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ネクタイの束を眺めている時、馨が戻って来た。まだ、髪がしっとりと濡れている。肩にはバスタオル。
「シャワーいいです——よ?」
下着姿でネクタイを眺める俺を見て、馨が訝しむ。
「何、してるんですか?」
「いや——」
「え? 本当に捨てるつもりじゃないですよね?」と言って、俺の隣でネクタイを見下ろす。
「本当に捨てようと思ったんだけど、一つ問題があって」
「捨てなくていいです! さっきのは——」
「捨てるのはいいんだよ。いいんだけど、この中に姉さんから貰ったのがあるはずなんだ」
「お姉さん?」
「そう。少なくとも、二本。就職祝いと部長昇進の祝いに貰ってるのは間違いないんだけど、どれだかわかんねー」
「ホント、サイテー」と、馨の抑揚のない言葉。
そして、ため息。
「捨てなくていいですから。さっきのは気にしないでください。どれが誰から貰ったものかわからないなら、全部お姉さんから貰ったって思います」
「……ま、いっか。バレねーだろ」
俺はネクタイを鷲掴みにした。それを、馨が奪い取る。
「ちょ——! ダメ!」
「なんで」
「私が気にしないって言ってるんですから——」
「俺は気にする」
「は?」
「俺は、嫌だ」
「何が?」
「俺は、お前が他の男から貰ったものを持っているのは嫌だったからな。お前に気にされなかったら、俺一人で空回ってるみたいだろ」
馨の手からネクタイを奪い取る。
「でも! さすがにお姉さんから貰ったのは捨てちゃダメです!」
「だって、どれだかわかんねーもん」
「だったら! せめてわかってから捨てましょうよ。私のあげた一本を毎日つけられるのも嫌だし」と言って、俺の腕にしがみつく。
「お姉さんから貰ったのがどれだか、知りたいし。捨てるのはいつでも出来ますから!」
ネクタイなんて、本気でどうでも良かった。ただ、他の女から貰ったものをいつまでも持っていたら、馨が元彼と連絡を取っていることを咎められないような気がして、ムキになった。
俺の元カノも、馨の元彼も、みんな消えてしまえばいい——。
「雄大さん! 身体冷えると風邪引くから、シャワー浴びてきて。これは私が片付けておきますから」
言われて気がついた。寒い。
なんで俺はパンツ一丁でネクタイを抱えてるんだ。
自分のマヌケな姿が恥ずかしくなって、ネクタイを馨に渡した。
馨のホッとした表情。
「馨」
「はい?」
「スマホ、鳴ってたぞ」
「え? あ、どこに置いたっけ」と言って、サイドテーブルに目を向ける。
「リビングのテーブル。メッセージが届いてた」
『昊輝』からだとは言わなかった。
「うん……?」
「それ、後で片づけるから置いといていいよ」
ネクタイを指さして、そそくさと浴室に向かった。
馨は気づくだろう。
メッセージの送り主が『昊輝』だとわかっていることに。
どう返信したとしても、きっと俺に伝える。
馨に隠し事はされたくなかった。だから、『されないよう』な状況を作った。
馨が俺を好きになっていることには確信があった。契約というドラマのような始まり方をしたが、玲に嫉妬したし、セックスでもそれはわかる。酔っていたとはいえ『好き』だとも言われた。
馨は自分が俺を好きだと言ったことも、俺が言ったことも忘れている。
それを、教えるつもりはなかった。
もう一度、馨の意思で言わせたい。
それまでは、俺からも言うつもりはなかった。
これ以上、元彼に嫉妬したくない。
だから、早く聞かせてくれ。
俺を『好き』だと。
俺を『愛している』と——。
寝室のネクタイは片付けられていた。
馨はベッドに座って、スマホを見つめている。困った顔で。
「どうした?」
「うん……」
「言えよ」と言って、馨の隣に座る。
同棲生活が始まって三日。俺と馨が同じボディーソープの香りをまとっていることが、嬉しかった。
「金曜日、友達に会いに行ってくるから遅くなるね」
決定事項……か。
『会いに行ってもいい?』ではなく『会いに行ってくる』と言われたことが気に入らない。
「誰? 友達って」
わざと、不機嫌さを隠さずに聞いた。
躊躇いながら唇を噛んだ馨の横顔が、正面を見た。真っ直ぐ俺の目を見る。
「元彼」
噛んだ下唇が少し、赤くなっている。
「何で?」と聞きながら、赤くなっている下唇を舐めた。
「今も……私を心配して連絡くれるの。時々……会ってる」
「心配?」
「そう、心配」
「何で?」と、同じ質問を繰り返す。
「立波とのこととか……桜のこととか……知ってるから……」
「ふぅん……。時々って?」
「半年に一度……くらいかな」
軽く肩を押して、馨をベッドに押し倒す。
「ダメだって言ったら?」
顔の横に手をついて、馨の上に四つん這いになる。
「行かせたくないって言ったら?」
「それでも……行く」
「婚約者を怒らせてまで会いたいなんて、疑ってくれって言ってるようなもんだろ」
馨は俺から目を逸らさない。
『信じてくれ』と言わんばかりに。
「雄大さんと婚約したこと、報告してくる」
「電話でいいだろ」
「別れてからもずっと心配してくれてたの。ちゃんと会って報告したいの」
俺はため息をつき、馨の上に覆い被さった。
「ずりーの」
「何が?」
「そんな言い方されたら、ダメだって言えなくなるだろ」
わざと体重をかけ、馨を抱き締める。
「別れてからは、本当に友達としてしか付き合ってないから」
そうだろう。
馨は俺とは違う。
それでも、他の男と、まして元彼と二人で会うなんて、嫌だ。
けど、あんまり束縛して本気で『うざい』と言われたくもない。
余裕がなさ過ぎて、情けない男に成り下がるのはもっと嫌だった。
「酒は飲むなよ」
「え?」
「日本酒なんか飲んだら、お前一生閉じ込めとくからな」
返事の代わりに、クスクスと笑い声。馨の息が耳にかかって、くすぐったい。
「返事!」
「はい」
「十一時までには帰ること」
「は?」
「帰りはタクシーを使うか、俺を呼べ」
「なに、それ?」
「あとは——」
「ちょっと待って! 過保護な父親じゃないんだから——」
俺の背中の馨の手が、ぎゅっとTシャツを握る。
「過保護で悪いか。 約束できないなら行かせない」
少しの沈黙の後、馨がTシャツを握る手を開き、首をかしげて俺の首にキスをした。
「わかりました、過保護な婚約者様」
子供を諭すように言われ、俺は恥ずかしさにしばらく顔を上げられなかった。