TellerNovel

テラーノベル

アプリでサクサク楽しめる

テラーノベル(Teller Novel)

タイトル、作家名、タグで検索

ストーリーを書く

シェアするシェアする
報告する

【廿壱話】


私は振り返って彼の顔を見た。

日下部は神妙な顔でゆっくり頷いた。


「では――あの指輪の中に入ってたものは――そしてあの繊維は――」

彼は黙ってもう一度頷いた。私は思わず指を服に擦り付けた。其れを見て少し笑った彼が今度は遙さんの傍に行った。


「捜査官がこの屋敷に何人か入る事になります。許可を頂きたい。」


日下部は恐らく断られないのを知っていて聞いた。

案の定問われた彼女は驚きもせずに頷くと遠くを見たまま云った。


「母に聞いて下さいますか?多分、断らないと思います。」

日下部は頷くと首を茶卓を挟んだ対岸に居る野々村に向けた。

「ああ、そうだ。野々村君、だっけ。お連れしたよ、例の人。二つ返事で快諾してくれた。さて――」


日下部は如何にも億劫そうに土間へ行こうと立ち上がった。


「待ってください。」


全員が声の主である野々村を見た。


「全ては朝食を頂いてからにしませんか?都心まで、

三時間掛かるでしょう?」


非常に無機質な提案だが全員が頷いた。

皆、これから何が起こるのか薄々分かっているのだ。

そしてその言葉が何を意味するかも判って頷いているのだ。


昨晩の悲痛な言葉が今もこの耳に残る。

それはきっと私だけでは無いのだろう。



――やっぱりお前は!知っていたのではないか!

嘲笑ってたのか!呪っていたのか!




――何故似た!何故あの人に似なかった!

何故女に産まれた!何故私の子で無かった!




―― 矢張り、私は真の娘では無かったのですね




何かが飛沫していく様なやり取り、その言葉がぐるぐると脳裏を駆け巡る。



不意に一人を除いて全員、顔を見合わせて悲しげに笑った。野々村だけが腕を組み鬱々と考え込んだ顔をしたまま座っていた。


私は野々村に近づき、その背を元気付ける様に軽く叩いた。


「云ったでしょう?教授。僕は観測者に過ぎませんと。」

「観測者に徹するなら対象に過剰な思い入れを持ってはいけないんだよ」

「分かっていますよ。僕だって云ったでしょう。」


私は遙さんを見た。私に野々村も釣られて見たのが目の端に見えた。


「あ、お兄様もお茶飲まれますよね?」

視線の先の彼女はそう云ってそそくさと用意し始めた。


「慕われると情が湧くだろう?」

「湧きますよ。とても――」


野々村はそう云って薄暗く笑った。


「君も偉そうな事云えないじゃないか。観測者には向かな――」

「情が湧いたから、刺す留めもあるでしょう。」


野々村にしては重い重い言葉だった。

私は彼の顔からその真意を読み取ろうと見つめたが彼は虚空を見たまま、妹君が出した茶を静かに飲んで庭を見た。


窓に映る野々村の顔は酷く辛そうだった。


「私でも出来る役だ。私が話そう。」

「僕で無いといけません。」

「何の根拠があって――」

「根拠、根拠――」


ゆらり、と彼の身が揺れた。


突然野々村の息が乱れ、彼は喉元を押さえ苦しそうに座ったまま喘いだ。汗がポタポタと落ちる。酷い量だ。


「大丈夫、大丈夫だから――ゆっくり息を吸いなさい――」

「嫌だ。嫌だ。もう壊すのは嫌なんだ。勘弁して。お願いだ。」

「何だって?」

「貴方の望む通りにはなれないよ。僕は、僕は――あ――ああ――。」


囁く様な吐く様な声。尋常ではない様子。

何かを振り払う様にゆらゆらと体を揺らせた。


野々村が同行すると聞いた時から一応用意しておいた鎮静剤。耳元に彼の言葉が蘇る。


――僕の記憶は――どうやら遅れて到達する様なのです。


彼は遅れて――と言ったが私は別の線も疑っていた。

只の記憶障碍であんな馬鹿力が出るだろうか。

只の記憶障碍であんなにころころと態度が変わるだろうか。


彼は明らかに人格分裂を併発している。

私はそんな気がしてならなかったから――上着にこれをそっと入れて来た。


彼に関しての可能性は未知数だ。予想が立て難い。

少なくとも荒ぶる破壊神の様な人格は存在していると想定される。私は腕力に自信の在る方では無いし、彼が何かの拍子に暴走したとすれば止める義務が在る。


今がその時かも知れないな――


そっと胸ポケットに手を突っ込むと木箱に入れたソレを掴む。片手で開けると簡単に箱は空いた。止め具が甘かったのか。


金具の軋む音が聞こえた。私は彼に感づかれる前に――とポケットからその注射器を出し、彼の項に――


「止めといた方が良いぜ、きょーじゅ――」


脅す様な、唸る様な低い、低い声だった。

私は野々村を見た。彼は首を押さえ、今だ玉の様な汗を床に落としながら振り向きもせず


ニタリ――と笑った。


いつか見た光景。髪の毛越しに垣間見る悪意。

彼はがくりと首を落とすと扱いの下手な人形師に糸で持ち上げられた傀儡の様にその首を荒くこちらに向けた。


殺気立った瞳、首が在る事が不思議に思える程、異質な動きだった。

気圧され、俺は思わず恐れを抱き、後ろに身を崩し、手をついた。


「僕が居ないと後悔する事になるよ」

「どう云う――事だ?」

「さあな。」

「云え」

「云いたくない。」


固い拒絶。私は野々村の肩を強く握る。


「聞かない方が良いぜ。僕の顔を覚えて無いんだろう?」


彼は私を凝視したままふっと顔の顔を弛緩させ、

今度はゆっくり優しく、優しく微笑んだ。


それはとても妖しく、柔らかく、そして



――酷く、、懐か、しい――?



