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昼休み。
教室の空気は、いつものように温度が狂っていた。
「ほら、食えよ。今日のは“愛情”たっぷりだぜ」
誰かがぐちゃぐちゃにされた弁当箱を遥の机に投げつける。
白飯に練り込まれた赤い液体はケチャップか何か──もしかしたら、違うかもしれない。
「写真撮れ。反応いいやつは、昼ニュースにしてやる」
笑い声が飛び交う。スマホのレンズが、獣のように群れていた。
遥は黙って箸を取る。震えてはいなかった。ただ、指先の温度だけが消えていた。
ふと──斜め前の窓際、日下部と数人が笑っているのが見えた。
誰かの話にうなずきながら、時折、遥のほうを見る。
その目が、遥の背中を切る。
(……やめろ。見んなよ)
視線を逸らした直後、机ごと蹴られた。
どん、と乾いた音が響く。箸が落ち、皿がひっくり返り、弁当の中身が床を這う。
「何黙ってんの。リアクション薄いって、評価下がるぜ?」
「もっかいやり直せよ、“おかわり”あんだろ?」
誰かがもう一つ、べちゃりと音のする紙袋を差し出す。
教室が笑いに染まる中、遥は椅子を戻し、床を拭いた。
声は出さない。視線は誰とも合わさない。
だが──日下部だけは、笑いながら立ち上がり、廊下に出ていった。
遥は弁当の破片をゴミ箱に押し込み、数秒だけ深く息を吸った。
次の瞬間、立ち上がっていた。
屋上。
金属扉を押し開けると、焼けたような空気が広がっていた。
フェンスの向こうに、街が霞んでいる。
日下部は柵のそばに立ち、背を向けて空を見ていた。
「……なんのつもりだよ」
遥の声は低く、擦れた。
振り返った日下部は、意外そうな顔をして、口角を上げた。
「つもり? 何が」
「見てたよな……ずっと」
「見てただけだけど」
遥は拳を握った。だが振り上げることはしない。
「……もう、やめてくれよ。そうやって、何考えてんのか分かんねぇ顔して……」
「オレが見てると何か困るわけ?」
その言葉に、遥の眉がぴくりと動いた。
「……“言う”ってことか?」
日下部はわざとらしく肩をすくめた。
「そんなこと、一言も言ってねえだろ。でも……どうしようかなって考えたことはあるよ」
「冗談じゃ──」
「だって、さっきおまえ泣きそうな顔してたし。面白かった」
遥の呼吸が浅くなる。
「……なんなんだよ、おまえ……。なんで、ここにいて……。なんで、家のこと知ってて、学校じゃ何も言わねぇで──」
日下部が一歩、間合いを詰める。
「……おまえ、スマホ持ってる?」
「は?」
「GPS切ってんの? それとも、まだ家にあったりする?」
遥は言葉を失った。
なぜそんなことを聞く──なぜ知っている。
「オレさ、おまえが“どこにいるか”なんて、だいたいわかんの。家も近所だし、昔のルートとか、習慣とか」
「……っ」
「だからさ、オレがほんとに言おうと思えば──いつでも言えるんだよ」
遥が思わず後ずさる。だが、フェンスが背中を阻んだ。
「やめろって……言っただろ」
「言ってたな。でも、交渉ってそういうもんじゃね?」
日下部の声は静かだったが、その静けさが恐怖を濃くする。
「じゃあ、こうしようか」
「一日一回、オレの言うことを聞け」
「難しいことは言わねぇよ。ただ、黙って“おまえ”でいてくれりゃいい」
「黙って──?」
「逆らわない、逃げない、誰にも言わない。あとは、たまに……話に付き合ってくれれば」
遥の顔が青ざめていく。
「断ったら?」
「そのときは、どうしよっかな。……“あっちのこと”を、誰に言おうかって悩むかも」
笑っているのに、目だけが死んでいる。
遥はもう、声が出なかった。
(まただ……また、“従わされる”)
(……どこに逃げても、結局)
(誰かがオレを見てて──命令してくる)