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「は!?最ッ悪!!私の推し二股してた!!」
「誰?どうせまた歌い手とかじゃん?」
「いやギンブリの魚海くん……」
「ギャアアアア!?」
深夜にもかかわらず街中のあちこちから聞こえる悲鳴をBGMに、忙しなくファンの心境を聞いて回るリポーターの間を颯爽とすり抜けながら、私は晴れやかな優越感に浸っていた。
なぜなら魚海くんとセックスしたのはこの私だからだ。
魚海くんと出会ったのは半年前。日にちも鮮明に覚えている。4月1日、エイプリルフール。私たちは嘘みたいな出会い方をした。
「え、嘘でしょ……?」
魚海くんはドンギの隅のR18コーナーで縄を万引きしていた。深夜だったこともあり、そこには女性向けアダルトグッズを買いに来ている欲求不満な私と彼しかいなかった。
彼も欲求不満なのだろうか?確かにアイドルは無言の圧力で恋愛禁止だし、せっかくアイドルなのに思うように女遊びができないのかもしれない。
いやだからってなんで縄?キラキラ正統派アイドルがアブノーマルなSMプレイ好きとか萌えるんですけど。あとなんで万引き?犯罪で萌えが掻き消されるからやめて?通報するよ?
挙動をじっと観察していると、彼は視線を感じたらしく突然こちらを振り返った。流石芸能人、普段からメディアの目を避けているだけある。今回は一般人相手だからと詰めが甘かったようだが。
「あ、あっ……」
動揺した彼は縄を落とした。その手はガタガタ震えていた。
「え、大丈夫ですか?」
声をかけると、今にも涙が零れ落ちそうなほど彼の目が潤む。まるでこちらが悪者みたいだ。
「ちょっ、怖がらないでください、反省してるなら咎めませんから。それに私魚海くん好きですし」
「ど、どうして僕の正体が分かったんですか?変装徹底してるのに、今までバレたことないのに……」
萎んだ声で尋ねてくる。へぇ私が史上初正体を見破った女か、と誇らしくなった私はついドヤ顔で答えた。
「それだけ魚海くんが好きなんですよ」
本当は別にそこまで好きなわけではなかった。テレビで見かけたら「お、イケメンだなぁ」と目で追ったり、主演のドラマを目の保養と称して見てみたり、ただそれだけ。みんなやっていそうなことだ。ファンからどつき回されるレベルのにわかだ。
けれど私は、彼にどこか運命的なものを感じていた。ただ顔が良いだけではなく、無性に惹かれる魅力がある。それは雰囲気として香水のように漂っていた。だからニット帽サングラスマスクの完全防御でも余裕で分かったのだ。私凄い。
「えぇ、凄い……」
私が熱烈なファンなのだと真に受けた彼は、お詫び代わりのお世辞のつもりか、控えめにぱちぱちと拍手した。それから縄を棚に戻し、少し考えるように宙を眺めた。
「……あの、ここじゃあれなのでついて来てもらってもいいですか?」
再び目が合った時、彼は覚悟を決めたような面持ちだった。
「分かりました」
私は喜んで後をついていった。今日がエイプリルフールであることも、相手が嘘をついている可能性も、お互い微塵も考えていなかった。
彼は人通りがなく狭い地下通路の入り口で立ち止まり、夜に馴染んで見えなくなりそうなほど暗い表情で事情を話し始めた。
「僕、あの縄で首を吊って自殺しようとしてたんです」
「へぁ!?」
私の叫び声は通路の端まで響いた。
「ホームセンターで買うと怪しまれる心配がありますが、SM用の縄なら堂々と買えると思って」
そんなことはない。
「でも途中でやっぱり不安になって、こっそり万引きをしようと……して、いました……」
罪悪感から語尾が小さくなっていくのが可笑しい。グループのリーダーのくせにそんなに小心者だったとは。可愛いな、もはや愛らしいな。相当な親近感を覚えた私は距離感をバグらせ、彼の肩にぽんっと手を置いた。
「大変だったんですね。大丈夫です、人間誰しも失敗はありますから」
「!ありがとうございます……」
彼はぺこりと礼儀正しく頭を下げた。良い子、守ってあげたい。母性本能まで湧いてきた私は、意を決してお節介な説得にも踏み込んでみることにした。
「でも魚海くん、いくら大変でも自殺は……悲しいです。どうか一人で抱え込まず助けを求めてください」
「……」
