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「お前の場合、別に人間を襲ったり、噛みついたら感染したりするってことはない。ただ死んでるだけのゾンビだ」
「……はあ」
ロメは大きなソファの上で、正座して小さくなっていた。
向かいのラグにあぐらをかいたルチオが腕組みしてじろじろと無遠慮な視線を向けてくる。
「じゃあ、あの、一応周りには無害……なんですよね」
「たぶんな」
「そ、そこは断言してください……不安で死にそうになります」
「もう死んでるだろが、デスギャグかましてんじゃねえ」
「ギャグ……ではないです……」
この人こそ、人の心とか倫理観とかが死滅してる。
そう思いながら、ロメはますます小さくなった。
授業を休んだはいいものの、とても寮でじっとしていられる気分ではなかった。
結局『病院に行く』と理由をつけて外出申請し、メモを頼りにたどり着いたのは新しそうなタワーマンションだった。メモに書かれている部屋番号はよりによって最上階。
絶対デタラメな住所だ、と思いながらも恐る恐るチャイムを鳴らすと、出てきたのは紛れもなくルチオ本人だった。
通されたリビングはナチュラル調のやわらかな雰囲気の家具で統一されていて、どこにも世紀末的な気配はない。
「部屋と住人が合わなさ過ぎて雑コラみたいになってる……もしかして不法侵入してるのかな……」
「あ? 何ブツブツ言ってんだ、聞こえねえ」
「い、いえ、何でも……ないです」
「シャキッと喋れ」
ルチオはロメを睨むと、話をつづけた。
「で、だ。お前が人間に戻る方法は――朝言った通り、『理想の彼氏と恋をする』こと」
「あ……また言った」
「生ぬるい目で見んな! こっちだって繰り返しこんなメルヘンなこと言いたかねえんだよ!」
ルチオはムスっとした顔で灰皿を引き寄せると、断りもなく煙草に火をつけた。
「要は、恋愛のトキメキで心臓に継続的に強いショックを与えるってことらしい」
「片想いではダメなんですか……」
「片想いだとショックが弱すぎる。……らしい」
「はあ……」
「二次じゃだめですか」と聞こうかと思ったけど、また怒られそうなのでやめた。目の前の男に「二次」が通じるかどうかも怪しい。間違いなくオタク文化とは対極にいるタイプだ。
「分かったな? 二度は説明しねーぞ」
じろりと睨まれ、ロメは慌てて頷いた。
「わ……分かりました」
「よし。ちなみにパウダーの効果は半年で切れるからそれまでに作れよ、男」
「はい、半年……半年!?」
機械的に頷きかけたロメは妙な角度で固まった。
「ま、半年もありゃ余裕だろ」
「いやいやいやいや待ってください!」
ロメの口から、思わず今日イチでかい声が出た。
「あ?」
ルチオの眉がピクリと跳ねあがった。それだけで、前のめりになりかけていたロメはピュッと小さくなった。怖い。
「あ、あの……効果ってもしかして、有限なんですか?」
「当たり前だろ」
「ちなみにですけど、そ、それまでに彼氏が出来なかったら?」
「腐ってウジがわいて死ぬ」
ロメはソファから転がり落ちた。
「終わった……生存ルート消滅……」
「何言ってんだてめえ」
「いや無理です不可能ですミッションがインポッシブルです……だって私、父親と教師以外の異性とちゃんと話したこともないんです」
「ああ? お前それでも女子高生か?」
心底呆れたような声音が突き刺さる。ロメは思わずソファの下で土下座した。
「すみません、こんなんで女子高生名乗っててすみません……そもそも私なんかが浮かれてオフ会に行こうとしたのが間違いでした……」
「おい」
「あと半年、ひっそりジョナ様を愛でて暮らします……そうだ、お棺に入れてもらうジョナ様グッズの選定をしてハルちゃんに託さないと」
「おい、って」
ぶつぶつ呟き続けていたロメの頭に、ぽんと手が置かれた。
「え……?」
顔を上げると、いつの間にかルチオが目の前にいた。目が合うと、ふっと微笑む。
唐突な笑顔にロメがぎょっとした瞬間、ギラリと目が殺意を放った。
「ひっ」
「い・き・な・り、諦めてんじゃねえ!」
思わずのけぞった顔をわしっと大きな手が掴み、そのままメリメリと締め上げてくる。
「イタタタタタアッ!? あ、頭ポンからまさかのアイアンクロー!?」