「どうか――忘れないで――」



――この――声は。



「お願い――どうか――して――」



――この声は――声は――。


背骨にまで届かんばかりの頭痛が私を支配する。

野々村の声が、誰かの真似をした声色が、

まるで洞窟の中で聞いている様な響きで持って私を、蝕み――


「是終様――」


目の前の、少女の様な面持ちの野々村の髪が一瞬伸びた様な錯覚がした。目を擦る。髪の長い野々村と短い野々村がチラチラと入れ替わり――全てを飲み込まんばかりの頭痛に押さえ込まれ――


私の意識は白く白くなっていった。


抵抗する。私は訳も分からず抵抗する。頭を擦り覚醒しようともがく。気だるい意識をゆっくり、ゆっくりと戻す――


私は、此処で気など失っている――場合じゃない!


それは現実への責任感とも過去からの逃亡とも付かない強い意思で視界に掛かる靄を振り払った。


少しずつはっきりと開いて行く視野の中で――目の前に居た、恐らくずっと私の不調を見ていただろう野々村は笑っていた。


酷く悲しい様な嬉しい様な、泣いている様な哂っている様な、感情の特定し辛い複雑な顔だった。


「聞かない方が、良い。」


彼はもう一度そう云うと私に背中を向け、再び庭をじっと見つめた。もう、何も聞くまい。いや、聞けまい。


気が付くと茶卓には朝食の用意がされていた。

私達の異常に気が付くものは居てなかったようだ。


「さあ、では食べましょうか。」


志津子さんは夕べとは違う、何故か真っ黒な着物を着ていた。

喪服とは違う。まるで玄関の衝立と揃えの様な美しい櫻の華やかな模様だった。


彼女はまるで時間に逆行している様に若く美しい。

五十手前だと云うのに彼女はまだ枯れる所か地面から活き活きと水を吸い込み人を魅了し続ける華の様だった。


まるで魔性だ。


恋をすると女は若返ると聞いた事が在る。

遙さんの云う通りだとすると志津子さんは未だ遙さんの夫である男に未練を持ち恋焦がれているとの事で――


その所為かも知れない。まるでいつか来る王子を待つ夢を見る乙女は時すらも忘れてしまったのだろうか。


赤い紅を引いたその横顔は酷く幼く、

しかし疲れ果てている様な影は確実に差していた。


皆、気不味いと云った顔をして互いの顔をちらちらと見た後、まばらに箸に手を付け始めた。蒼井さんが皆を元気付ける様に他愛も無い話を振る。皆がその意を汲む様に話題に乗りひと時の賑わいを見せた。


食事は矢張り美味しかった。皆が口々にそう云うと嬉しそうに、それは嬉しそうに志津子さんは微笑んだ。



しばしの休息、後、静寂。


皆が片付けを手伝い終わった後、祭りが終えた様な物寂しい空気が居間を包んだ。茶卓へ座り、茶を飲み過ぎ去った時間を偲ぶ蒼井さんの横には遥さん。


夕べの事が在ったから近寄りがたいのか、近寄りたくは無いのか

彼女は母親である志津子さんに対して必要に迫られた状況で無い限り接触を避けていた様に見えた。


そしてその寄せる身の無い彼女を援護する様に蒼井さんが彼女の横にぴたりと付いていた姿は幼き日に彼女が胸に積んだ後悔の大きさを思わせた。


相変わらず野々村は一人、将棋を興じていてその傍で

須藤さんはそれで無くとも小柄な身を縮める様にして何か考え込んでいた。


樋口は何度も志津子さんの顔色を伺う様に見つめて

日下部はそんな樋口の顔色を伺っていた


まるで三角関係だ。


そして志津子さんは――皆の顔色を伺いながら「皆様、食後の――お茶でもお飲みになりますか?」と聞いた。


「紅茶を頂きたいです。皆さんもお飲みになりますよ――ね?」

有無を云わせる気の無い語尾の強さに気圧されて皆が慌てて頷いた。それを見て暫く凍り付いていた彼女は「今すぐに――」と頭を下げるとそそくさと土間へ向かった。


彼女が退室した瞬間、緩む空気。皆、何か話そうと口を開くが言葉が見つからず諦めて閉じる、と云った動作を阿呆の様に繰り返していた。


「お待たせ――致しました。」




【続く】

この作品はいかがでしたか?

47

コメント

0

👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!

チャット小説はテラーノベルアプリをインストール
テラーノベルのスクリーンショット
テラーノベル

電車の中でも寝る前のベッドの中でもサクサク快適に。
もっと読みたい!がどんどんみつかる。
「読んで」「書いて」毎日が楽しくなる小説アプリをダウンロードしよう。

Apple StoreGoogle Play Store
本棚

ホーム

本棚

検索

ストーリーを書く
本棚

通知

本棚

本棚