ちにするつもりだ。
僕は足運びで回転する。渡辺の方を見ているようで、しっかり背後の動きを把握した。
「キェー」
後ろの坊主頭、一気に打ち込んでくる。
多少、武道の心得があるようだ。だが、所詮はアマチュア。太刀筋が見え見え。
僕は警棒で鉄パイプを叩きずらす。そのまま喉に突きを入れる。う、グニュって喉が潰れる嫌な触覚。
「グゲェ」
声にならない悲鳴。そいつは喉を押さえて倒れた。
同時に渡辺がナイフを突き込んできた。一歩バックステップ。
あのさ、警棒の方がリーチは長いのだよ。だから、僕は真っ向から、渡辺の額に警棒を打ち込む。剣道の『面』のような当てる、ってやつじゃない。真っ直ぐ上から、体重とスピードを一点に落とす。
何かが割れる嫌な音。渡辺は額から血を流し、そのまま地面に激突した。
残念ながら、こいつにかける同情はない。
「シュッ」
独特な息の吐き方をする。3人目が向かってきた。ジャージのやつだ。手には棘のついたメリケン。うわ、こんなもん、日本で手に入るんだ。
僕は、腰を下げ、斜めに構える。
こいつはボクサーか。
残念ながら、リーチのある武器を持つ者と、素手の拳闘家では勝負にならない。
それは、過去の歴史が証明してきたこと。せめて寝業に持ち込めばチャンスはあるのにね。
僕の足は地面を滑る。斜めに打ち込んでくるジャージ。
おい、腹がガラ空きだぞ。僕はやつのパンチを外すと同時に、リーチの長い警棒で鳩尾を突き通す。
そいつは砂袋のように崩れ落ちた。
これで、3人。
僕の呼吸は変わらない。
だが、現場の血の匂いが濃くなる。もう止めることができない。それが金窪流の教えだ。
徹底的にやらなければ死ぬ。そういう伝承なのだ。
残り2人。
一人の男が、目配せをする。
合図をされた1人、モヒカン風の短髪。
懐からドスを引き出した。おお、時代劇のヤクザか。
「死ねや」
やつは腰にドスを構えて体ごとぶつかってきた。
反射的に、僕の身体が動く。体を半身(はんみ)に切って出鼻に飛び込む。
両手で構えたドス男の肩口ですれ違う。一挙動で背後に周る。返しで背骨に強烈な一撃。
そいつは思わず背中へ手を回す。姿勢が崩れる。隙が生まれる。
僕は斜めからそいつのこめかみを気合いと共に金属の特殊警棒で叩いた。
ドス男はそのまま、意識を失い、頭から地面に崩れた。
あと1人。
ハゲ男。
こいつは木刀を下ろした。鯉口を切る。
刀が現れる。
仕込み真剣だ。
静寂。夜が、息を呑んでいる。
いわゆる古武道系剣術の有段者だろう。
面倒だな、時間をかけすぎた。それに僕の動きも見られている。
僕はカバンのなかを探る。小刀と、テーザー式スタンガンに手を掛ける。バッグから引き出し片手で後ろに回す。
その存在を背中で隠す。
そして、すり足を使い距離を見切られないように動く。
やつは構えを決め、踏み込もうと筋肉の緊張を高めようとした。
その瞬間、僕はまず小刀をいきなり投げ込んだ。
タイミングを崩され、やつは後ろすり足で体勢を変える。
刀で小刀を払う。そう、正眼が崩れた。小刀の軌跡を辿って飛んで行ったのはテーザーガンだ。アメリカの警察で使われている、ワイヤーで飛ばすやつだ。
見事にそのデバイスはやつのはだけた胸に届いた。
バチン。
やつは白目を剥く。
僕は踏み込む。距離を詰める。特殊警棒で小手を打つ。
仕込み刀を叩き落とす。
そのまま警棒をスイングさせ、その勢いのまま脳天をうち抜いた。
こいつは血を吐きながら、水風船のようにべちゃっと地面に落ち崩れた。
血溜まりが広がる。
これで4人。
20秒かな。
周囲を見回す。誰も立っていないことを確認。
倒れているハゲ男を軽く蹴る。僕ともしない。危険なし。
急ぎ、投げた小刀とデバイスを回収しバッグに押し込む。
