真夜中。
ゆっくりと扉を開けて室内に侵入する二つの影。よく眠っている住人に強力な睡眠薬を染み込ませた布で鼻と口を塞げば、翌朝まで何があっても起きることは無い。
一方の影は眠らせた子の手足を拘束し、麻袋に詰め込む。
もう一方の影はナイフを取り出して、眠っている大人の首を掻き切った。噴き出す血に動揺することなく、さらに腹を切り裂き内臓を取り出すとそれらを瓶に詰めていく。
二つの影は子供の入った麻袋と瓶を抱えて家を後にする。
足取り軽やかに二つの影は山を登り、丁度ジャンの遺体が見つかった岩の側までやってきて足を止めた。
そこに思わぬ先客がいたのだ。
「アド…ルフ…」
影が先客の名前を呼ぶと、彼はゆっくりと振り返った。
「やぁ、こんばんは。ジョルジュにジョスティーヌ」
「ここで、何を…?」
「余所者の気配を感じてここまで来たんだけど、まさかいきなり襲ってくるとは思わなくて……」
彼は目を細めて足元に転がるモノを見た。仰向けに倒れた男の首は切られ、内臓が引きずり出されていた。
「……あれ?そういえば話せるんだね。母親の死を見て喋れなくなったと聞いていたけど?」
ゆっくりと視線を双子に戻す。
「それとも、余計なことを喋らないようにあえて”話せない設定”にしてたのかな?」
しかし、二人は何も言わずじっとアドルフを見つめるだけ。
「やれやれ、答え合わせもできないのか。まぁいいや。二人からジュリーの濃い血の匂いがするってことは、彼女も殺したんだね。その麻袋に入っているのはフルールかな?こいつにでも売る予定だったの?」
だが、その質問にも答えない。
「……君たちをアルベールの連れ子だと思っていたけど、人身売買の片棒を担いでいたとはね。だけど、君たちから血の匂いがするのはこれが初めてだから、やっぱり殺しはボッブとアルベールがやっていたのか。つまり、君たちは彼らの監視役だった」
一人納得するように頷くアドルフ。
「だけど、よく思いついたものだよ。全てを人狼のせいにすれば、警察は動かない。例え、子供が見つからなかったとしても探すことはしない。大抵の人間は人狼が食べたと思うからね。もちろん、人狼と疑われて殺されるというリスクもあるけど、それを自分たちとは関係ない人間にやらせれば人的被害も出ない。むしろ、殺されれば人質に取っている妻子を売ることができるのだから、利益しかないってことか」
”凄いなぁ”と感心したように呟く。
「気付いたところでもう手遅れよ。あなたが最後の村人だもの」
双子はナイフを取り出し、その切っ先をアドルフに向けた。
「……ああ、そういうことか」
さらに何かに気が付き、手をポンッと叩いた。
「義姉さんは知っていたんだ、僕が”人狼”だということを」
殺意を向けられてもアドルフは変わらない調子で喋る。
「お前が、”人狼”?」
「そうだよ」
彼はあっさりと認めた。
「兄さんを殺しても、きっと諦めの悪い奴隷商はこの集落にやって来る。そして、ジュリーや僕を殺して子供たちは売り渡されると思ったんだ。だから、僕が”人狼”であることは言わなかった」
「言わない方がリスクがあると思うけど?」
「”人狼”って言ったら処刑されてしまうだろ?それを義姉さんは避けたかったんだ」
「言わなかったとしても生き残った”人狼”はあんた一人。こっちは二人いるんだから、数で言えば勝つのは私たちでしょ?」
ジョスティーヌは勝ち誇ったような笑みを浮かべて、一歩アドルフに近付く。
「普通の”人狼”相手ならそうだろうね。でも、残念ながら僕は”新月の人狼”なんだ」
「”新月の人狼”?それって、新月の日にだけ現れる特別な人狼で、目に映る全ての人を食べるって言われてる、あの?」
「あれ?知ってるんだ。みんな食べちゃうから情報は出回らないって思ったんだけど…」
「”新月の人狼”には教会が何百万っていう懸賞金をかけてるからな」
ジョルジュは嬉しそうな顔をしてさらに一歩近づいた。
「なるほど……」
「お前が”新月の人狼”だったとしても、新月の日じゃなければただの…人……」
言いながらジョルジュはあることに気が付き、アドルフは薄ら笑みを浮かべる。
「そう、新月の日以外はただの村人と遜色は無い。人も食べないしね。でも、残念ながら今日は新月だ。義姉さんは僕が”新月の人狼”だと知っていて、あえて生かしたんだ。最後の始末をつけさせるために」
「最後の始末って……”人狼”が人の思惑通り動くっていうの?」
「仕方ないさ。僕だってこんなところで殺されたくないからね」
「ああ、なるほど、そういうことね…ジョルジュ!」
「わかってるよ!」
双子は踵を返して一気に暗い森の中に逃げ込んだ。
「まったく…狼に背を向けたらダメじゃないか」
アドルフはわざとらしくため息をこぼし、双子の後を追った。
木々が鬱蒼と茂る森はいつになく暗かった。
木の根に足を取られながらも、双子はただひたすらに前を向いて走った。
「”人狼”はいないんじゃなかったのかよ!!」
「うるさい!黙って走れ!!」
(いつも通りガキを売りさばくだけの仕事だったろ!?)
