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真っ白な部屋には清潔なベッドとキャビネットがそれぞれ一つずつ設置されている。

 清潔感溢れる理由はここが病室だからだ。

 無臭のようで、そうではない。鼻腔をわずかに刺激されるも、消毒液由来であり決して不快ではない。

 白いベッドで眠る、死体のような少女。患者ではないのだが、今日はこのまま一泊だ。

 窓の外は暗闇に飲まれ、すっかり黒色に染まっている。

 対して部屋の中が明るい理由は、花瓶のような形をしたランプが煌々と輝いているためだ。

 小さな椅子に腰かけながら、少年は暇そうに室内を眺める。夕食を食べ終えた直後ということもあり、満腹感がいくらかの眠気を醸し出すも、今は人を待っているため、大人しく待機を継続する。


「お待たせ。ガーウィンスティーでいいかい?」


 ガチャッと扉が開くと、気だるげな声が病室を騒がす。

 白衣が似合う理由は彼女が医者だからか。桃色の髪はぐしゃっと長く、眼鏡がずれているものの気にも留めてはいない。

 左手が支えるおぼんを一旦キャビネットに置き、返事も待たずに片方のコップを少年に差し出す。


「はい。ありがとうございます」


 受け取った緑茶で喉を潤す少年の名前は、ウイル・ヴィエン。衣服や革鎧はあちこちが汚れているものの、彼自身は不潔ではない。今日は一度も魔物と戦わなかった証拠であり、朝から走りっぱなしではあったが、雨に打たれることもなかったため、少々汗臭いだけに留まっている。


「その子はもう大丈夫そうだね。脈拍共に健康そのものだよ。医者としては信じ難いけど、長旅にも耐えられたのなら、入院も点滴も不要そうね。生まれつきの超越者……、この子は将来、四英雄にすら肩を並べるのかもしれないわね」


 アンジェ・ドクトゥル。白衣が押し上げっている理由は、それほどに豊満な胸ということだ。若干二十五歳ながら、祖父からこの病院を継ぎ、今では名医として貴族や王族に貢献している。

 寝息を立てる少女を二人で見つめながら、ウイルの声が追従する。


「パオラを、このまま戦いの道に引き入れてもよいのでしょうか?」

「なんでさ? 適材適所。それ以上でもそれ以下でもない。この子を軍に入れれば、それだけで巨人族とのパワーバランスは傾くよ」


 アンジェの意見はどこまでもドライだ。

 戦えるのなら、戦うべき。魔物は愛すべき隣人ではなく、自分達の命を奪う驚異だ。その事実は揺るがないのだから、誰かが立ち向かわなければならない。

 それが軍人であり、傭兵だ。

 もしも彼らが全滅すれば、イダンリネア王国の住民は一部を除いてあっという間に蹂躙されるだろう。

 生き残れるのは、王族と四英雄に連なる者達だけだ。超越者ゆえに自分の身くらいは守れるはずだが、寝食を奪われれば、結局のところ大敗は免れない。

 魔物は二種類に分類可能だ。

 縄張りから大きく動こうとしない種族。

 人間のようにあちこちへ移住する種族。

 魔物はその多くが前者なのだが、ゴブリンや巨人は人間のように大陸を駆けまわる。

 そして、王国の最大の敵は巨人族だ。ゴブリン族も侮れないが、無鉄砲な巨躯はそれ以上に手強い。

 現在、人間と巨人は拮抗状態を保っている。どちらも大きく攻め込まないがゆえの結果論ではあるのだが、そうであろうと平和であることに変わりはなく、王国の民は順当に子を産み、その数を増やせている。

