怪しい人影達が急に速度を上げ、路地を確認しつつ、何かを追い乍《なが》ら左右の屋根を飛び交う。生憎、背後のこちらの存在には未だ気が付いていない、暫く距離を保ち追うと不審な者達軈て歩みを止め、また新たな者達と合流したかに見えた。
―――何だ?……
腰を落とし目を凝らすと、目下《もっか》の路地に二つの人影が視界に入った……
(奴等《やつら》はこの人影を追って居たのか? )
―――追い詰められてる?……
数人の黒い影が地表に降り立ち、二つの人影の退路を塞いで居る。
(圧倒的に数が違い過ぎる―――)
―――まずいな……
互いが睨み合う一触即発の緊迫した状況下で、ジリジリと対峙《たいじ》する間合いに渾身の力を込めて屋根から大剣をブンっと投げ込むと、ドガンッと地表に突き刺さした。一瞬にして張り詰めた糸を断ち切ると、強引に間《あいだ》に割って入る。
「何っ―――⁉ 」
「おっと悪いな。つい手が滑った」
屋根に残った覆面姿の数人が一斉に振り返る。曲剣《シャムシール》を抜き、手首を返し縦に軽く回し、振り払う仕草を見せると、臆《おく》する事無くこちらに踵《きびす》を返し距離を詰め襲い掛かる―――
―――怯まずに来るか、どうやら恐怖心を己の中で飼い慣らして居るようだな……
「相手に不足は無い…… 開演の時間だ――― 」
俺は場の夜風を纏《まと》い気勢に変えた……
「なっ⁉ ナニカじめんがユレたれす? 」
ギアラはその場で顔を上げクンクンと鼻を鳴らすとキョロキョロと周りを気にする仕草を取る…… 治癒院の中庭と併設《へいせつ》する砦方面から何やら嗅ぎ慣れない匂いが鼻を突く―――
「なんのニオイれすかこれ? 」
何かの危険を察知し、今度は自分の足元の土を一生懸命掘り返し、大きな穴を掘る。
「よいショ、うんショ」
「アンタ…… 何してんのソレ…… 」
ギアラの側に居るであろう見えない存在が話掛ける。
「オマエにはかんけいないれす。だいヂなのれす」
「さっきアンタそこでオシッコしてたわよネ? あらゴメンナサイお漏らしだったかしらネ」
ピクリとギアラの動きが止まる……
「うるちゃいれす! ダマるのれす」
掘った穴に顔をすっぽりハメ込み、身体を穴にグイグイ押し込むと漸《ようや》く満足したのかギアラの動きがピタリと止まった。
「それ…… 若《も》しかして隠れてるつもりなの? 凄く言いづらいんだけど、お尻《けつ》が丸出しヨ? 」
「そっそんなコトないれす。きちんとかくれたれす」
「まぁ、そりゃあもうズッポリと隠れてるわよ。頭だけネ」
「…… 」
「てか、従者のアンタはケツ丸出しで隠れてるけどサ、ご主人の事は心配しないで大丈夫なノ? 」
「ゴシュジン? 」
「アンタの大好きな《《マジンサマ》》の事ヨ」
「―――ぶっ!! ちょっ、おヘヤみてくるれす。シンパイなのれす」
「嘘つけ、忘れてただろ今…… 」
泥塗《どろまみ》れの顔で慌てて飛び出すと、治癒院の階段を駆け上がり部屋に飛び込むも、そこには誰の姿も無かった。クンクンと匂いを拾うが、色々な香りが入り交じり、上手に鼻が嗅ぎ分けられない。
「いないのれす…… 」
しょんぼりしたギアラが小さく佇《たたず》む。
「ふふふ、きっと捨てられたのヨ、アンタ役に立たないかラ」
「そんなコトないのれす! いっしょにくるか?って、いってくれたれす」
ぐぬぬと尻尾を上げて気配だけの相手を睨んでいると、不図《ふと》、部屋の角《すみ》に立て掛けられた主人の愛刀を発見する。
「んあっ⁉ なんでココにあるのれすかぁ? 」
刀は鞘《さや》に大人しく収まってはいるが、その漂う妖気は尋常では無い……
「うへぇ、何その呪物《じゅぶつ》…… それって剣なノ? 」
「マジンサマのカタナっていうれす。オマエにも、みえるれすか? 」
「なにソイツ、動かないじゃない。まさか剣に縛られてるの? 怖っわ!! でも珍しい形をしてる剣ね、そんなの初めて…… イヤ…… でも昔に一度だけ誰かが持って居たようナ…… 」
「マジンサマがカタナをナクしていっちゃったれす」
「無くしてないからね、それは置いてったって言うんだからね、意味が全然違うからね! 生まれたてかアンタ? 」
