「何で逃げるんや」
聞かれる。聞かれているが答えられない。
上手く声が出ない。
「逃げたら追いかけたくなるやろ」
いや、さらっと怖いこと言うな。
言い返そうと口をパクパク動かすが声が出ない。
こんなことしてる場合じゃないのに。
早く行かなきゃいけないのに。
そんな時、ふと耳に声が届く。
アシマリだ。
アシマリが歌ってる。
上手とは言えないけれど、楽しそうに生き生きと歌う歌声が、耳に届いた。
そうだ。
こんなとこで立ち止まってる場合じゃない。
怖がってる場合じゃない。
アシマリは、待ってるんだ。
彼女を待ってる。
教えてもらった歌を歌って、ずっと待ってるんだ。
行かなきゃ。
今動かなきゃ、全てが終わってしまう。
この恐怖を乗り越えていかなければ。
手遅れになる前に。
「……なして」
掠れる声は震える唇から漏れる。
声を絞り出し、キッと緑の悪魔を睨みつけた。
「ーーー離して!!」
引っ張られるマフラーをグッと引っ張り返しながら、涙をいっぱい溜めた瞳で睨みつける。
「………」
一瞬隙を見せたそいつからマフラーを引っ張りあげ、雪乃は窓の方へ走る。
そのまま窓枠に足をかけ、そこから飛び降りた。
待ってて。
すぐに行くから。
「ーーーアシマリ、歌って!!!!」
あなたがどこまで逃げたって、私はあなたを見つけ出すから。
「…マリ」
光が怖いのなら、私が導くから。
「…マァ〜マァ〜、マァリ〜」
アシマリの歌声は綺麗な泡のバルーンを作り出し、空に沢山浮かび上がる。
「何あの泡?」
「きれーい」
「何かやってるのかな」
生徒たちが空を見上げる。
歌声に乗って宙を舞うバルーンは、どこまでも飛んでいく。
彼女の元へも。
「………」
「どうした?早く行くぞ」
立花は足を止めた。
風紀室の目の前で。
チーノは後ろを振り返り声を掛ける。
しかし立花は足を止めたまま、窓から目を離さなかった。
あぁ。
これは、この旋律は。
「ーーー立花美希ぃぃぃぃぃぃ!!!!」
誰かが自分の名前を叫んでいる。
下の方を見ると、中庭の辺りに人影が見えた。
あれは、草凪雪乃。
「私の声を聞いて!!!」
取り乱した格好と涙目でこちらを見上げて叫んでいる。
「聞かなくてもいい。早く行くぞ」
チーノが先を促す。
風紀室は目の前なのに、良いところで邪魔しやがって。
「…私、嘘をついてた!!」
雪乃が叫ぶ。
窓を閉めていても聞こえるくらい大きな声で。
周りの生徒たちも雪乃を見つめる。
「…ちょっとだけ、聞かせて」
立花はチーノに断り、目の前の廊下の窓を開けた。
チーノは面白くなさそうに雪乃を睨む。
「怖いものがないなんて、強がってた!!嘘ついてごめん!!」
ハッキリと、そう立花に向かって声を上げる。
立花も真剣に雪乃の言葉に耳を傾けた。
「私は、怖い人がいる!!今もその人から逃げてきた!!めちゃくちゃ怖くて、見るだけで体が震えて、声も出なくなる!!」
見たらわかる。
乱れた格好。涙を溜めた瞳。
「けど頑張って逃げてきた!!あなたを助けたくて!!」
立花は窓枠に両手を置き、雪乃を見下ろす。
「…言ったでしょう、ほっといてって」
呟くような小さな声も、雪乃は拾い上げる。
「言われた、だからそうしようかとも思った…けど、無理だった!!」
「…どうして、そんなに助けようとするの?」
雪乃は声を張り上げる。
立花に届くように。
「ーーーー理由なんてない!!!!」
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