 一方で、死傷者がいないわけではない。

 最前線、つまりはジレット監視哨では稀に巨人族との戦争が勃発しており、それ以外にも王国側から侵攻することもあることから、死者は決して絶えない。

 また、敵はそれだけではない。

 魔女と呼ばれる彼女らもまた、軍人の命を狙い続けている。エルディアやハバネとは別の集団の中には、明確に王国と敵対関係にあり、その思想から過激派と呼ばれている。

 この大陸は敵だらけだ。

 それゆえにアンジェの論法はあながち間違いではないのだが、少年は眉をひそめながら唸ってしまう。


「確かに、僕もそう思っていました。今だから話しますが、そういう下心があったから良くしてあげたってのが本心ですし……」

「ぶっちゃけるね。でも、そういうところ嫌いじゃないよ」

「知り合いが、天性の超越者を探していたんです。だから、この子を見つけた時は、ラッキーとさえ思ってしまいました。元気になったらその人に届けて、僕の使命は終わり。後は最強の傭兵にでもなってもらって、あいつを倒してもらえたら、この世界はとりあえず平和になる、みたいな」


 ウイルは子供心にそこまで計算していた。見た目は幼いが打算的なところがあり、そういったちぐはぐなところがこの少年には内包している。


「知り合いだのあいつだの、よくわからないけどさ。それがこの子にしか出来ないのなら、それでいいじゃん」

「だけど、そんな危険な目に合わせても良いのだろうか、とも思ってしまったんです……」

「だったら代わりに君が、あいつって奴を倒したら?」

「四英雄ですら敵わないような化け物らしくて……。僕なんか指先一つで木っ端微塵とかなんとか」

「何それ? この国終わりじゃん。そいつっていつ攻め込んで来るの?」

「すぐには来ないらしいです。封印されてるので……。ただ、十年か、二十年か、そう遠くない可能性が高いようです」

「ふ~ん。君が言うなら嘘じゃないんだろうね。やれやれ、聞かなきゃ良かった。おかげで少しチビっちゃったよ」

「え⁉」

「冗談だって。そんな顔しないでよ、傷ついちゃう」


 硬直する傭兵を他所に、女医はすまし顔のまま、コップを口に運ぶ。

 ウイルの言い回しは確かに曖昧だ。大事な箇所をぼかしており、説明にすらなっていない。

 それでも、言いたいことは伝わる。

 親の愛情すら知らずに死にかけた少女を、戦場へ送り出しても良いのだろうか?

 倫理観を持ち出すのなら、絶対に間違っている。九歳の子供に戦うための英才教育を施し、最終的には殺し合いをさせるのだから、非人道的だ。

 それでも、そうしなければならない理由が存在する。

 それこそが、オーディエンとそれを従える災厄、セステニアだ。

 もっとも、ウイルはオーディエンのことしか知らない。白紙大典やハクアが多くを語ってはくれないからだ。


「結局のところ、この子がどうしたいか、だと思うことにしました」

「それはそれでありだと思うわよ。貴族らしからぬ考え方だけど、君がそういう生き方の集大成だもの」


 少年は自分に言い聞かせ、アンジェもその意志を尊重する。

 今が静かな夜だと気づかせるように、病室を包み込む静寂。話が途切れたせいだが、医者はこれ幸いと口を開く。


「父親には会えたのかい?」


 パオラを家に閉じ込め、食事をまともに与えなかった傭兵、ロストン・ソーイング。

 ウイル達の旅はこの男に会うためであり、別れを告げるためでもあった。


「はい。最悪でしたよ。まさか生きてるとは……」

「その言い方だと、ネイグリングは無事だった?」

「いえ、他の三人は殺されていました。ロストンだけ、かろうじて生き延びたようです」


 ジレット大森林にて、二人と一人は出会った。

 その結果、別れを告げることは出来たのだが、引き換えにパオラの心は傷ついてしまったのだから、手放しでは喜べない。


「二人で帰って来たってことは……」

「はい。僕はパオラの目の前で、父親を殺しました」

「そう。きっと色々あったんでしょうね。等級六の傭兵が全滅した以上、軍も傭兵も黙っちゃいない感じかしら?」


 ネイグリング。新進気鋭の四人組だ。実力も実績も突出しており、だからこそ、傭兵制度が設立されて以来初の快挙を成し遂げた。

 至高の人材だったが、オーディエンが放った魔物によって、彼らはあっさりと半壊してしまう。


「傭兵は別に騒がないと思いますよ。僕達は横のつながりが希薄ですから。ネイグリングはそれこそユニティだけで完結してた四人組っぽいですし、関わった人達はほとんどいないんじゃ?」