彼は反応を躊躇っていた。あぁやらかしたかもと不安に駆られていると、彼は重苦しさを誤魔化すように苦笑した。
「いえ、人から見ればくだらないことですし、悪いのは全部僕なんです。僕が弱くて情けないせいで。だから僕が消えれば良くて……」
「いやいや何言ってるんですか!?あなた自分が誰だか分かってます!?国民的スターですよ!あなたが消えたらどれだけの人が悲しむと思ってるんですか!後追い自殺者も出ますからね!」
思わず声を荒げて肩を掴む。だが彼は揺るがず、寂しげなまま呟いた。
「……意外とそんなことはないんですよ」
「う、魚海くん……」
闇に飲まれた目を見て、今の彼は誰にもどうすることもできないのだと感じた。だから彼は本気で死のうとしていたのだ。助けを諦め、一人ぼっちで。
(そういえば今日はエイプリルフールだったな。じゃあ私も言いたいこと言っちゃおうか)
気まずい沈黙の中でふとそう思った私は、躊躇なく願望を口にした。
「じゃあさ、死ぬ前に私と付き合ってくれませんか?」
100%の確率で断られても「嘘ですよ」と笑って無かったことにできる。我ながら面白い冗談だと自信があった。
魚海くんは目をぱちくりさせ、それから愉快そうに目を細めた。
「え、良いですねそれ」
所詮君も同類だったようだ。
それからの私は、堕落という言葉が相応しい日々を過ごした。朝と夜の区別がつかない無機質で薄暗い個室で、魚海くんと抱き合ったまま、現実と夢の狭間に沈んでいった。
感覚に身を任せながら、分かったことはたった三つ。魚海くんの人肌は温まらないこと、魚海くんはアイドルに向いていないこと、セックスはそこまで気持ちよくないこと。
魚海くんの名前検索で見かけたリアコ勢垢は、毎日抱かれたいと呟き、夢小説を書き、隅々まで考察を繰り広げていた。好きな人にはどこまでも期待し依存していたいのだろう。以前ならその気持ちに共感できた。恋人ができたら沢山尽くしたいと思っていた。でも現実を知ってしまった途端、夢見ることが馬鹿馬鹿しくなった。自分のことばかり考えていたくなった。
好きの容量は半分程度で、魚海くんが好きというよりは、魚海くんに抱かれる私が好き。気持ちよくないのに喘いであげて、疲れてるのに慰めてあげて、美味しいご飯まで添えてあげる。こんなに優しい私と出会えたことに感謝してほしい、などと高慢なことばかり思うようになった。もはや相手は誰でも良くなっていた。
アイドルの死だからみんな悲しむ?確かにそんなことはなかった。私だってどちらかというと、芸能人だからって沢山悲しまれてずるいな、なんて恨む方だった。人間を知るにつれ、純粋がどこかに行ってしまった。
『依存で性格が変わる』朝方からそんな記事が流れてきてハッと我に返った。セフレって共依存だろうか?というかいつからセフレになったんだろうか?付き合うってこういう意味で言ったわけじゃなかったのにな。こういう意味でしか捉えないか、大人は。芸能人なら尚更ね。
私の思考はすっかり泥水のように淀んでいた。虚しさで皺のないシーツがやけに気になって、爪でぐしゃりと掻き集める。自分が何をしたいのか分からなくなっている。だらだらと半年も経ったことだし、これ以上つまらなくなる前にもう終わらせたい。いっそのことみんなにバレちゃえばいいのに、とネットニュースの画面をなぞる。すると一気に自己嫌悪感が湧いて、私は慌てて立ち上がった。
「うわうわ流石に性格悪すぎ、これじゃハニートラップする下衆女みたいじゃん。魚海くんに申し訳ないわ」
私は欲求不満を解消できてHAPPY、だから今の状況に満足しよう、そう明るく自分に言い聞かせ、気分を切り替えようと洗顔に向かった。どうせボロボロだろうから、鏡を見る気にはなれなかった。薄汚れた桶に冷水を浸す。染みるだろうな、と少し躊躇いながら指をつける直前。水面に歪な波紋が広がって、私以外に誰かがいる気がした。
「え?」
背筋に嫌な予感が走り、弾かれたように洗面所から飛び出す。やはり奥の玄関には、置物のような黒い人影があった。彼が裸足でドアの前にうずくまっていたのだ。
「な、何してるの?仕事は?いつも通りとっくに行ったと思ってたのに。これもう遅刻確定じゃんどうするの」
彼はマイペースにゆったりと顔を上げた。私と同じくボロボロだった。
「流石、君は僕の気配がちゃんと分かるんだ。出会った時もそうだったよね。嬉しいな」
