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月子が席に案内されると、桟敷席のど真ん中、貴賓席にあたる位置では、金屏風を背に、男爵と芳子が立派な身なりの男達と談笑していた。
吉田曰く、音楽学校の校長や支援者なのだとか。
そして、脇には、上品な身なりの家族連れが並んでいた。
こちらは、学生の家族とのことらしい。
芳子が、舞台衣裳のドレス姿ということで、急遽、劇場側が椅子を用意して、桟敷席は洋式の形になっている。
「月子様はこちらへ。お堅い人々と席を一緒にするよりも、この方とご一緒する方がよろしいでしょう?」
吉田が、関係者席とは逆の方向へ月子を連れていく。
何故か、そこも屏風で仕切られており、月子は恐る恐る覗きこんだ。
「月子」
弱々しくはあるが、聞きなれた優しい声に月子は、あっと叫び、たちまち笑みを浮かべた。
「母さん!」
「せっかくだからってね、招待頂いたんだよ」
めかしこんだ母が、椅子に腰かけている。
「月子様。お母様がお疲れになった場合に備えて、お布団も用意してますからね!」
母の容態の急変に備えて医師も連れてきたのだと、付き添い女中の梅子が誇らしげに言った。
たしかに。
視線を感じ、月子が屏風の後側を見てみると、布団が用意されており、白衣姿の医師と看護婦が待機していた。
完璧な準備に月子は、驚きつつ、医師へ頭を下げる。
「あー、今度お屋敷に雇われたお医者様なんですよ。療養所にお母様を移すより、医師を連れてきた方が早いってことになって。それに、月子様もいつでもお母様にお会いできますしね」
梅子が事情を語ってくれた。
「梅子さん、お医者様を……?!」
どうやら芳子が言い出したようで、医者の元へ移動するなら、医者を連れてくればいいんじゃないかということらしく、療養所よろしく、月子の母が居る別館の一室をご近所にも解放して、にわか医院を開いているらしい。
「なんだか、私のために。もったいない話で……」
母は恐縮するが、梅子は、
「いいんですよ!男爵家なんですからー!」
と、のほほんとしている。
「そうゆうことですので、月子様、ご安心を。あとで、お咲を連れに来ます」
吉田が、きっちりお辞儀をして、男爵夫妻の所へ向かった。
「あっ!そうだ、お咲ちゃん!」
月子は、着いて来ているはずのお咲に目をやった。
お咲は、キョロキョロとして落ち着かない。まさに、初めての大舞台。辺りを珍しそうに、そして、少し肩をいからせ見回していた。
どうやら、かなり緊張しているようだ。
「あら、可愛らしい花かんざしね」
月子の母が、お咲に髪に指しているかんざしに気付く。
「あっ!これ!お咲、買ってもらった!旦那様に!」
たちまちご機嫌になったお咲は、満面の笑みを浮かべた。
月子も、あっと、言いつつ、クスクス笑いだす。
「ん?なんだか、分かりませんけど、月子様、こちらへどうぞ」
梅子が母の隣を勧めてくれ、月子は席に腰を下ろすと、母に、かんざしの件を報告する。
「まあ、岩崎様が?!」
母もこらえきれなくなったのか、声をあげて笑った。
一階の升席は、人の頭しか見えないほど満杯だった。
ざわざわと、ざわめく気配に、月子も心が踊っている。
賑やかな劇場で、母が本当に楽しそうに笑った。
二人で笑い会える日が来るなど、月子には、まさに夢のようだった。
脇では、梅子がお咲に立ち方とお辞儀の仕方を教えている。
細かな注意を受けても、お咲は、真顔で、はい!と返事をし、所作を覚えようとしていた。
と……。
チョンと拍子木が鳴り、舞台の幕が開かれる。
演奏会の始まりだ。
観客のどよめきと拍手喝采に、月子もつい身を乗り出す。
そして──。何処からか、舞台にほんのり光が差し込めて、軽快なピアノの音が流れ始めた。