「そう。それでも慰めて欲しかったら、私の胸に飛び込んでも構わないわよ」


 ウイルはロストンを殺した。そこに罪の意識など微塵も感じないが、心が疲弊したことは事実だ。

 それでも今は強がりたい。十六歳と言えども、いっぱしの傭兵なのだから。


「別に……」

「あんたの相棒に負けず劣らずの大きさよ」

(た、確かに……!)


 誘惑的な発言だ。

 蠱惑的な体のラインだ。

 条件反射で二つの山脈を凝視してしまうも、失態だと気づき、目にも留まらぬ速さで視線を泳がせる。

 しかし、もう遅い。


「君も立派に男の子だよね」


 朝方、ジレット監視哨を出発し、終始パオラを抱えたまま走り続けたのだから、ウイルもいくらか疲れている。

 王国に到着後、ギルド会館で夕食を済ませ、アンジェの病院へたどり着いたのはついさっき。

 そんな状況下でからかわれることにこの世の理不尽さを噛みしめながら、今はグッと黙り込む。


「こんな脂肪のどこが良いのかね? うりうり」

(魅かれる理由……、白紙大典もおっぱいおっぱいうるさいし、性別は関係ないのかな?)


 そんなことを考えながら、少年は小一時間ほどおちょくられ続ける。

 夢と希望が詰まっているのだろう。そう考察するも、正解は人それぞれなのかもしれない、アンジェの揺れる胸部を盗み見しながらありきたりな地点に着地する。

 長旅を終え、無事帰国を果たした。

 ならば、疲れを癒さなければならない。

 そのための夜はゆっくりと深まり、寝息は一つから二つへ増える。

 明日は明日で忙しい。そのことを胸に刻みながら、ウイルはパオラのベッドに顔をうずめる。



 ◆



 パオラと手をつなぎながら、ウイルは眼前の豪邸を黙って見上げる。

 青空から降り注ぐ陽射しは柔らかい。今日という一日は始まったばかりゆえ、太陽も本調子ではないのだろう。


(むぅ……)


 立派な一軒家に気圧されているわけではない。一歩をためらう理由は、両親にどう切り出せば良いのか、考えがまとまらないためだ。

 ここはイダンリネア王国の上層区。庶民が立ち入って良い場所ではなく、貴族や富裕層だけが住むことを許されている。

 傭兵が呆けるように立っていようものなら、治維隊に見つかり次第、不審者という名目で逮捕されてしまう。

 ゆえに急ぐ必要があるのだが、目の前の家が見慣れてたものであろうと、今回ばかりはためらってしまう。

 両親に頼みごとがある。それだけでも気が重い上、内容があまりに突拍子もない。断られるばかりか叱られる可能性もある以上、ウイルの手汗はびっしょりだ。


(帰りたくなってきた……。でも、パオラのためにも踏ん張らないと)


 そう決意した矢先だった。

 庭の方から、一人の女性が不思議そうな表情を浮かべながら現れる。


「そんなところで何してるの? 我が家なんだからさっさと入りなさ……、その子だ~れ?」


 若くはないが老け込んでもいない。長い髪はグレーに輝いており、その顔立ちはウイルに似て聡明だ。

 農作業に適した半袖のツナギ服を着ている理由は、花壇の手入れで汗を流していたためであり、むき出しの腕だけでなくあちこちが土色に汚れている。


「ひ、久しぶりです、母様……」


 少年はバツが悪そうに挨拶を済ませる。

 彼女の名前はマチルダ・エヴィ。ウイルの母親であり、貴族でありながら焦げ茶色のツナギが似合う理由は、元は平民だからか、それとも朗らかな雰囲気のおかげか。どちらにせよ、エヴィ家を支える大事な女性と言えよう。


