男が出て行ったあと、彼に借りたハンカチを手に、壱花は高尾に訊いてみた。
「高尾さん、なんか犬っぽいあやかしとか、お知り合いにいませんか?」
「犬っぽいあやかし?
犬神とか?」
いや、それはなんか祟られそうなんですけど……。
下手に呼んだら、憑いて離れなくなりそうだし、と思いながら、壱花は言う。
「このハンカチの匂いを追って行って欲しいんです。
犯人は斑目さんの部下の人の服を着ているはずですから」
倫太郎が、
「お前、もしかして、あいつから服を奪ったの、逃亡中の強盗の一人だと思っているのか?」
と訊いてくる。
「目出し帽をかぶってたって言うし。
あの強盗じゃないにしても、なにか悪いことやってる人だと思います。
だから、あの部下の人の匂いの染みついた服を警察犬とかに追ってって欲しいんですけど」
警察犬に知り合い、いませんしね、と壱花は言った。
「匂いっていうか。
仕事中の疲れとか、悪い汗とかが染みついてそうですよね」
と冨樫がしみじみと言う。
「だったら、僕に任せてよ。
狐の僕なら、犬並みに鼻が利くよっ」
と高尾は胸を叩くが。
「いやお前の鼻が利かないことはすでに立証されている」
と冨樫のピンバッジ事件のことを掘り返し、倫太郎は言った。
「だが、そうだな。
壱花、今こそ、式神を使えばいいじゃないか。
幸い、新しいのを使わなくとも、二体も帰ってきているし」
壱花の肩や頭に乗っていた式神が、
「我にご命令をっ」
と言った感じに、さっと片膝をつく。
いや、コピー用紙っぽいヒトガタの一部が、テロンッと折れたようにしか見えないのだが。
その心意気は充分、壱花に伝わった。
「ありがとう、式神さんたちっ。
じゃあ、このハンカチの匂いを嗅いで、追っていってっ」
わかりましたっ、という感じに舞い上がった二体のヒトガタが、くるんっと空中で一回転する。
二体とも、さっきの犬の話を聞いていたからか、真っ白な二頭の大型犬になった。
『臨兵闘者皆陣列在前』の文字が一文字ずつ白く刻まれた赤い数珠のような首輪をしている。
「よし、じゃあ、式神さん、よろしくっ」
と壱花が命じると、二頭ともガラス扉をすり抜け、駆け出していく。
夜の闇に消えていく白い犬たちを見ながら、壱花は入り口に立っている安倍晴明を振り返り言った。
「格好いいですね、式神っ」
だが、人形の晴明は、いつものように、
「私は安倍晴明である」
と高らかに名乗りを上げるだけだった。
店は高尾に任せ、壱花たちはヒトガタが変化した犬を追っていた。
「そういえば、このまま朝が来たら、我々はどうなるんでしょうね?」
「さあな。
ばあさんの駄菓子屋で朝が来たことはあったが」
駄菓子屋の外に出て、朝。
社長の部屋に転移はしないのだろうかな、と壱花が思ったとき、川沿いの道を走っていた犬が二手に分かれた。
えっ? どっちに行ったらっ?
と迷ったが、犬が直進していった方から、すぐに、
うわあああっ、と悲鳴が上がった。
もう捕まえたっ?
と急いでそちらに行くと、さっき出たばかりの斑目の部下の人が赤い首輪の犬に襲われていた。
高尾のまやかしによって、極上の遊び着的なジャケットに見えている倫太郎の高い背広に食いつかれ、尻尾をふられている。
「ま、魔犬っ!?」
あやしい数珠の首輪をつけたデカイ犬に部下の人は怯えていた。
「す、すみません。
あなたの匂いのついた服を着た犯人を追っていったはずだったんですが……」
その匂いがする本体の方に行ってしまったようだ、と壱花は苦笑いして、犬をヒトガタに戻した。
ヒトガタは、匂いを追え、と言われた命令が残っているのか、部下の人の肩にふわりと乗っていた。
その頃、店に残った高尾は、あのビラを見ながら冨樫に言っていた。
「そうだ。
僕がこの格好して、葉介のお父さん探して歩いたら、みつかるんじゃない?
自分を指差して、この人と同じ人を探していますとか言ってさ」
「あの。
今、それやったら、強盗と間違われて、警察につかまると思います……」
そう言ったあとで、冨樫は外を見る。
「なんだか外が白くなってきましたね。
このまま朝になったらどうなるんでしょう?
社長も風花もいませんが」
「そうだねえ。
僕らあやかしは勝手に寝床に帰るけど。
葉介はどうなるんだろうね。
このままここに閉じ込められたりして~」
と高尾は笑っている。
「かっ、帰りますっ」
自分はこの店に縛られているわけではないので、途中で帰っても問題はない。
冨樫は慌てて店の外に出ようとしたが、一歩遅く、この世界での夜が明けてしまった。