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吉田に連れられ、月子は花園劇場にやって来ていた。


かろうじて大通りに面しているが、建物は隣接する商店に比べると時代を感じさせるものだった。


花園劇場と染め抜かれた旗看板が入口に並べられている。


おそらく、音楽学校の発表会を知らせる旗が間に合わなかったのだろう。日に焼けた布が、何か侘しさを漂わせていた。


ただ、二代目が間に合わないと言っていた、板看板は、どうにかなったようで、来客の頭上を飾るように、帝都音楽学校発表会と記されたバイオリンを奏でる人物、歌声を聞かせる女学生、ついで、ドレス姿の女性と桃太郎の絵が描かれたものが、掲げられている。


おそらく、学生の演奏を表現しているのだろうけれど、ドレス姿と桃太郎は……、芳子とお咲ということなのだろうかと、少し妙な取り合わせに、月子は、目を丸くした。


それ以上に月子を驚かせたのが、客の多さだった。


二代目が集めたサクラだと、納得を越える人の波が、我先にと木戸賃を払い、華やかさを出す為吊られているぼんぼり提灯を潜り抜け、ぞろぞろ劇場へ入って行っている。


劇場前では、客が乗り付けて来た人力車が右往左往している具合だった。


月子達も乗って来た人力車を、劇場の手前で降りる判断をしたほどで、それはそれは、人でごった返していたのだ。


「月子ちゃん!」


人混みから月子を呼ぶ声がする。


中村だった。


「お!お咲!めかし込んでるなぁ!」


中村が月子達を見つけ、やって来た。


なんでも、立ちっぱなしで足が棒のようになっているとかなんとか、中村は一人憤慨している。


「あ、あの……中村さん?」


学生達は、楽屋か裏周辺にいるはずなのにと、月子が不思議そうな顔をすると、


「来ないと思うんだけどね、あれでも、もしもって事があるだろう?」


つまり、不参加表明をしている学生が、冷やかしにやって来るかもしれないと、男子学生数人で見張りよろしく、伺っているのだとか。


「なんだかんだ言っても、今日の為に練習してきたんだ。本当は、参加したいはずなんだ」


だから、もし、姿を見かけたら縄で縛ってでも楽屋へ引っ張ってこいと、岩崎に言われての事らしい。


「いや、まあ、表舞台に立たせてやりたいって気持ちはわかるけど、肝心の縄が、ないんだよねぇ」


ははは、と、中村はおどけて見せた。


月子は、岩崎らしいと思う。


最後の最後まで、諦めず、学生の事を思っているのだと……。


「でもなぁ、一ノ瀬女史とかち合ったら、その時は、また、面倒なごとになりそうで、正直、おれたち、この役割り乗る気じゃないんだよ」


聞けば、不参加表明しているのは、玲子を筆頭にその取り巻きと、玲子を崇拝する数人の男子学生らしいのだ。


もし、現れたら、それはそれで厄介なことになるのは月子でも容易に想像がついた。


返答に困る月子の後ろから、吉田が口を挟んで来る。


「中村様、お疲れ様でございます。それでは、私どもは、座席の方へ。男爵ご夫婦もきっと、月子様をお待ちでしょうし、お咲も、いつまでも、立ち話に付き合わせる訳には参りませんので……」


吉田に、折り目正しく会釈つきで言われては、中村もはっとして、頭をかきながら、すまんすまんと、余計な事を言い過ぎたと誤りのような弱音を吐くしかなかった。


「とにかく、月子ちゃんは、楽しむといい!それから、お咲!よろしくな!頑張ろうぜ!」


人の多さに驚き、呆然と立ち尽くしていたお咲へ、中村は挨拶をした。


「は、はい!」


お咲は、ガチガチになりながら、中村へ返事をする。


お咲は、練習の時に見せていた余裕は、まるでなくなり、はた目にも、緊張しすぎているのが分かる状態だった。


月子は、そんなお咲の様子に一抹の不安を覚えるが、


「なあーに、始まってしまえば、たいしたことねぇーし、あっ!そうそう!お咲、終わればあんパンもらえるんじゃなかったか?!」


「あ、あんパン!!キャラメルもだよっ!!」


中村の問いかけに、お咲は、何時ものように軽快に答える。


ふっと、中村から笑みを受けた月子も、お咲の変わりように、思わず笑っていた。


「では、私どもは……」


中村へ律儀に挨拶を行い吉田が、月子とお咲を先導する。


「お咲!また後でなぁ!」


背後から、中村の見送り声がした。


こうして、吉田に連れられ人混みをかき分けるように、用意されている席へ向かったのだが、二階の桟敷席ということらしく、月子はおぼつかない足取りで、ギシギシきしむ階段を昇って行った。


「あー!月子ちゃん!」


聞きおぼえのある声に、月子は、手すりをしっかり握り、振りかえってみる。


入り口の片隅で、店から運んで来たのだろう机に竹皮の包みを山積みにした、亀屋の主人寅吉とお龍がいた。


「幕間に食べる握り飯、売ってんだよ!月子ちゃん達には、弁当作ってるからなぁー!」


寅吉が、月子へ聞こえるように叫ぶ。その隣で、威勢良く客引きをしていた女房のお龍が、血相をかえて、寅吉を小突いた。


「他のお客さんに誤解されるだろ!月子ちゃん!予約してもらっていた弁当、ちゃんと用意できてるよっ!って、言わないと!!」


まったく、あんたって人わっ!と、お龍の小言は止まらない。


まさに、あっちでも、こっちでも、という言葉が相応しいほど、花園劇場は、大わらわになっている。


そんな、賑やかさに月子も気分が高揚した。


そして、岩崎、中村に言われたように、今日の催しを楽しもうと心から思ったのだった。

麗しの君に。大正イノセント・ストーリー

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