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文化祭まで、あと二日。
クラスでは最終調整が進み、出入り口の看板やBGM、衣装チェックまで確認作業が行われていた。 『不思議の国のアリスカフェ』の世界は、夢と現実の境界を曖昧にしながら完成に近づいていた。
けれど──仁人の心は、少しだけその現実から離れていた。
勇斗の告白が、頭から離れない。
(“好き”って言われた。……あの勇斗に)
中学時代からずっと近くにいた存在。
頭が良くて、スポーツもできて、みんなに好かれてて……だけど、仁人にはいつも自然体で話しかけてくれた。
その勇斗の言葉は、真っ直ぐで、あたたかかった。
一方で、太智のことを考えると、胸の奥がチクリと痛んだ。
(だいちゃんは、僕が“じんちゃん”だったって気づいた。それから、少しずつ変わった)
笑い方、目の向け方、距離の取り方。
どれも変わった。でも、肝心なことは、まだ何も言われていない。
──ねえ、あの時の約束、覚えてる?
そう聞いてみたかった。
でもそれは、自分から話すことではない気がした。
仁人がそんなことを思いながら装飾のチェックリストを見直していると、不意にその背後から声がした。
「なあ、じんと」
「……太智くん?」
太智が、少し眉を寄せて立っていた。
「……話、したいことあるんやけど、今ええ?」
「うん。ちょっと廊下出ようか」
ふたりは教室を出て、静かな階段の踊り場に立った。
下の階からは文化祭準備のにぎやかな声が聞こえてくる。
太智は少しの沈黙のあと、ぽつりと口を開いた。
「……じんと、勇斗のこと、どない思ってる?」
「……」
予想していなかった言葉に、仁人は目を伏せた。
「告白、されてんやろ? 昨日。うち、そこにおって、全部聞いてもうた」
「……うん」
「正直、ショックやった。……仁人がありがとうって言うたのも、笑ってたのも。うち、心の中ぐちゃぐちゃになってしもうて……」
太智の声は震えていた。
そしてその目は、初めて見せるような不安で揺れていた。
「うちは、昔じんちゃんと結婚の約束した。それだけで特別やと思ってた。けど──」
言葉が途切れた。
太智が一歩踏み出して、仁人の手をそっと握る。
「けど、それだけじゃあかんのやなって思った。うちは今の仁人が好きや。昔の約束やなくて、今、ちゃんと好きになったんや」
仁人の目が見開かれる。
「うちが好きなんは、“うちの前で笑ってくれる仁人”なんやって……」
「……だいちゃん……」
「だから……勇斗やのうて、うちのこと、見ててほしい」
その言葉は、幼い日の声とは違っていた。
あの日、遊び場で手を繋いでくれた“だいちゃん”が、今はまっすぐな目で、仁人の手を離さずに立っている。
仁人の胸が、熱くなった。
──自分はずっと、待っていたのかもしれない。 この言葉を、この手の温度を。
「……僕も、だいちゃんのこと、ちゃんと好きだよ」
その瞬間、太智の目に涙が浮かんだ。
でも、それは悲しい涙ではなかった。
二人の間に、小さな風が吹く。
それは春のようにやさしく、心の氷を溶かすようだった。
そして──文化祭当日が、ゆっくりと、近づいていた。