夏の匂いがする。
ミーンミンミン…
『関東では、昨年よりも早い梅雨明けが発表されました。今日から今週末にかけて猛暑日が続くでしょう。皆さん、熱中症には気をつけてお過ごしください…続いて…』
「スイカむけたわよ〜」
少し大きめのドラム缶テレビから音声が流れる中、1階から母さんの呼ぶ声がする。
畳についた手を支えに、熱く重い体を起こす。
チリンチリン…
無い風が風鈴を揺らす。
誰もいなくなった和室に足の短い机に置かれた一つの日記。
その開かれたページに落ちる緑の葉が、筆で書かれた文字を掠める。
『拝啓、まだ青かった僕らへ__』
「母さん、今年の夏は熱くなるらしいよ」
台所に立っていた母さんに言葉を投げかける。
使った食器を拭いていた母さんは此方を見る。
「そうらしいわね〜…お茶いっぱい冷やしておくから、ちゃんと飲むのよ?」
拭き終わった食器を片付け、着替え始めるそれに目をやる。
「あれ、今日もパート?」
「そうなのよ〜、急遽変わってほしいって頼まれちゃってね〜…」
先程までの余裕は無い様子の母さんに足を進める。
靴を急いで履いているのか、左右に体が揺れている。
「今日は何時?」
靴を履き終え、立ち上がる。
「今日は…確か11時だったわ」
「了解、いってらっしゃい」
「行ってきま〜す」
敬礼ポーズをすると同時に玄関に手をやる彼女の背中を見送る。
パタン…
閉まる扉とともに鍵を閉め、自室へと足を運ぶ。
「ーーー…ーー…」
緑色のきめ細かく編まれた畳の上に横になると、窓の外からは子どもたちの遊んでいる声がする。
チリン…チリンチリン…
風もないのに揺れる赤と青の縞模様の風鈴を見つめる。
ペラッ…パラパラ…
日記のページがめくられる音がする。
無風だと感じていたそれは、寝転んでいる自身に風が当たっていないだけかもしれないと錯覚させられる。
音もなく、額を汗が伝う。
扇風機の回る音、風鈴の鳴く音、子どもたちの声。
それらを夏の暑さが包み込んでいる。
重くなった瞼を閉じる。
ふと、淡くなった意識の中に浮かんだのは、あの夏の思い出。
夢のような、そんな思い出。
寝返ると同時に畳に擦れる感覚が肌を襲う。
右腕を枕にし、また瞼を開く。
それは去年の夏のモノガタリ。
「わ、わ…!」
それは、熱い暑い夏のことだった。
情けない声を上げながら彼らから逃げる僕。
鬼ごっこをしていた僕ら。
最後に捕まった人が、出ると噂の山奥のもう長年使われていない館に行くという枷をつけながら遊んでいた。
毎年、夏休みには家族総出で帰省することになっている僕が彼らと出会ったのは、そんな夏だった。
昔から少し体が弱かった僕は、一年に一度、帰省しなければ喘息を起こす頻度が上がっていた。
その為、彼らと遊ぶのも禁止されていたが、元々通っている学校では話す人すら居なかったため、人と遊べるという経験は貴重なものだった。
家に帰ればお説教の嵐、そんな家族に呆れて、彼らのもとに走ったんだっけ。
森の中を走って、走って走って、ただ走り続けた。
行く宛は彼らの元しか無い、探すにも、彼らの家を聞いていない、そんな考えが浮かんだのは家を飛び出した後だった。
もう後には戻れない。
街灯一つもない、そんな暗闇の中を、揺れる方を抱えながら歩き続ける。
彼らに会えると願って。
「あれ、」
そんな聞き覚えのある声とともに、体の疲れが一瞬にして吹き飛んだのを、今でも覚えている。
あぁ、
「また、彼らに会いたいな」
近くにあった座布団を頭の下に引く。
机に置いた日記のめくれる音がやけに耳にちらつく。
次第に重くなってくる瞼に、大人しく襲ってくる闇に意識を任せる。
「お、__じゃん」
懐かしい声。
そんな優しい声に続いて、他四人の背中が振り返る。
「え、__なんか?」
「久しぶりじゃないの、元気してた〜?」
「また遊びに家飛び出した感じ?w」
「ヒサシブリ」
懐かしい、懐かしい記憶。
「久しぶり、みんな」
懐かしい、寂しい記憶。
「今まで何してたんだよ〜w」
「青い」彼が肩を組んでくる。
二カッと笑う彼の笑顔が、未だに輝いている気がした。
「なんでもない」
「教えてくれないってこと?」
「そういうこと」
「おいらっだぁ、あんまだる絡みすんなよ」
「してないし〜、きょーさんこそ、ーーの話聞きたくない?」
「めっちゃ聞きたい」
「よっしゃ逃げ場なし、教えろ〜?」
「うぐぅ…」
ただ、そんな変哲もない会話。
「おじいちゃん大丈夫ですか〜?」
呆然と一箇所を見つめていると、青い彼が目の前で手を振る。
顔をあげると、心配そうな顔をする彼らに少し笑ってしまう。
「こんな老いぼれを心配するだけ無駄だぞw」
「それじゃ、聞けなくなるでしょ」
スーツを着た彼が言う。
「君の冒険譚、語って聞かせてよ」
目元を緩くし、隠された口が笑っているように錯覚させられるそれに、思わずずるいな、なんて__
「じゃあ、少し、老いぼれの時間にしようかの」
それからはもう、覚えていない。
ただ、
優雅な、気持ちの良い最後を遂げられたことだけは、分かる。
『結局、こんな歳になっても彼らにもう一度会うことなんざ叶いはしなかった。』
『探すことを止めたのは、彼が、彼らが、『死神』だと知ってからだったか_』
『もっと早く、彼らと出会っておけばよかったと、そう』
日記に書かれた言葉はそこで終わっていた。
風でめくれるページに、一つの雫が音もなく零れ落ちる。
「やっぱり、慣れないなぁ…w」
誰も居ない、風の入る畳の二畳半の部屋。
白いカーテンが揺れる下には、変わらず置いてある足に短い机。
その上に置かれた日記のページがパラパラとめくられていく。
最後のページには、黄ばんだミヤコワスレの栞が挟まれていた。
コメント
10件
らっでぃとかので感動するの久々かも…