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それから数日がたったある夜のこと。私はとある店の前にいた。補佐の親友がオーナーをやっているバーだ。
できることなら補佐の過去の話を聞けないものだろうかと、むしの良いことを考えてやって来た。
しかしドアに手をかけた途端、私の中に迷いが生まれる。こんな方法で補佐のことを知ろうとするなんてと心が揺れた。
やはり直接聞くべきだと考え直し、背を向けて引き返そうとした。その時、後ろから突然声を掛けられて驚いた。
「こんばんは、入らないの?」
恐る恐る振り返ったそこに立っていたのは、今夜私が会いたいと思っていた人物だった。買い物にでも出ていたのだろうか、紙袋を抱えていた。
不思議そうにこちらを見ているその人、築山さんに、私はおずおずと挨拶した。
「こんばんわ」
彼は私の顔をしげしげと見て、おやっというように目を見開いた。
「君、この前匠と一緒に来た人だよね」
「はい、岡野と言います」
私はもう一度頭を下げた。
「先日、補佐、いえ山中さんとお邪魔しました。あの時は、ご馳走さまでした」
「うんうん、覚えてるよ」
築山さんはにこにこして言った。
「匠と同じ会社だったっけ?今日は一人で来たの?」
私の背後を確かめるように、彼は首を伸ばした。
「あの、今日は私だけなんです。申し訳ありません」
首をすくめて言ってから、私はバッグを持つ手にぎゅっと力を入れた。
「あの、実は」
「聞きたいことでもあって、来た?」
私は言葉に詰まる。その通りだった。
築山さんは顎をさすりながら、私を見つめている。
頭の中を覗かれてでもいるようで、いたたまれなくなった私は彼から視線を外す。ここに来たことを後悔し始めていた。
築山さんと補佐は親友だと言っていたから、ここに私が来たことを補佐に知られるのはあっという間のことだろう。その結果、補佐を怒らせてしまうことになったらどうしよう。彼との距離が今以上にますます離れてしまう――。
「やっぱり、私」
帰ります――。
そう言って立ち去ろうと思った私の耳に、築山さんのつぶやきが聞こえた。
「なるほどねぇ……」
彼は何を納得したのか大きく頷いている。
「あの……」
困惑する私に築山さんは笑顔を見せた。
「えぇと、岡野さんだっけ?嫌じゃなければ下の名前も教えてよ」
「……『みなみ』です」
築山さんはうんうんと頷く。
「みなみちゃん、ね。とりあえず中に入ろうか」
「でも……」
「せっかく来たんだからさ。ね?」
築山さんはそう言いながら扉を開けて、私の背を軽く押すようにしながら店に入った。
扉が閉まる音を背中で聞きながら、私はまだ迷っていた。
そんな私に築山さんは片目をつぶってみせる。
「今の君の気持ち、なんとなく分かるけど、そんなにあれこれ心配しなくても大丈夫。さ、どうぞ」
私を促してから、ほんの少し申し訳なさそうな顔をする。
「カウンター席に座ってもらってもいいかな?その方が話しやすいからさ。仕事しながらになっちゃうけど」
それ以上は押して帰るとも言えなくて、私はためらいつつ頷いた。
「はい、では……」
顔を合わせてまだ十分もたっていないけれど、私がここに一人で来た理由を築山さんは分かっているような気がした。前回会った時も、彼が私に対して好意的だと感じていた。だからもしかしたら、私が知りたいことに答えてくれるのではないかとも思った。少なくとも、今は前向きに考えることにしようと思い直す。
「どうかした?」
「いえ、なんでもありません」
築山さんは怪訝な顔をしたが、私を席まで案内すると自分はカウンターの内側に入った。様々な種類のボトルを前にして、シャツの袖をまくり上げた。
「何が飲みたい?カクテルでも、ノンアルでもなんでも好きなものを言ってよ。一応これでもバーテンダーだから、何でも作れるよ」
私の緊張を和らげようとしてか、築山さんは悪戯っぽい笑みを浮かべながら言った。
つられて私もちょっとだけ笑う。少しだけ迷って、結局飲みなれたカクテルの名前を伝えた。
「モスコミュールをお願いします」
「軽めにしておこうか」
築山さんは私の顔をちらりと見た。
「話を聞くのが目的なら、ほろ酔い手前くらいがちょうどいいだろうから」
私は黙って頭を下げた。
築山さんは手際よく、優雅な手つきでシェイカーを振り、カクテルを作っていく。出来上がったそれを私の前にことりと置くと、彼は目元を和らげて私を見た。
「やっぱり匠のこと?」
今さら隠すまでもない。私は素直にこくりと頷いた。
「ご本人に直接聞くべきなのは分かっているんです。でも、なかなか会えないので……」
会えないというよりは、今はまだ会ってはもらえない、というのが、たぶん正しい。
「匠、忙しいの?」
「そう、ですね。会社でお見掛けすることの方が少ないです」
「ふぅん。あれからまた、二人で会ったりはしたの?」
「いえ……」
胸がちくりとする。
言葉少なに答える私に、築山さんは洗い終えた道具を拭きながら言った。
「実を言うとね。匠から言われてたんだ。もしも君がここに一人で来ることがあって、何か訊ねられたら話してあげてくれって」
「え?」
私は弾かれたように顔を上げて、築山さんを見た。
もしかして、私と補佐の間に何があったのかを知られている――?