「いいか、この俺がついてんだ。たいていの男は落とせる顔に仕上げてやる! ゾンビだってバレねえうちに落とせ!」
「そ、そ、そんなこと言われても」
「ウジウジしてると腐敗が早まるだけだ! 何だてめぇ、腐りてえのか!? それとも生き返りてぇのか、はっきりしやがれ!!」
「ひえええっ、生き返りたいですっ……!」
「よし」
ぱっと顔から手が離れ、ロメは息も絶え絶えに床に這いつくばった。
ここはほっこり団らん風地獄だ。気分的にはこの部屋に足を踏み入れてから、もう三階は死んでいる。
「お前のゾンビ顔のことは任せろ。心配すんな、俺はプロだ」
ロメは偉そうに腕を組むルチオを床から見上げた。
「プ、プロ……プロのヤンキーの方ですか」
「舐めてんのかボケ! 俺のどこがヤンキーだ、もう眼球腐ってんのか!」
「ひっ、すみません!」
「メイクだよ」
「へ」
ロメがぽかんと見上げると、ルチオはイライラと繰り返した。
「だから、メイクアップアーティスト。聞いたことねえのか」
「メイクアップ……バンドマンじゃなくて?」
「なんでバンドマンが出てくるんだ!? 俺がギターかき鳴らして道端に立ってるように見えるか、ああ?」
むしろギター叩き壊して蝙蝠とかの生き血すすってそう。
と思ったが、ロメはとりあえず首をブンブンと横にふった。
「そ、そうですか……メイクアップ、アーティスト……なんですね」
「おう」
「そ、それは大変お忙しいでしょうし……私のことはこのまま放っておいてくださって結構ですので……」
「チッ」
ルチオは舌打ちすると、どすんとソファに腰を下ろした。
「いつまで地べたにいるんだよ、座れ」
「え、いや」
「いいから座れ。無駄な遠慮すんな」
「や、横は怖……あ、いえ、何でもないです、失礼します」
ロメは出来るだけ距離を取ってソファの端にちょこんと座った。その様子をちらりと見たルチオはムスッとした顔のままそっぽを向いた。
「あのな。……一応、これでも恩は感じてんだよ」
「え?恩って……ゾンビにした責任じゃなくて?」
「それもあるけどな。お前、事故の時のこと覚えてねえの?」
「あ、あんまり……」
ルチオはそっぽを向いたまま、頭をガシガシとかいた。
「俺もダンプに巻き込まれかけてたんだよ。それを、お前が後ろから俺を突き飛ばしたんだ」
「……私が?」
よく覚えていないが、なんとなく革ジャンの背をついた感触がぼんやりと蘇る。
「ひぇっ……そ、それは大変失礼を」
「何でだよ。お前が俺を助けたんだって言ってんだ」
「……たす、けた?」
「俺は女で、しかも高校生のガキに命助けられた上に、そいつをゾンビにしちまったってことだ」
ルチオは腕組みをとくと、こちらに向き直った。
「このままほっとけるわけねえだろうが」
じっと見つめられ……いや、睨まれている。
ガンを飛ばされまくっている。
「恩は返す。いいな」
「いえ、あの」
「うるせえ黙れ。いいな?」
「は、はいっ」
「よし」
ルチオはニヤリと笑うと、煙草と灰皿を引き寄せた。
プレッシャーから解放され、ロメはどっと噴き出た冷や汗をぬぐった。
これは脅迫というのではないだろうかか?
「恩返しって、ますます昭和のヤンキーっぽい……でもさっきの迫力、むしろお礼参り的な空気だったけど……」
「あ? だからブツブツすんなってんだよ、ほんと暗い奴だなてめえ。死んでるからってテンション下がりすぎだろ」
「す、すみません……生きてる時からこのテンションなんですが……」
「もっと気合い入れろ、腐るぞ。……そうだ、明日も窓から行くからな。寮の部屋の窓、鍵開けとけ」
煙草の煙とともに吐き出された言葉に、ロメは再び硬直した。
「ま、また来る気ですか!?」
「当たり前だろ。生き返るまで毎日行くぞ」
「毎日!? お仕事は」
「今は休業中だ どうせ暇だしな」
「暇つぶし……?」
「あと、また見つかってもめんどくせーから、同室のヤツにはうまいこと言っとけ」
「え!?うまいことって」
「任せるわ」
「が、ガバガバすぎる……!」
ロメが泣きたくなってきた時、スマホがメールの着信を知らせた。
「あ、すみませんちょっと……って、あれ?」
見覚えのないアドレスに首をかしげながら画面をタップしたロメは、目を丸くした。
「……あ! これ……チャーリーさん!?」
それはオフ会の幹事でジョナ様好き同志でもある「チャーリー」からのメールだった。