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季節は夏に向かってまっしぐらな初夏の折。
さすがに余り日当たり良好の場所だと暑くてたまらないけれど、木漏れ日の射すここは良い感じに心地よい。
外でお弁当だなんて嫌がられるかな?と心配していた羽理だったけれど、岳斗に「こういうランチも悪くない」と言ってもらえてホッとして。
「はい、今日は風もそよそよ吹いていて気持ちいいですし、絶好のお外ランチ日和です♪」
春先に、岳斗がここでたんぽぽの綿毛を吹き飛ばしていたのを見て、なんて可愛い人なのっ♥と悶えたのをふと思い出した羽理は、一人口の端にフフッと笑みを浮かべた。
「もう少ししたら梅雨入りして、こんな風に外で過ごすこと自体難しくなっちゃうんだろうね」
ほわんと言われて、「はい」とうなずきながら足元をふと見れば、まだ綿毛を付けたたんぽぽがあちらこちらにポツポツと点在している。
「ん? 何か楽しいことでも思い出したの?」
「あ、いえ……たんぽぽの綿毛が可愛いなぁと思って」
(本当はそれを吹き飛ばしていた課長が可愛かったんですけどねっ♪)
もっと言うと、社に戻って来た時、髪の毛に綿毛がくっ付いたままの課長の様子が最高に愛らしく見えて、帰宅するなり勢いに任せて一気に一本短編が書けてしまったくらいだったのだが。
さすがにそれをバラすわけにはいかないので、羽理は曖昧に言葉を濁して誤魔化した。
「あー、たんぽぽの綿毛ってさ、見てると何だか童心にかえって吹き飛ばしてみたくならない? 僕さ、大人気ないなって思いながらこっそり吹き飛ばしてみることあるんだ」
荒木さんだけに言うね、とウインクされて、羽理は心の中で(ええ、存じ上げておりますとも!)とこぶしを振り上げた。
「ね、ところで荒木さんの弁当、手作り?」
「あ、はいっ」
岳斗のひざの上に載っている弁当は、会社近くの仕出し屋の幕の内だ。
かさの部分にアスタリスク型の飾り切りが入った大きなシイタケと、花形にくりぬかれたニンジンが目にも楽しいお煮しめ。それから皮の焼き目が絶妙なサバの塩焼きが美味しそうな一品。
卵焼きも鮮やかな黄色が目に眩しくて、ほうれん草のバターソテーの緑色とのコントラストが何とも食欲をそそられる。
対して羽理の弁当は、一品一品大葉が真心を込めて作ってくれた愛情弁当で、彩りだってきっと、岳斗の広げている幕の内弁当にだって、引けを取らない。
今日は小さく刻まれた肉じゃがが入ったちょっぴり茶色っぽい卵焼きと、マヨダレが美味しいテカテカの鶏の照り焼き、ひじきと水菜のサラダ、猫の顔型にくりぬかれたニンジンで作られた艶々のグラッセ、十三穀米のおにぎりが入っている。
いつも思うけれど、大葉は本当に料理上手だ。
冷蔵庫の中はいつも綺麗に整理整頓されていて、チルド室には手作りの冷凍食品が常にアレコレと潤沢に収納されている。
照れ隠しからだろうか? 「冷凍してんのをテキトーに取り出してレンジでチンしただけだ」と、どこかぶっきら棒に言いながら、色んなおかずを弁当箱の中に詰め込んでくれるのだ。
今朝、見るとはなしに眺めていたら、冷凍品を解凍しただけだ、とか言いながら、ニンジンのグラッセは一から作ってくれていた。
興味津々で見守る羽理の前で、大葉は少し厚めの輪切りにしたニンジンをレンジで柔らかくしてから、羽理のためだろう。わざわざ可愛く見えるようクッキーの型で猫の顔型にくり抜くなどと言うひと手間を加えてから、バター風味の甘塩っぱいグラッセにしてくれた。
「ホントすごいね。見た目も綺麗だし……肉と野菜のバランスも良さそうだ」
「はい。見た目だけじゃなくて……味もとってもいい、すっごいお弁当なんですよっ♪」
思わず身内の自慢をするように、大葉の功績を称えたくて力説してしまい、岳斗に目を真ん丸にされてしまった。
「その言い方。――自画自賛、って感じじゃないね?」
言われて、羽理はグッと言葉に詰まって。
「あ、あの……これ、実は人から作って頂いたお弁当なんです」
しどろもどろに言ったら、「ひょっとして……裸男さんの彼女さんお手製ってことかな?」とか言われてドキーン!と心臓が跳ねる。
(な、何でご存知なんですかっ!)
裸男というパワーワードが岳斗の口から飛び出して、咄嗟のことにワタワタと慌てそうになったものの、実際に作ってくれたのは裸男の彼女さん――大葉の愛犬キュウリちゃん――ではなく、裸男自身だ。
大葉が聞いたら、「いや、俺の彼女はウリちゃんじゃなくてお前だろ!?」と憤慨しそうなことを思いつつ。
その差異に、(バレてない、よね?)と気付いた羽理は、ちょっとだけホッとする。
その上で、わざわざ裸男を持ち出されたことに疑念を抱いた羽理は、「あ、あの……私、昨晩もよそ様へお泊りしたって……課長にお話しましたかね?」と瞳を泳がせながらも質問に質問で返すと言う卑怯な戦法に出た。
そうしながらも心の中、(そんな話より、早く仕事のことを指摘してくださいっ! あんまり部長のことを考えると心臓に悪いのでっ!)なんてことも思っていたりする。
「ううん。聞いてないよ? ただ――」
そこで羽理をじっと見つめると、岳斗がスッと手を伸ばしてきた。
真剣なまなざしとともにズンズン近付いてくる〝推し〟の手に、思わずじっと見入って。
(あ! 何かいいシーンがひらめきそうです!)