築山さんは私を安心させるように笑い、そして続ける。
「今まで、あいつから君の話を聞いたことはなかったんだ。だけどこの前、店に一緒に来たでしょ?匠がここに女性を連れて来たのって、君が初めてだったんだ。だからあの時、実は結構びっくりしたんだよね」
「初めて?」
築山さんは頷き、私を見て微笑んだ。
「匠にはさ、自分のことなんだから自分で言えよ、って何度も言ったんだよ。なのにあいつ、自分から話すとそこに嫌なマイナスの感情が入ってしまうから、とか言ってさ。君が何を聞きたがっているのか、匠はちゃんと分かっている。俺もね、あのことしかないなって、予想してるけどね」
築山さんはくすっと笑った。
「匠のやつ、よっぽど君に嫌われたくないらしい」
どういう反応をしたらいいのか、私は困って目を泳がせた。
「君はさっき、ここに来たことを匠には知られたくないと思ったんだよね?だけどそういうことだから、心配しなくてもいい。そんなわけで俺は初めから、君にあいつのことを話してあげるつもりでいたよ。ただしその前に、一つだけ聞いておきたいんだけど、いい?」
私は緊張した。
「みなみちゃんはさ、匠のこと、本当に好きなの?」
築山さんが真剣な目で私に問う。
そう訊ねるのは、この人にとっても補佐が大事な人だからだと思った。私は築山さんを真っすぐに見返して答える。
「――好きです、とても。ずっと隣にいたい。だからそのためにも、私は補佐の昔のことを知って、それを自分の中で消化できたらいいなって思ったんです。そうすることで、まだあの人の心に残っているかもしれない傷みたいなものもひっくるめて、少しでも癒してあげられたらいいな、って……。おこがましいですけど」
今の答えで合格点をもらえるだろうかと不安に思いながら、そっと目を上げる。にやにや笑いが入り混じったような顔の築山さんと目が合った。
「意地悪なこと言ってごめんね。わざわざ聞かなくても、この前の様子で分かっていたんだけどさ」
微笑ましいものでも見るような築山さんの視線を浴びて、頬が火照った。冷たいものが欲しくなって、私はグラスに口をつけた。ひんやりした感触が喉を通って気持ちがいい。
私の様子が落ち着くのを待って、築山さんは口を開いた。
「で、聞きたいのは、やっぱり」
「補佐が離婚された理由を」
私は手元に視線を落として続けた。
「あの日ここに来る前に、偶然会った女の人がいたんです」
「あぁ、それで……」
築山さんは眉根を寄せてため息をついた。
「あの日の匠、ちょっと荒れ気味だったんだよね」
「荒れ気味?あの補佐が、ですか?」
「そう、あの匠が」
それから、忌々しいとでもいうように顔をしかめた。
「正直言うと、匠の離婚に関しては、俺も冷静に話せる自信はあまりないんだけどね」
「すみません……」
私はうつむいた。言いたくないことを聞き出そうとしている自分の勝手さに、改めて申し訳ない気持ちになる。
「みなみちゃんが謝ることはないよ。いずれにしても、避けては通れない話だろうしね。あいつもそろそろ、あの時のことをきれいさっぱりと吹っ切った方がいい時期なのかもしれないな。匠には幸せになってもらいたいと思ってるんだ」
築山さんは少し考えるような目をして、おもむろに話し出した。