雨天後の水たまりのように、赤熱の溶岩が散見される。
真っ赤な荒野には生き物の姿が見当たらず、植物さえも根付けない。
あちこちからマグマが噴出するため、気温は肺すらも焼くほどだ。
屈強な傭兵でさえ、ここを居住地には選べないだろう。
そうであろうと。
だからこそ。
ここは人目につかない安全地帯であり、彼らはあえてここを選んだ。
第二の故郷と定めた。
「タだいま戻りましタ」
灼熱の地上と比べると、室内は薄暗く、肌寒い。
部屋と呼ぶには広すぎる空間だからか、女の声が不気味なほどに響いてしまう。
現代の技術力ではたどり着けない地下深くで、二つの炎が相まみえた瞬間だ。
「オーディエンか、今までどこにいた?」
先ほどとは異なる声が、不機嫌そうに眼下を見下ろす。声質は似通っているものの、抑揚は非常に落ち着いており、別人であることは間違いない。
叱られたと察したのか、魔物は片膝をついたまま、より一層頭を下げる。
「アルジの封印についテ、手がかりを探しておりましタ。ゴ報告が遅れてしまイ、申し訳ありませン」
魔物の名前はオーディエン。
人間の女性と瓜二つの外見ながらも、それは頭髪と胴体を除けばの話だ。
火球が核のように存在しており、そこを起点として頭部と四肢が配置されている。
頭皮からは髪代わりの炎が噴出しているのだが、これが人間の模倣ならば不合格と言う他ない。
「いつものことだが、われの許可なしに長々と姿を消しおって。どうせ手ぶらなのだろう?」
高圧的な声だ。
この状況にはいかにオーディエンと言えども冷や汗を流してしまう。
太陽の陽射しが届かないほどの地下深くには、多数のフロアがそれぞれの機能を持って存在している。
ここはその内の一つでしかないのだが、灯りの類が見当たらないにも関わらず、室内はぼんやりと明るい。
その最たる理由が、空間の中心に鎮座する巨大な炎だ。メラメラと踊るように燃え続けており、その大きさは人間をすっぽりと飲み込めてしまえる。
だからなのか?
炎の中には一人の女が浮かんでおり、磔のように両手両足を固定されたまま、そこから一歩も動けない。
揺らめく黒髪も。
白いワンピースすらも。
その人間すらも、燃える様子はない。
見えない十字架に縛られたまま、つまらなそうに部下を見下ろす。
その視線は鋭く、オーディエンすらも怯ませるほどだ。
それでも黙っているわけにはいかないため、魔物は薄紫色の床だけを眺めながら口を開く。
「ゴ期待に添えズ、申し訳ありませン。デすが、ソれらしき魔力の気配ヲ、感じ取ることは出来ましタ。コれが封印の解除に繋がるかどうかハ、サらなる調査が必要でス」
普段のふざけた態度は鳴りを潜め、今は従者として振舞うことに徹する。
報告に関しても嘘は言っておらず、炎に囚われた主人を喜ばせるために必死だ。
その甲斐あって、女は顔だけを動かして配下を見つめ直す。
「ほう、数百年ぶりの進展か?」
「ソの可能性は高いかト。近日中に、再度調べるつもりでス。オ時間頂くことになりますガ、ゴ容赦ヲ……」
「ふむ、わかった」
そしてこの場に沈黙が訪れるも、二つの炎はフロアを照らし続ける。
ここはどこまでも殺風景だ。
床も壁も天井さえも、同一の鉱物によって作られており、その色は薄紫色をしている。
家具の類は一切見当たらず、言うなれば四角い空間が存在しているだけ。
もっとも、ここで何かが起きたことは間違いない。
床はあちこちが焦げており、さらには亀裂のような傷が散見される。
そういった損壊は壁や天井にも確認されるため、ここが戦場と化したことは間違いない。
誰と誰が戦ったのか?