「ま、まさか⁉ あなたー! ウイルが女の子さらってきちゃった!」

「ち、違います! 母様! 母様ー!」


 思い込んだら一直線。マチルダは土すら払わずに、玄関の扉を開けるや否や、全速力で駆けていく。


「おかあさん?」

「う、うん……。僕のお母さんで、パオラの新しいお母さん。叫びながらどこか行っちゃったけど……」


 少女の問いかけに、ウイルは項垂れながら肯定する。


「わたしの、おかあさん……」

「お父さんもいるよ。後、メイドさんが二人。ここにいても仕方ないから、僕達も入ろう」


 二人は開きっぱなしの玄関から家の中へ足を踏み入れる。

 ウイルにとってはただただ懐かしい景色だが、パオラの目には煌びやかすぎて眩暈さえ覚えてしまう。

 そんな少女と手を繋ぎながら、少年は大きく息を吸ってその言葉を吐き出す。


「ただいま!」


 厳密には正しくない。この少年は十二年間、この家に住んでいたが、それは長男であると同時に貴族だったからだ。

 しかし、今は違う。四年前にその地位を投げ捨て、今では傭兵という生き方でその手を血に染めている。

 それでも、彼女の前ではそう言いたい。

 パオラの帰る場所になってくれるはずなのだから、その言葉を選んでもばちは当たらないはずだ。


「ほら、パオラも」

「ただいま」


 二人は歩く。

 ここが彼女の出発点であり、同時にゴールだ。家族の温もりを知らないのなら、誰かが与えるしかない。その役割はウイル自身には重すぎるが、だったら両親を頼れば良い。

 青ざめた父と母の顔を見た瞬間、人選を誤ったと気づかされたが、説明と説得に見事成功し、混乱はなんとか収束する。


(疲れた……)


 客間に集った家族と一人。ウイルはすっかりやつれてしまったが、無視するように最年長者が口を開く。


「私の名前はハーロン・エヴィ。知っての通り、ウイルの父親だ」


 エヴィ家の長であると主張するように、もしくは貴族であることを誇るように、掘りの深い顔には苦労の年輪が窺える。白髪混じりの茶色い髪はぴしっと整えられており、着ている服は普段着ながらも礼服のように格式高い。

