テラーノベル
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君が、僕の名前を呼ぶようになってから、世界は少しだけ輪郭を持った。
「陽介(ようすけ)」
君がそう呼ぶたび、
僕は“君の前にいる自分”を、はっきり意識する。
僕は
朝倉 陽介(あさくら ようすけ)。
特別じゃない名前。
でも、君が呼ぶと、それだけで意味を持つ。
君の名前は
白石 紬(しらいし つむぎ)。
強がりで、優しくて、
大丈夫って言い続けてきた人の名前。
ある日の昼下がり。
玲奈に呼び出された。
「ねえ、二人とも来て」
場所は、いつものカフェ。
何度も三人で来た場所なのに、その日は少し空気が違った。
紬は、カップを両手で包みながら、落ち着かない様子だった。
視線が、何度も僕と玲奈の間を行き来する。
「……なに?」
紬が先に聞く。
玲奈は一度、ため息をついた。
「単刀直入に言うね」
そう前置きしてから、僕たちを見る。
「二人、付き合ってるでしょ」
紬の肩が、びくっと跳ねた。
「え、えっと……」
反射的に「大丈夫」と言いそうになって、
紬は口を閉じた。
その仕草だけで、答えは十分だった。
僕は、逃げないことにした。
「うん」
短く、でもはっきり。
「俺と紬は、付き合ってる」
その瞬間、紬が僕を見た。
驚いたような、少し安心したような顔。
玲奈は目を細めて、しばらく黙ったあと、ふっと笑った。
「……やっと言った」
「怒ってる?」
紬が恐る恐る聞く。
「怒ってない」
玲奈は首を振った。
「むしろ安心した」
そして、少し真剣な目で続ける。
「紬さ、前よりちゃんと弱くなったでしょ」
紬は言葉に詰まった。
「それ、いい意味だから」
玲奈はそう言って、僕を見る。
「陽介」
初めて、はっきり名前を呼ばれた。
「ありがとう」
その一言が、胸に刺さった。
「この子、一人で立とうとしすぎるから」
「……うん」
「でも今は、ちゃんと寄りかかってる」
玲奈は紬の肩を軽く叩いた。
「それ、続けなよ」
帰り道、紬はずっと黙っていた。
手は繋いでいるのに、どこか考え込んでいる。
「なに考えてる?」
と聞くと、紬は小さく息を吐いた。
「私たちのこと、言葉にされたなって」
「嫌だった?」
「ううん」
首を振って、続ける。
「ちょっと、怖かっただけ」
「なにが?」
「“恋人”って言葉」
紬は立ち止まって、僕を見る。
「私さ、今までずっと、“大丈夫な私”で生きてきたから」
夕暮れの光が、紬の髪を透かしていた。
「恋人になったら、ちゃんとしなきゃって思っちゃう」
その言葉に、胸が締めつけられる。
「でも」
紬は、僕の手を握り直した。
「陽介となら、ちゃんとしてなくてもいいって思える」
「……紬」
「名前で呼ばれるとさ」
少し照れた笑顔。
「逃げられなくなるね」
「逃がさないよ」
そう言うと、紬は少しだけ目を潤ませた。
その夜、紬は僕の部屋で、珍しく静かだった。
「ねえ、陽介」
「なに?」
「今日さ」
少し間を置いて、
「大丈夫じゃなかった」
心臓が、一拍遅れて鳴る。
「玲奈に知られたのも、怖かったし」
「……うん」
「でも、一番怖かったのは」
紬は僕の胸に額を預けた。
「大丈夫って言わなくても、そばにいてくれるって、信じちゃったこと」
僕は、紬を抱きしめた。
強くない。
でも、離れない強さで。
「信じていいよ」
「……うん」
「紬」
名前を呼ぶ。
「何度でも言うけど」
「うん」
「大丈夫じゃない君でも、俺は会いに行く」
紬の腕が、ぎゅっと僕の背中に回った。
「陽介」
震える声。
「私ね」
深呼吸してから、
「大丈夫じゃないって言える場所、初めてできた」
その言葉で、全部報われた気がした。
もう、隠さなくていい。
君と僕は、ちゃんと“ここにいる”。
朝倉陽介と、白石紬。
強がりな君と、言葉下手な僕。
恋人として、
名前を呼び合って、
弱さも一緒に抱えながら。
つよがりの君に、
僕は今日も会いにいく。
今度は、
君が「大丈夫」じゃないって言った、その場所へ。
コメント
2件
紬さんと陽介さん!めっちゃいい名前✨