その結果については、容易に想像が出来る。
勝敗については定かではないが、ワンピースの女が拘束されたことで戦闘は結末を迎えたのだろう。
「一ツ、訊いてもよろしいでしょうカ?」
「なんだ?」
あちこちが破壊された床に、オーディエンはいつまでも膝を付ける。
その姿勢を保ち続けるという意味では、炎に閉じ込められたそれも似た者同士か。
セステニア。その姿はまさしく人間だ。オーディエンも一部を除けた人間と瓜二つなのだが、彼女に関してはあらゆる面が人間でしかない。
異質な点を挙げるとすれば、耳の形か。大きいだけでなく、目立つ程度には尖っている。その特徴だけは現代の人間と相容れない。
長い黒髪が炎の対流によって揺れ動く中、赤い瞳が見下すように部下を凝視する。質問を投げかけられることは珍しいため、目力だけで催促してしまう。
このタイミングでオーディエンが顔を上げた理由はシンプルだ。わかりきった問いかけながらも、確認せずにはいられなかった。
「ソの封印を打ち破れたラ、イかがされますカ?」
そのために暗躍している。
部下として。
観客として。
もっとも、主人の野心など把握済みだ。
忠実な僕を演じるように問うも、返事そのものは想定通りでしかない。
「愚問だな。今度こそ、人間を滅ぼす。一人残らず、な。奴らの住処は、全て把握済みなのだろう?」
「モちろんでス。ゴ要望とあらバ、案内致しまス」
セステニアはそのために生きている。
人間と瓜二つの姿をしていようと、その在り様は魔物よりも歪だ。
「体がなまっていそうだが、さしたる障害にはならんだろう。魔力は変わらず、魔源の蓄積は十分過ぎるほど……」
「素晴らしイ。必ずヤ、千年の倦怠から解き放ってみせましょウ」
「よしなに」
薄暗い空間で、オーディエンだけが静かに笑う。
眼前の女こそが自分の存在理由ゆえ、この状況が楽しく仕方ない。
もう一つのピースも見つかった以上、本音としては封印の解除に向けて準備を進めたい。
しかし、それは時期尚早だと理解している。
ゆえに、今しばらくは時間稼ぎが必要だ。
手がかりをちらつかせたばかりだが、魔物はさらに一歩踏み込む。
「煉獄から連れてきた部下達についてモ、使い道を思いつきましタ」
「そうか。おまえにしては慎重過ぎると思っていたが、調査に必要なら存分に使え。どうせ勝手に連れてきた連中だ」
「慎重にモ、ファファファ、ナってしまいまス。大事な大事な手駒ですかラ……」
笑いを堪えることさえ不可能だ。
嘘は言っていない。
本当のことも言っていない。
オーディエンは肩を震わせて声を押し殺そうとするも、対照的にセステニアは微動だにしない。
「ヘカトンケイレスがあっさりと倒されたようだが、あのような雑魚では当然だ。いかにこの時代の人間が脆弱であろうと、侮ったおまえの失策だな」
「モ。申し訳ごじませン。残りの三体ハ、モう少しうまくやるでしょウ」
「われを待たずに滅ぼしてくれても構わないのだがな……」
「ファファファ、恐れ多イ……」
そして沈黙が訪れる。
オーディエンが萎縮するように黙った以上、セステニアが目を細めながら口を開く。
「おまえなら、十分可能だろう?」
この女は見抜いている。囚われの身ではあるものの、それこそ指先すらも動かせないながらも、オーディエンという未知の魔物についておおよそ把握済みだ。
忠義を尽くす部下ではあるのだが、自由奔放な性格は主人であっても手を焼いてしまう。
それでも好き勝手にさせる理由は、その実力を高く買っているためだ。
「アルジほどでハ、ゴざいませン」
「ふん、否定しないのだな。まぁ、いい。引き続き、おまえに任せる。千年前は後れを取ったが、あの時のニンゲンはもういない。次こそは、この世界からニンゲンを消し去ってみせよう」
人間の排除こそが、この女の野心だ。
巨大な炎の中で、黒髪が躍るように揺れている。
真っ白なワンピースも燃えることなくそよいでおり、女は不可視の十字架に縛られたまま、結界からの開放を待ち望んでいる。
それの名前はセステニア。戦いの果てに封じ込まれた、不滅の敗者。
不老不死とは、まさに彼女のことを指すのだろう。
ゆえに、彼らは代償と引き換えに、炎の結界を用いて戦争を終わらせるしかなかった。
長い年月が過ぎ去ろうと、セステニアは飢えないばかりか死ぬことさえない。
外見的変化も一切見られず、つまりは加齢すらも克服済みだ。
禍々しくも神々しい姿を見上げながら、炎の魔物がゆっくりと立ち上がる。
「ゴ安心くださイ。必ずヤ、クビキから解放してみせましょウ。ソれこそがワタシの使命、ワタシの本願……。ファファファファファ!」
笑い声を置き去りにして、オーディエンの姿が闇の中に消え去る。
奇天烈な言動はいつものことゆえ、女は動じることなく瞳を閉じる。
今はただ、眠るように待つしかない。結界の力は絶対であり、多少弱まってもなお、打ち破ることは不可能だ。
ゆらゆらと踊る、巨大な炎。
その中心には人間が囚われており、だからこそ、イダンリネア王国は滅ぼされずに済んでいる。
これは、生きるか死ぬかの戦いではない。
いつまで、生き延びることが出来るのか?