「や、今そんなことどうでもいいから……」
「どうでもよくないよ」
彼に真剣な目で見据えられ、私は射抜かれたように動けなくなってしまった。
「変装するとどんな人混みでも誰にも気付かれないこと、実はさ、結構落ち込んでたんだ。あぁみんな意外とそんなもんなんだ、僕なんか消えてもいい存在なんだって。でもそれじゃアイドルになった意味が、今まで頑張ってきた意味がよく分からなくなるじゃんか。だからあの時君が気付いてくれたこと、本当に嬉しかったんだ」
いつにも増してお喋りな彼にますます嫌な予感がして、私はこれ以上喋らないでほしいと思った。けれど人を思うように操れるわけもなく、彼は壊れて暴走した機械のように止まらなかった。
「嬉しかったのにさ、最近は君といればいるほどあの時の嬉しさが薄れていくようで。君と会う頻度が下がったのも、仕事のパフォーマンスが落ちたのもそれが原因なんだ。自分でも嫌になるほどわがままだけどね、これぐらいじゃないと芸能界なんてやっていけないって開き直ることにしてて。うん、してたはずなんだけど、全然上手くいかなくて、頭おかしくなりそうで……」
「……結局何が言いたいの?」
自分でも怖くなるくらいに、怒りに満ちた低い声が落ちた。彼はびくりと顔を強張らせ、それでも頑張って私に目を合わせ続けた。
「ぼ、僕は前、自殺したいとか言ってたでしょ。君に抱き締められる度に辛さが吹っ飛ぶから、全部どうでも良くなってたのに、今はまた死にたい気持ちが強くなってて、それは、なんでかっていうと、実は僕……」
もう一人付き合っている人がいます その彼女から束縛されて、脅しとDVを受けています
それは遠くで震える虫の羽音のようで、単なる他人事に思えた。そのおかげか雲がさあっと流れるように怒りが消え、私は場にそぐわない爽やかな表情を自然に浮かべていた。
「うん、そんなもんだと思ってたよ。私、人に期待も依存もしたくないし。君とはただヤりたかっただけだし、何も問題ないよ。だから謝らないで?」
「う、ぅ……」
けれど小動物のように縮こまった哀れな姿を見た瞬間、自分の知らない加虐心が、マグマのようにどろりと垂れた。
「……いや、やっぱ私の気が済むまで謝ってほしいかな」
そうだ、君の言う通り、全部君が悪い。弱くて情けなくてくだらないことばっか言って消えたいくせにのうのうとのさばってる君が悪いんだ。
「ご、ごめ……ごめんなさ……!!ゔああぁぁ……!!」
彼は声にならない声を上げ、頭から崩れ落ちた。だんご虫、というより虫のような小物と化してひたすら許しを請い続けていた。私はそれを冷たい目で見下ろし、ざまあみろとしか思わなかった。君の前では、私は悪者がお似合いだった。史上最高に心が満たされていく感覚がした。
私がずっと満たしたがっていた欲求は、どうやら性欲ではなく支配欲だったらしい。
彼は私の命令で、私の知らないどこかから、インクタに二股を告白する文面を投稿した。それは深夜、冷凍庫のような世界に星のように散らばり、人々の視界をわがままに奪った。きっと星は彼のメンバーカラーの青色だ。危ない着色料を使っているから食べたら食中毒を起こす。そんな想像をして一人マスクの下で笑いながら、私は平然と街中を闊歩していた。私はスーパーアイドルと浮気した悪女。今だけ世間の目を支配できる特別な人間。
(えーみんな全然気付いてくれないの?ふふっ馬鹿だなぁ、魚海くんにすら気付けなかったお前らは、本当のことなんて一生知らないまま、馬鹿みたいに騒いで死んでいくんだろうなぁ)
もしかしたら彼は、この世の哀れな真理を知っているから死にたかったのかもしれない。なんて憶測を立てる時点で、私も何も分かれていないのだ。それでいい、他人のことなんて何も分からないし、踏み込みすぎない方が人生楽しいはずだ。
「♪ふんふ〜ん」
機嫌良くギンブリの代表曲の鼻歌を歌いながら、スクランブル交差点の真ん中でくるりと回る。その時、私の邪魔をするように風が吹き、ふわりと魅惑的な香りがした。
「あ、意地悪」
口元を緩めて風が来た方を振り返る。惹きつけられたビルの画面には、キラキラ輝く魚海くんの写真が大きく映し出されていた。あまりの眩しさに目を細めた。本当にキラキラだった。
「うん、やっぱ存在感抜群だわ」
これでもまだ私にとって魚海くんは、普通に好きなイケメンアイドルの一人だ。