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「待って……ください!」
「どうしたんだ?」
優奈の手を引き、大通りを離れ歩き出す雅人を呼び止めると、不思議そうな顔で振り向く。
「ああ、ごめん。近くに車停めてあるから少し歩いてもらえるか?」
「え? 違います、そんなことじゃなくって……えっと」
言いたいことも聞きたいことも山ほどあるが、確かめたいこと。
この耳にハッキリと聞こえたにも関わらず信じ難い彼の発言。
「まーくん、高遠のパパ嫌いだよね!? 頼りたくないって、関わりたくないってずっと言ってたよね?」
「そんなことよく覚えてるな」
雅人に関する全てを忘れることなど出来るわけないじゃないか。そうだ、何一つこの頭の中から消えてなんていない。
それなのに意外そうに驚かれた、痛むこの胸を、目の前の彼はきっと知らない。
「なら、どうして? なんで、名前を……あんなの、いつ高遠パパの耳に入るかわからない」
優奈の腕を掴んでいた、雅人の手から力が抜けて彼は不敵な笑みを向ける。
「言っただろ、優奈。使えるものは使うんだ。残念ながら俺の会社も俺自身も奴らの脅威にはならない。けれど工務店だ。あの男の名前は効果があるだろう」
「だから、どうしてそこまで?」
雅人のおかげで、綺麗にとは言いがたいが雅人の父――高遠はじめの名を使う必要などなく退職できるように進めてくれていたではないか。
すると、「どうして?」 と、優奈の言葉をそのまま返した雅人がふと表情を消した。
「俺は、お前を幸せから遠ざける存在を何一つ許さないからだ」
感情を読み取ることができない、抑揚のない声が呟いて、そうしてすぐに誤魔化すよう軽く笑い声を混じえ続けた。
「まあ、あれで退職金や諸々を渋って長引くこともないだろうと思うぞ。何より、優奈はもう関わりたくもないだろう」
「た、退職金とか……私そんなに長く働いてないから」
「まあ、微々たるものでも取れれば優奈も少しは気が楽だろう」
「それは……家賃光熱費さえ払えれば」
「大丈夫。心配ないぞ」
雅人は人目も気にせず、やけに嬉しそうな手つきと声で優奈の頬を撫でる。子供の頃からいつも、感触を確かめるように撫でるのが彼は好きなのだ。
「え?」
「落ち着くまで、何があっても俺が面倒を見るから」
「……っ」
グッと優奈は声を堪えた。
何を言おうとしたのか自分でもわからないのだ。わからないが、ついこの間雅人の前で大泣きをしてしまった手前、強がりが通用するのかも怪しい。
「働かせてもらうだけで十分。お金も少しならあるから……本当これ以上は」
「これ以上も何も、まだ何もできてないぞ、俺は」
(いやいや、どの口が言うの……世間からドン引かれる程度に甘え腐ってるわ)
ほら帰ろう、と。雅人が優奈の手を取った。いい思い出のかけらもない職場を後に、近くのパーキングに向かう。
見えたのはあの日乗った、黒の車。
「そういえば……」
「どうした?」
父親のことに関してはこれ以上を話してくれそうにはないし、とりあえず無事に会社を辞められそうなことに安堵した優奈は思い出したことを口にする。
「……これはプライベートの車ですか?」
「もちろん」
「あの、その車にですね、古くからの知り合いとはいえ他の女が何度も乗り降りすることで迷惑にはなりませんか」
暫し黙り込んだ雅人が「他の女って?」と、首を傾げた。
「あの、私が倒れてお世話になったバーに一緒に来ていた方は恋人ではないんですか?」
「ああ」
あいつか、と呟いた雅人。
「……違うよ、全然」
「そう、ですか」
妙な間をあけてそう言った。
まあ、モテる雅人のことだ。恋人と括らずともそれらしき女性なんてたくさんいるんだろう。
もしかしたら、どの人だろうと思い返していたのかもしれない。
(昔からポンポン彼女、変わってたしな……)
はぁ、と盛大なため息と共に雅人の車の助手席に乗り込んだ。このモヤモヤとした気持ちからいつまで目を逸らそうというのか。
ナビが優奈のアパートへの道を案内して、その声と重なりながら雅人が言う。
「優奈、少し休みたいか?」
「え?」
「うちはすぐにでも……いや、俺が今週は出張が多いな。来週あたまからでも来て欲しいけど」
「そんなすぐに働けるんですか!?」」
「もちろん。人事と総務には話を通してるし、優奈の村野での仕事内容的に経理に行ってもらおうかと思ってたからそこにも通してる」
優奈が退職願をちまちまと書き上げている間に、話は大きく進んでいたらしい。そもそも引き継ぎなどさせる気もなかったということか。