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「何で、今更言うんだよっ」
応接室のドアに手を掛けようとした時、聞こえてきた声に自分の耳を疑った。
今応接室にはおじさまと遥がいるんだと聞いていた。
2人で何を話しているのか少し不安になりながら、私は駆けてきた。
幸いおばあさまの最後には間にあい、手をとりながら息を引き取る瞬間を迎えることができた。
おばあさまも穏やかな顔で旅立っていかれた。
その後着替えを手伝いお化粧をし、おじいさまと最後のお別れをしてやっと宮邸に帰る準備が整った。
これからしばらくは葬儀や何かで忙しくなるだろうし、遥とも会えないだろうからと急いでやってきた。
それなのに・・・
「萌夏さま、どうかなさいましたか?」
後ろに控えていた山本さんに声を掛けられ
「いえ、何でもありません」
と答えるしかない。
きっと山本さんには遥の声は聞こえていないんだ。
でも、どうしたんだろう。何があったんだろう。
目上の人に声を荒げるなんて、遥らしくない。
「お声を掛けましょうか?」
固まってしまった私に山本さんが聞いてくれるけれど、
「いえ、自分でできます」
フー。
息を吐き、トントン。
「萌夏です」
私はやっとドアを開けた。
***
「おじさま、支度が整いました」
「そう、それじゃあ帰ろうか」
「はい」
おじさまも遥も一見普段と変わらない顔をしている。
もめている様子はないし、怒りのオーラも感じられない。
もしかして、さっきの声は空耳だったんだろうか?
私はそんなことを考えながら二人を見た。
「萌夏、大丈夫?」
ソファーに座っていた遥が立ち上がって私の肩を抱いた。
「ぅ、うん」
おじさまも山本さんもいるのにと、動揺が声に出た。
どうしたんだろう、遥らしくない。
人前でこんな行動をする人ではないのに。
「遥くん、萌夏ちゃんが困っているよ」
えっ。
おじさまの声に私の方が反応しそうになった。
一体どうしたの?
遥も遥らしくないし。おじさまもいつもと違う。
この二人どこかおかしい。
「創士様、お願いいたします」
ドアの向こうから侍従の声。
「はい」
おじさまは静かに返事をして、私に近づく。
「萌夏ちゃん、先に戻っているからね。しばらくは忙しくて会えないだろうから、ちゃんとお別れをしてきなさい」
これから通夜告別式。そのあと一定期間喪に服する期間があって、自由に外へ出れるのはだいぶ先になるらしい。
つくづく不自由な生活だと思う。
「遥くん、じゃあまた会いましょう」
遥の方を向いてにこやかに言うおじさま。
「はい」
一方遥は感情のこもらない声で短く返事をしただけだった。
***
「萌夏さま、20分後には出発しますので」
そう言って山本さんは部屋を出て行ってくれた。
遥と2人になった室内。
「ねえ、今の遥おかしいよ。いつもの遥じゃない」
ギュッと抱きしめられた状態のまま、私は遥に尋ねた。
「そうかな?」
「そうだよ、らしくない」
いつもの余裕が感じられないし、すごく辛そう。
こんな遥見たことがない。
「らしくないか、そうかもな」
「おじさまと何かあったの?」
「うん、あった。でも、一言では言えない」
「そう」
それ以上聞くことはできなかった。
こんなに苦しそうな遥ははじめて。
一年前事件に巻き込まれた私がケガをしたときだって、怒ったりはしていてもこんなに傷ついた顔を見せることはしなかった。
「落ち着いたらきちんと話すよ。萌夏は今、おばあさまのことだけを考えていたらいい」
「うん」
たった一ヶ月しか側にいることができなかったけれど、私は孫としておばあさまを見送りたいと思っている。
亡くなったお母さんの分もしっかりと心を込めて。
「萌夏」
ん?
名前を呼ばれて頭を上げた。
「遥?」
見上げた先にある遥の顔を見て驚いた。
真っ赤に充血した目に涙が溜まっている。
嘘。
遥が泣くなんて・・・
「何も聞くな」
震える声で言われ、私はうなずいた。
「いいか、お前の家は平石の家だ。必ず戻って来い」
「うん」
「俺は絶対に、お前を手放さない」
「私も遥から離れない」
苦しそうな遥を見て、自分まで苦しくなってしまった私。
どんなにあがいても私は遥が好きで、これは運命なんだと実感した。
***
宮邸に帰ってからは本当に慌ただしかった。
入棺。
通夜。
葬儀告別式。
その間にも小さな行事が山のようにあり、一日中お客様の対応をして過ごした気がする。
まだ正式に宮家の人間と認められたわけでない私が表に出ることはないものの、常におじいさまの隣に付き添っていた。
気丈に振る舞っていらっしゃるおじいさまもお年のせいか疲れが見えて、私はそばを離れることができなかった。
「おじいさま大丈夫ですか?お疲れが出ませんか?」
大きな儀式が終わりやっと一息ついたのは一ヶ月ほど後。
疲労の色が見え出したおじいさまに声をかけた。
「大丈夫。萌夏がいてくれて気がまぎれるよ」
笑顔で言ってくださるから
「ありがとうございます」
私も笑顔になった。
おじいさまとの暮らしは穏やかそのもの。
すでに一線を退いて半分隠居のような生活を送るおじいさまと日長一日お客様の相手をしたり、庭を散策したり。
お屋敷のいたるところにおばあさまとの思い出があるらしく、おじいさまはいろんな話を聞かせてくださる。
私にとってそれは幸せな時間。記憶の中にすらいない母を知る時間だった。
「萌夏は皐月によく似ている。特に笑った顔がそっくりだ」
楽しそうに言うおじいさまだけれど、
「そうですか?」
私は首を傾げるしかない。
だって、母の笑った顔なんて見たことがないんだから。
写真の中でしか知らない母は、いつもどこか寂しそうだった。
穏やかなほほえみをたたえてはいるものの、笑顔ではなかった。
***
「萌夏はずっと笑っていてくれ」
「おじいさま?」
「皐月の分まで、萌夏には幸せになってほしい。もう、この家の犠牲になる必要はない」
きっと、おじいさまは母さんのことを後悔している。
結婚を反対してしまったことで、寂しい最期を迎えることになったと思っているんだ。
「あとふた月もすれば喪が明ける。そうなったらもうここにいる必要はなくなる。萌夏は自由に生きればいい」
そっと手を握り、「ありがとう」とお礼を言ってくださるおじいさま。
私は涙をこらえることができなかった。
母さんだって、おじいさまとおばあさまのことが好きだったに違いない。
不幸な行き違いがあって悲しい決別をしてしまったけれど、お二人の幸せを最後まで祈っていたと思う。
できることなら私が、母さんの分までおじいさまに孝行したい。
おじいさまとおばあさまがいらしたから母さんがいて、私が今ここにいる。それは紛れもない事実だから。
トントン。
「創士です。お父さん、少しよろしいですか?」
朝から忙しく来客に追われていたはずのおじさまが、珍しく離れにやってきた。
「ああ、どうぞ」
穏やかな声で返事をするおじいさま。
私は邪魔にならないよう部屋を出ようとした。
しかし、
「萌夏ちゃんもここにいて。君にも話があるんだ」
おじさまに言われ、私はもう一度椅子に座った。