などとどうでもいいことを考えている羽理だったのだけれど。
キュッと柔らかく髪の毛に触れられた瞬間、身体にビリリ!と電撃が走った。
(よっしゃぁー! きたぁぁぁっ! ああ、今すぐ帰って『あ〜ん、課長っ♥ こんなところでそんなっ♥』の星特典を書き上げたい!)
羽理は、ウズウズとはやる気持ちを、お弁当箱と箸を握る手に力を込めてグッとこらえる。
「ほら、だって髪飾りが……昨日と変わってない」
早くこの衝動のままに萌えキュンなお話を書きたい!と思いつつ、「あぁ、今朝、仁子からも同じことを指摘されたんですよー?」と、心ここにあらずな状態でおざなりに答えたら、髪に触れたまま岳斗の顔がグッと近付いてきた。
(ん? 何か距離が近すぎません?)
そう思ったと同時――。
なけなしの自衛本能が働いた羽理は、スッと身体をのけ反らせて。
「あ、あの……課長……?」
と呼び掛けて、恐る恐る岳斗を見詰めた。
「……ダメ、かな?」
「……えっと……何のことを仰ってるのかはよく分かんないですけど……多分ダメだと思いますっ」
言った通り、岳斗が何の許可を求めているのかまではハッキリとは分からなかったけれど、OKしてしまえば自分のことを好きだと真摯に伝えてくれた大葉を傷付けてしまいそうな気がして、羽理の心はザワザワと落ち着かない。
(だって課長ってば、何だかキスとかしてきそうな勢いなんだもん!)
春の陽だまりのような倍相課長に限って、まさかそんな不埒な真似はしないと信じたいけれど、今日の岳斗は少しおかしかったから。
(推しとそんなことになるのは本意じゃないもの)
羽理にとって、岳斗はあくまでも日々に潤いを与えてくれる有り難い〝推し〟。
ヒーローのモデル役である彼が迫るべき相手は、羽理が『皆星』で書いているヒロインちゃんであって、羽理自身ではない。
(何なら仁子に迫ってくださったら私、萌えまくれるんだけどな!?)
そう。羽理は、岳斗が女性を口説くところを、あくまでも〝外野として観察したい〟のだ。
さっきは岳斗の行動が恋愛経験の乏しい羽理にすごく良い絵面を思いつかせてくれる刺激になって「よっしゃぁ!」となったけれど、ハッキリ言ってそれ以上のことは望んでいない。
「それは……いま僕たちのいるところが、周りから見通せる場所だから、かな?」
キュルンとした目で小首を傾げられて、羽理はふぅっと小さく吐息を落とした。
「場所の問題ではありませんよ? 先ほどから倍相課長の私への接し方が上司と部下の立ち位置としてはやけに近過ぎるのが落ち着かないだけです。もしそれ以上踏み込まれたいと言う意味での『ダメかな?』だとしたら……私はそれを望んでいません。――課長はあくまでも私の推しなので。推しとは過度な接触を取ってはいけないのです」
未だ髪に掛かったままの岳斗の手をすっと避けながら一気にそこまで告げて。
「えっと……倍相課長は私に何かお仕事の面で苦言が呈したかったから二人きりでの食事へ誘って下さったのではなかったのですか? ――私、ちゃんと覚悟出来てますので遠慮なさらず仰ってください」
横道にそれかけている上司を、懸命に軌道修正した。
***
部下の荒木羽理にキスの許可を求めたら、思わぬ抵抗を受けてしまった。
(あれ? 荒木さんは僕に好意があるんじゃないの?)
そう思いはした岳斗だったが、逆にそういう身持ちの堅さも荒木羽理と言う女性の魅力に思えて。
(男からの誘いにすぐなびくような尻軽女は信用ならないからね)
岳斗は優しげで人好きのする見た目のお陰か、幼い頃から女性受けが良かった。
だからこそ彼女たちの汚い面も沢山見せ付けられてきたのだ。
外見の清楚な女の子が中身もそうだとは限らないことを、過去の経験から嫌と言うほど思い知っている。
屋久蓑大葉は同じような経験から女性を避けることを選んだのだけれど、倍相岳斗は逆にそんな女性たちの好意を利用する方へ流れたタイプだ。
岳斗は、今までのほほんとした表向きの顔で、釣り上げた女の子たちを適当に食い散らかしてきた。
もちろん相手がそうと気付くような馬鹿な別れ方はしないし、何ならあと腐れのない相手を選んで寝ることの方が圧倒的に多い。
都合のいいセフレたちとは、利用価値を感じなくなった後も、表向きは円満な関係を続けるのがモットー。
面倒事はイヤなので、社内や取引先の女性とは関係を持たないことも徹底してきた。
だが、荒木羽理はそういう女性たちとは明らかに違う雰囲気だったから……。生まれて初めて本気。それこそ掛け値なしで手に入れたいと思ったのだけれど。
正直これが案外手強くて苦戦している岳斗だ。
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