敗北を先延ばしにするための抵抗であり、つまりは延命に過ぎない。
それをわかっているからこそ、赤髪の魔女は来るべき時に備えて、準備を進めている。
巨人戦争から始まった、抗えない絶望。
次こそは滅ぼすために、その魔女は長い年月をかけて探し続けた。
今度こそ滅ぼすために、その女は解き放たれる瞬間を待ち続けた。
もう間もなくだ。
そのことを知る存在は、皮肉にも魔物だった。薄暗い通路を音もなく歩く姿は、妖艶ながらも不気味でしかない。
「ヤることが山積みダ。エウィンを鍛えテ、封印因子も一つくらいは壊しテ……。ア、一石二鳥なアイデア、思いついちゃっタ。確かにこれなラ、失敗しても目標を作ってあげられル」
床も壁も薄紫色だ。
窓のない廊下はどこまでも続いており、炎の魔物がここを独占している。
「デも、焦り過ぎかナ? ハクアに相談した方ガ……、マぁ、イいか、怒られそうだシ……。ワタシはワタシのやり方デ、楽しませてもらおウ」
ついに見つけた。
正しくは、向こうから見つけてくれた。
三百年も探し続けていたのだから、喜びもひとしおだ。
この世界の仕組みまではわからないながらも、自身が存在している理由を完全に理解している。そういった意味でも稀有な存在であり、オーディエンは誰よりも楽しまずにはいられない。
「エウィン、アゲハ、期待してるヨ。キミ達が生き延びるカ、ワタシ達が世界を滅ぼすカ、ドちらかしか無いのだかラ……」
残念ながら、それがこの世界の真理だ。
人間と魔物。相容れない両者が、コンティティ大陸に共存している。
正しくは争っている最中ゆえ、最終的にはどちらかが滅ぶしかない。
魔物側の代表がオーディエンとセステニアなら、人間側は誰が該当するのか?
本来ならばハクアとイダンリネア王国なのだが、そうではないとこの魔物だけが見抜いている。
貧困街で暮らす浮浪者であろうと、今は十八歳の傭兵だ。
転生者と出会い、手を差し伸べた瞬間から、運命は大きくうねり始めた。
きっかけは単なる偶然だ。
そして、神の誤算でもあった。
それでも、彼らは巡り合い、今では傭兵として魔物を狩っている。
金を稼ぐため。
強くなるため。
今後は、新たな目標にも向き合わなければならない。
アゲハを地球に戻す手段の調査。
現状は八方塞がりながらも、諦めるにはまだ早い。
全ての人間と出会ったわけではない。
全ての書物に目を通したわけでもない。
新たな出会いはあった。
赤髪の魔女と純白の古書。どちらも謎多き存在ながらも、今は一時的ながらも居候させてもらっている。話す時間はいくらでもあるのだから、薄味な食事の改善を求めるついでに尋ねてみてもよいだろう。
ここは迷いの森に隠された、魔女達の集落。イダンリネア王国からは随分と離れており、このような僻地には傭兵でなければたどり着けない。
エウィンは、半年前まで草原ウサギしか狩れなかった。
アゲハは、アパートに引きこもって他者を拒んでいた。
そんな彼らが、今はここにいる。奇跡のような出来事ながらも、二人にとってはこれこそが現実だ。
ウルフィエナにようこそ。
その声がアゲハをこの世界へ誘うも、そこから先は彼女の物語だ。
もっとも、生き方を選べるほど強くはないため、エウィンにすがるしかない。
大学を中退後も、仕送りを続けてくれた母親に感謝を述べたい。
そして、謝りたい。
この感情は本物だ。
そのためには地球への帰還方法を見つけなければならないのだが、アゲハの心は揺れ動く。
エウィンとの離別が待っているのなら、戻れなくても構わない。
これもまた本音だ。
依存するほどに好いてしまったのだから、帰還の代償としては大き過ぎる。
何も言い出せないまま、今日も静かに夜が更ける。
隔絶されるように、ひっそりと存在するここは迷いの森。千年前の戦争後、魔女達が逃げ延びた安息の地。
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