そう、いつも通り弱みに付け込んだ人間に”人狼”を演じさせ、自分たちは子供を売るだけ。
難しいことじゃない。これまで何回もやってきたことだ。
(それに”新月の人狼”は実在しないんじゃなかったのかよ!!)
どれだけ悪態を吐いたところで今、自分たちが”新月の人狼”に追われているという現状は変わらない。
足を止めたら殺される。振り返ったら殺される。
身を刺すような殺気を感じ取って、”もっと速く走れ”と本能が捲し立てる。
心臓が早鐘を打ち、口の中に血の味が広がる。
背後から聞こえる足音が、殺気がすぐそこまで迫って来る。
(くそっ!!こんなところで死んでたまるか!こんなところで!!)
「うわっ!!」
木の根に足を取られたジョルジュは転び、ジョスティーヌは振り返る。
その目に、アドルフの姿が映った。
「早く立って!!」
救いを求めるように伸ばされた手が、肩口から切り落とされた。
「あ゙あ゙っ!!」
「よくも!!」
斬りかかろうとした彼女をジョルジュは押し飛ばした。
「逃げろ!!」
「でも!」
「いいから!早く!!」
彼女は何か言おうとしたが、悔しそうに口を閉じ背を向けて駆け出した。
どちらかが生き残ればそれでいい。
そして、生き残った方が復讐を果たせばいい。
そう、二人で決めたこと。
(でも……)
片割れを失うということは体の半分を失うのと同じぐらいつらくて、悲しい。
「あ゙あ゙あ゙あ゙っ!!」
背後から聞こえた断末魔のような声。
「ジョルジュ……」
先に進まなければならないのに、途端に足は重くなり思うように進めない。
しんと静まり返った森の中。
”人狼”が近づいて来る足音も無く、己の息遣いだけが聞こえていた。
(進まなきゃ……ジョルジュの死を無駄には……)
そう思うのに、脳裏を過るのは二人で過ごした日々。
掃き溜めのような場所で、死に怯えながら生きていた。
つらく、苦しいだけの日々の中で、互いの存在は何者にも変えられなかった。
「ああ…ジョルジュ……」
心臓が引き裂かれるように痛んだ。
「このまま、大人しく引き下がるものか……」
ジョスティーヌが踵を返すと、目の前の暗闇から音が聞こえた。
(こっちに……来る…?)
それは、何かを引きずるような音。
本能が逃げろと警鐘を鳴らすと同時に、優しい声が聞こえた。
「あ、見つけた」
「アドルフ……」
暗闇の中から姿を現したのは、返り血を浴びて真っ赤に染まったアドルフ。
その顔はいつものように穏やかだった。
「思ったほど遠くに逃げていなかったんだね。それにしても、ジョルジュはずいぶんと妹想いだったんだね」
彼が引きずっていたのは、ジョルジュの亡骸。
その凄惨な姿に、ジョスティーヌは直視することができなかった。
「黙れ…化け物め…」
ジョスティーヌはナイフを手に取り、アドルフを睨みつける。
「あんたに私たちの何がわか……ゴフッ…」
突然の吐血にジョスティーヌは驚きの表情を浮かべた。
「え…なに…」
「もしかして、”双子の後追い”を知らないのかい?」
「”双子の、後追い”?」
「双子はその片割れが死ねば、どんなに離れていてももう片方も後を追うように死ぬってこと」
「…は?…」
それは初めて聞く言葉だった。
「このまま君が死ぬのを待ってもいいけど、ちょっと急ぎの用事があるからね」
そう言うとアドルフはジョルジュを引きずりながら近づき彼女の腹を切り裂いた。
「え?…あ、ぐっ」
そして、間髪入れず内臓を引きずり出す。
「お゙え゙え゙え゙え゙!!!」
「あははっやっぱり生きたまま内臓を抜かれるのって痛いよね?」
「やめ…やめて…うぶっ…」
血を吐き、震える手で引きずり出された内臓を掴む。
「あはは…”人狼”に命乞いするなんて面白いね」
声は楽しそうなのに彼女を見下す紺碧の瞳は、恐ろしく冷ややかだった。
「本来ならこのまま”がぶりっ”と食べてしまうんだけど、愚かな人間どもせいで僕は生肉を食べることができないんだ……」
”やれやれ”とわざとらしくため息をこぼし、アドルフは持っていた内臓を地面に落とした。
「ホント、厄介な呪いだよ」
「呪……い?」
「そう、”人狼”にとって生肉は生命の源。食べなければ徐々に弱って死んでしまう。だけど……」
彼はニヤリと笑みを浮かべる。
「ハムやベーコンに加工すれば食べられるんだ。生肉に比べたら効果は薄いけど、死は免れる。それに凄い美味しくなるんだから、最高だよね」
熱弁するアドルフを無視して妹は兄に近づき、そっとその頬を撫でた。
「…あ…ああ…ジョル……」
そして、兄に覆い被さるようにゆっくりと倒れた。
「……さて」
アドルフは死んだジョスティーヌの足を掴み、「これだけ材料が揃えばしばらくは安泰だね」と嬉しそうに言うと、上機嫌で歩き出した。
その頭上に月の姿は無く、辺りに広がる暗闇が彼の姿も、その真実さえも静寂と共にそっと包んで消し去った。
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