 顔立ちに息子との類似点は見受けられないが、好物に関しては親子で似ている。


「私はマチルダです。パオラちゃん、改めてよろしくね」


 こうして、簡素ではあるが顔合わせは完了だ。二人の使用人は席を外しているため、贅沢なこの部屋には四人だけが向かい合って座っている。

 このタイミングで、ウイルはわざとらしく話を振る。


「パオラ、喉乾いたろう?」

「うん」


 事情を説明するためにも、当事者であるパオラには席を外してもらう。台所で待機していたメイドに引き渡し、ウイルだけが戻れば客間には三人だけだ。

 麦色のソファーへ腰かけ、少年は背筋を正しながら問いかける。


「どこまで話したかな?」

「あの子を保護して、アンジェ先生の病院へ連れて行ったところまでだ」


 つまりは説明不足だ。そうであろうと、エヴィ夫婦はパオラの外見から事態の深刻さをある程度悟っている。

 生きていることが不思議なほどに、少女からは肉が削ぎ落ちていた。

 それでも自らの力で歩き、言葉さえ話すのだから、二人は表情にこそ出さなかったが心底驚いていた。


「パオラは、超越者なんです」


 ウイルはそう切り出し、これまでの経緯を打ち明ける。

 まともな食事も与えられず、家に監禁されていたこと。

 父親を探しに、二人でジレット大森林へ赴いたこと。

 その男は狂っており、一人娘が深く傷ついたこと。

 最終的には決闘となり、ウイルが勝利したこと。

 魔女や謎の魔物と出会ったことは省きつつも、少女と関係ある部分だけをかいつまんで話す。

 衝撃的な内容だ。とりわけ、自分達の子供がその傭兵を殺したことには胸を痛める。


「あの子のために、がんばったのね」

「そんな大それたことじゃないです。大変なのは、残されたパオラですから……」


 母として、マチルダは憂いを帯びた笑顔を向けるも、ウイルにとっては既に過去の出来事だ。それでも、彼女は胸を痛めずにはいられなかい。


「女王の周辺が騒がしいのはそういうことか。前代未聞の昇級を城内で大々的に祝ったばかりでなく、デフィアーク共和国から輸入した名刀を授けた矢先に……。しかも、その内の一人を倒したのが自慢の息子……。褒めれば良いのか寝込むべきか、私にはもう何もわからん」

「僕はもうエヴィ家の人間じゃないんですから、父様は何も聞かなかったでスルーすれば良いのでは?」


 ハーロンはこめかみを押さえながら、口をへの字に曲げる。

 一方、ウイルが他人事のように平然としていられる理由は、ロストン殺害に悔いがないばかりか、完全犯罪の自負があるからだ。

 仮に追及されたとしても、やはり問題ない。パオラが証言してくれれば、正当防衛が成立する。


(そういえば、ロストンのこと、治維隊に連絡しないとか……。う~、やること多い)


 さすがのウイルも心の中で愚痴ってしまう。

 傭兵はどちらかと言えば暇だ。することがないのではなく、その日の気分で予定を立てれば良い。掲示板に張り出される依頼は毎日のように更新されるのだから、所持金や仲間の都合、なにより自身のコンディションで行先を決めるべきだ。

 先の予定が埋まるケースは少なく、その日暮らしの生き方を強いられる職業と言えよう。

 朝起きて、ギルド会館で仕事を探し、旅立つ。

 目的を達成したら帰国し、報酬を受け取る。

 基本的にはこの流れだ。それ以上でもそれ以下でもない。その過程で命を落とすことがあるのだから、この職業は危険と隣り合わせだ。


「まぁ、気にする必要もなかろう! ウイルに嫌疑がかかった際は、エヴィ家の財力でもみ消すまでだ!」

「さすが、あなた!」

(こ、これだから特権階級は……。汚いなさすが貴族きたない)