あとは逃げるだけだ。
あ、そうだ。ふーと、終息の呼吸。息を吐き抜く。術を解除する誦文(ずもん)を口の中でつぶやく。
『感謝します』
いつものちょっと冴えないオタク風の僕に戻る。
ゆっくり振り返った。
美咲さんが、塀際に座り込んでいた。
目を大きく見開き、破れたシャツを両手で引き寄せて、震えていた。
僕はそっと彼女に近づく。思い切って手を差し出した。
「あの、た、立てる?」
彼女はゆっくりとうなずいて、僕の手を掴んだ。思ったより冷たく泥で汚れていた。
「すごい。ありがとう……ほんとに……」
「た、たまたまだよ。よかった、大丈夫で」
「偶然で、命助けられるなんて……」
彼女の顔は、泣き笑いだった。
その時、道の向こうから、怒鳴り声がする。
救援隊ではない。そんなもの、ここには存在しない。
こいつらの仲間だろう。僕は上着を脱ぎ、彼女に渡す。
「やばそうだね、そうだ、これ着て」
美咲さんは慌てて腕を通す。その仕草を見て僕は慌てて首を回転させて視線を逸らす。
それから落ちていた彼女のバッグを拾い上げた。
もう一度しっかり手を繋ぐ。
目を合わせ、無言で走り出した。
狭い路地を抜ける。
鎌倉は細かい路地が多い。おまけに壁が高いから視線を遮ることができる。まあ、追い込まれやすいって問題もあるけどね。地理感があれば逃げやすい。
川沿いの小道を抜け、暗い裏道を走る。
肺と心臓が破裂しそうだった。だが、不思議と怖くなかった。彼女の手を引く感触が引き金になって、僕の脳みそがドーパミンとアドレナリンを大量に放出したのだろう。
人目のない境内の裏にたどり着く。ここまで来れば大丈夫。
美咲さんが息を切らして座りこんだ。
僕の心臓も特急列車並みの速さで鼓動を打ち続けている。
「怖かった」
美咲さんが小さな声で呟く。
「渡辺くんが、あんな人なんて……」
彼女はショックを受けていた。
そりゃ、友達じゃぁないけどさ、クラスメートがあんな風じゃな。
「そうだね、この辺り、ちょっと気をつけたほうがいい感じだね」
「ごめん、助けてくれてありがとう」
「……うまく行ってよかった」
「そうだ、大丈夫だったかしら」
美咲さんがバッグの中を確かめる。
「ああ、無事だ。よかった」
安堵の息を漏らす。
沈黙が、僕たちの間に停滞する。
僕も地面に座り込み、息を整えた。
手の中の警棒を掴む。先端を石畳に当てる。そのままグッと力を入れて押し込む。特殊警棒を携帯できるサイズに縮めた。
金属の擦れる音がする。同時に血の匂いがした。
美咲さんが僕の仕草を見つめて言った。
「それ、普通の剣道じゃないよね」
「ちょっと習ったことがあってね」
「すごいね……本当に、映画みたいだった」
僕は苦笑した。
「映画なら、痛くないんだけどね」
もしかしたら、渡辺のやつ、打ち込みで死んだかもしれないな。
彼女の瞳が少しだけ潤んでいた。
「子供たちが待っているの。だから、もう一度ありがとう」
「家、どこ?」
「川の向こう。避難所」
「送るよ」
「だめよ。危ないし」
「み、美咲さんをここで放っておけないよ」
結局、僕は送って行くことになった。
途中、沈黙が続く。
僕の前を彼女が歩くたび、ポニーテールが揺れる。
首筋が艶かしく青白く伸びる。
その動きに、僕は久しぶりに「高校生の僕、まだ生きてる」って感覚を戻してくれた。
林の向こうに、明かりが見えてきた。
しかし、僕は史上最大のお人好しだったかもしれない。
こんな美人の彼女にボーイフレンドが一人もいないなんてありえないことを忘れていた。後でキツい思いをすることになるなんてね。
#ファンタジー
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