フーンと感心した素振りを見せると、急に興味が無くなったのか、大きな猫は無視を決め込み顔をぺろぺろと毛繕《けづくろ》いを始める。
「コイツ色々まじか…… 」
「さっきのはナンだったのかなぁ、きのセイだったのかなぁ」
今度はお手々《てて》を絶賛ぺろぺろ中である……
「馬鹿ねアンタどんだけぼんやりなのヨ! 裕《ゆと》り世代じゃないでしょうね? 襲撃に決まってるじゃなイ」
「襲撃? 」
お股を開き首を傾《かし》げる姿は最早、野生を忘れた縫いぐるみである。
「アンタ裏庭の奥の城壁に、大きく開いた穴の近くで作業してた奴等《やつら》から、お菓子貰って喜んで腹見せてたわよネ? 」
「うん…… 」
「きっと其奴等《そいつら》は悪者よ。城壁に穴を開けて侵入してきたのヨ」
ギアラは暫くボーっと考え込むと、思いついたように何時《いつ》ものスカスカな持論を述べる。
「わるいヒトゾクじゃないれす」
「何でそんなコト分かるのヨ? 」
「おなかイッパイにシテくれたれす」
「はぁ、もぅ餌付け大成功じゃん。もうイイわ。それじゃあ1つ忠告するけどサ、街が襲撃されてるとしたら、アンタのご主人も窮地に陥《おちい》ってるんじゃないの? 剣も持ってないのよネ? 」
「はっ⁉――― 」
「そうそう。今頃きっと武器が無くて困ってるわヨ」
「あばばばば、あぶぅ」
ギアラはドタバタと走り出すが―――
磨き抜かれた床がシャカシャカと気負うギアラの足を滑らせ、愛するご主人様との距離を縮める事無く高速で空回る。
「まてまてまてーい!! 地に足が付いてないわよ? 慌て過ぎだから、手足ぶん回し過ぎだから、剣忘れてるわよ、ねぇってばホラ」
「あぶぅ」
「ねっ、ねえ君、大丈夫⁉ 」
「うっ、う~ん…… 」
カシューの顔の直ぐ近くで、開いた扇《おうぎ》の様に美しく乱れた黒橡《くろつるばみ》色の髪から艶麗《えんれい》な少女が目を覚ます。魅惑的な薄い瑠璃紺《るりこん》の瞳と、ツンと物憂げな朱鷺色《ときいろ》の桜脣《おうしん》がカシューが男である事を自覚するのに時間は掛からなかった。慌てて肩に手を添え引き剥がす―――
「ごっごめん! 大丈夫かい? 」
美し過ぎる褐色の肌の少女に、熱を帯びた頬を悟られぬ様に問う。
「あぁ、え~と私、一体…… 」
「あそこの屋根から二人して此処に飛び込んで来ちゃったんだよ、覚えていないのかい? 」
すると少女の表情が一気に蒼褪《あおざ》めカシューの両肩を激しく揺らした。
「ごっごめんなさい私、こんな事してる場合じゃないの、急がないと大変な事になる」
つッ―――‼
少女は慌てて立ち上がろうとするも、膝に激痛を覚え、立ち上がる事が出来ない。其《そ》れでも何度も身を前に進もうと試みる……
「そんな…… 行かなくちゃいけないのに…… うッ」
「ダメだよ動いちゃ、きっと脚を痛めてる。無理したらだめだよ」
「そんな事言ってられないの…… 急がなきゃみんな死んじゃう‼ 」
「―――――⁉ 」
少女の美しい真っ直ぐな瞳から、大粒の憂思《ゆうし》の念が零《こぼ》れ落ちる。尋常では無いその姿から、一瞬でも運命を感じた妄《みだ》りがましい自分を恥じた。
「なっ何が? 詳しく話してみて」
「怪しい兵士達が攻め込んで来てるの、きっとこれから大きな戦闘になる。早くこの事を兵舎に知らせないと、お願い時間が無いの。力を貸してお願い…… 」
「何だって⁉ 」
二階席の客達も、事の重大さに信じられないと云った表情で、ざわついている。
「みんな本当なの信じて。そして早く逃げて。じゃないと取り返しのつかない事に成る」
少女の切羽詰まった叫びに漸《ようや》く気が付き、客達は慌てて我先にと店を飛び出す。カシューは少女に背を向け無言で背中を貸す……
「なんで?…… 」
「その脚じゃ無理だよ。僕も一緒に行く‼ さぁ急ごう」
天命より享《う》け賜《たま》わりし吹き降ろす風に、運命の邂逅《わくらば》に絡みつきし風見鶏は非情に鳴く。啼《な》き痛《い》む心に映《も》ゆる冷酷なる宿命と、悲しき結末を誰《だ》が憂《う》い見定めむ。忍び寄る煉獄の大河は、誰《だ》が為《ため》に描《えが》きし地獄絵巻か。
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