 盛り上がる両親を前に、謙虚な息子は冷えきってしまう。

 一方、ハーロンは勢いそのままにしゃべり続ける。


「不干渉法の改定で財産が四割ほど減ってしまったが、どうということもない。治維隊への賄賂など、余裕!」


 この発言で夫婦は一層はしゃぐも、ウイルは違和感について指摘せざるをえなかった。


「不干渉法の改定って? 廃止ではなく?」

「ん。ああ、実はこの件もあっておまえをそろそろ家に呼ぼうと思っていたところでな。そういう意味でも丁度良かったか」


 国が国として機能するためには、ルールの作成および順守は必須だ。イダンリネア王国の場合、王国法がそれに当たるのだが、不干渉法はその中でも特殊な立ち位置だ。

 この法は、貴族および四英雄にだけ枷をかける。それぞれが国家運営に深く関わっており、持ちうる財産や権力は一個人の範疇を大きく上回る。

 彼らが結束すれば、国家の転覆さえ狙えるかもしれない。

 貴族でさえ、それほどの影響力を持つのだから、四英雄となればそれ以上だ。

 なぜなら、彼らはその多くが超越者であり、貴族以上の地位と財力を持ちながら、一人ひとりが軍隊以上の戦力を誇る。

 もしも、四英雄内でいざこざが起こった場合、それが単なる喧嘩であろうと、そこは嵐が過ぎ去った後のように荒れ果ててしまう。

 貴族や四英雄の衝突を未然に防ぐため、他の派閥に踏み込むことを禁止する法律こそが不干渉法であり、ウイルが貴族という地位を手放した要因でもある。

 傭兵の管轄は四英雄が一つ、ギルバード家だ。

 対して、ウイルはエヴィ家の長男ゆえ、不干渉法により傭兵を頼ることも、自身が傭兵になることも禁止されている。

 この少年が家を飛び出したのは自分の意志だ。それをわかっているからこそ、父親は納得して送り出した。

 それでもハーロンは諦めない。溺愛する息子が帰る場所を失ってしまったのだから、貴族として、父親として、策謀を開始する。


「もしかして、目途が立ったんですか?」


 ウイルが驚くのも無理はない。

 貴族と言えども、法改正などおおよそ不可能だ。

 王国法の制定は統治者である王族の特権であり、貴族ですら関わることは許されない。

 そのはずだが、ハーロンは悠然と胸を張る。


「昨晩、知らせが届いてな。全貴族の連名で嘆願書を提出したのが半年ほど前になるが、オデッセニア女王がついに承認して下さったんだ。不干渉法の改定を、な」


 父の発言を受け、ウイルの開いた口は塞がらない。

 その反応が楽しいのか、ハーロンの口は滑るように動き続ける。


「当初はウイルの言った通り、撤廃のつもりで働きかけていたのだが、根回しの最中に家長達と何度も打ち合わせた結果、ギルド会館の利用にのみ絞った方が確実だろうということになってな。そのあたりは当然と言えば当然だな。それでも三年半かかってしまったが、貴族連中の足並みを揃えさせ、嘆願書を提出。後は動向を見守るのみという段階だったんだ。家長達の賛同を得るために賄賂を渡し続けた弊害で、エヴィ家はいささか傾いてしまったが、この程度なら問題あるまい!」

「そーそー。食後のデザートはなくなっちゃったけど、考えてみたらウイルしか食べてなかったし、問題ナッシング!」


 明るい両親を他所に、息子だけは考えがまとまらない。前触れもなく重要な話を聞かされており、パオラの件は頭からすっぽり抜け落ちてしまう。


「つ、つまり……?」


 ウイルは動転しながらも声を絞り出す。

 それに対する回答は、やはり家長からもたらされた。


「貴族も英雄も、今後はギルド会館に出入り可能だ。傭兵組合に依頼を申し込むことも、傭兵になることさえ……な」


 もちろん、傭兵を目指すのなら試験の合格が必須だ。

 しかし、今までは試験に挑む資格さえ奪われていたのだから、大きな一歩であることは間違いない。


「ウイル、あなたは私達の子供としてエヴィ家に戻れるの。やったね!」


 満面の笑顔で親指を立てるマチルダだが、息子は懸念点を口にせずにはいられなかった。


「僕、四年前から傭兵やってますけど……。おもいっきりフライングなんですけど……」


 その瞬間、客間の空気が凍り付くも、夫婦は誤魔化すように騒ぎ出す。


「そういう細かいことは気にしなくても大丈夫だ! 多分……」

「そうよそうよ! 貴族なんだし! 多分……」


 貴族という地位で押し切る算段だ。二人の勢いがそうであると物語る。

 そんな中、ウイルは両親の顔を見比べつつ、現状把握を終える。


「この家に戻れる……? あ、だったら、それよりもお願いしたいことがあります」


 ここからが本題だ。不干渉法の改定も非常に重要だが、ウイルにとっては後回しでも構わない。


「ん? なんだ? 小遣いか?」

「違います。パオラを、エヴィ家の養子にしてもらえませんか?」


 予想外の問いかけに対し、ハーロンは隣の妻へ顔を向ける。仕事一筋の男ゆえ、今回ばかりは匙を投げてしまう。


「あの子は確かに悲惨な生い立ちだわ。だけど、うちで引き取らせたいと思った理由を聞かせて。何か、あるのでしょう?」

「はい。本人がいないから率直に言います。これは僕の完全な打算です。パオラは超越者で、しかも先天性の、言ってしまえば純度百パーセントの……。大事に育てて、然るべき人に鍛えてもらえれば、英雄に並ぶほどの実力を持つと思っています。つまりは、戦力として期待出来る。これが僕の思惑です」


 父と母に打ち明ける。

 子供でありながら大人のような冷徹さを持ち合わせており、パオラを引き取る理由も厚意ではなく利用価値があるためだ。

 包み隠さず話したのだから、ウイルは大きく息を吐いて反応を待つしかない。


「戦うことを拒んだら?」


 マチルダが一児の母として、質問を投げかける。

 その問いに対しては、明確な返答を用意済みだ。


「その時はパオラの意志を尊重します。傭兵や軍人がどれほど大変かは、誰よりも僕がわかっているつもりですから……」


 ウイルでさえ、何回も死にかけた。その多くがエルディアに原因があるのだが、どちらにせよ、魔物との死闘には文字通り死がつきまとう。

 父親からの虐待に生き延びた少女を、そのような荒事に引き込んでも良いのだろうか? ウイルも良心の呵責に苛まれるが、人探しの依頼人でもある魔女が言うには、このままでは王国は滅ぼされてしまうらしく、ならば背に腹は代えられない。

 そうであろうと、パオラの意志が重要だ。

 もし別の道を選ぶようなら、ウイル達は大人しく彼女から手を引き、新たなる候補を探さなければならない。

 炎の魔物はウイルにその役目を押し付けたがっていたが、それが無理であることは誰よりも少年自身が理解している。

 当然だろう。オーディエンにさえ敵わないのだから、それ以上の化け物など雲の上の存在だ。手も足も出せずに殺されてしまう。


(ハクアさんだったら、問答無用なんだろうけど。オーディエンはともかく、セステニアについてはほとんど聞かされてないから、危機感に隔たりがあるんだよね……。今度会った時は、今回の件も含めてもっと訊いてみよう)


 自分の意見を述べつつも考え込む息子を前に、母が微笑むように締めくくる。


「やっぱりあなたは優しい子ね。そこまで考えてくれているのなら、私からは何も言わない。あなた、どうします?」

「娘も欲しいと思っていたしな。まぁ、シエスタちゃんも娘みたいなものだが、少々大人びていると言うか……」


 話し合いは終了だ。

 今日、この瞬間から、パオラはエヴィ家に迎え入れられた。

 パオラ・ソーイングから、パオラ・エヴィへ。

 変わったのは苗字だけでなく、実際にはそれ以上の変化だ。


「あ、ありがとうございます」


 ウイルは傭兵として、頭を下げる。


「このことはパオラちゃんに話してあるの?」

「はい。いまいちわかっていないようですけど……。新しいお父さんとお母さんが出来るってことが、心の支えになってくれたのかな、とは思っています。あ、連れてきます」


 当事者抜きで話を進めてしまったが、それもここまでだ。

 少年は再び席を立つと、見慣れた我が家を軽快に歩く。

 台所では、恰幅の良いメイドがミイラのようなパオラを餌付けしており、口元が白いクリームで汚れている理由は手元のシュークリームが原因だ。

 ウイルも一つ受け取り、ぺろりと平らげると、口元にクリームをつけたままゆっくりと語りかける。


「今日からここが君のおうちだよ。約束通り、君は今日からパオラ・エヴィだ」


 その瞬間、メイドは目頭を押さえる。

 一方、少女は口の中を空にしてから言葉を紡ぐ。


「おにいちゃんとかぞく」

「うん。お兄ちゃんもウイル・エヴィだよ。時々間違えて、ヴィエンの方を口にしそうだけど……。そういえば、こういう時って傭兵組合に手続きしないといけないのかな? まぁ、その内でいっか」

「いっしょに、ここにすむの?」

「あ……、そういうことに……なるのかな? うん、なるのか。さすがに思ってもみなかったな……。こんなに早く戻ってこれるなんて」


 静かに泣くメイドと、新たな家族の談笑。今日から始まる、輝かしい日常の一コマだ。

 父と決別した少女。

 名前を取り戻した少年。

 二人の両親と二人の従者が待つこの家が、帰るべき場所となった。

 人間らしく生きていくため。

 人間の滅亡を食い止めるため。

 彼らは歩み進める。

 長い長い旅は、こうして始まった。

線上のウルフィエナ

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