コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ゲストルームにはベットと小さな机があるだけ。
そこに淳之介さんと押し込まれ、仕方なく2人でベットに腰かけた。
「怒っていたわね」
「ああ」
言葉にも態度にも怒りがこもっていた。
一見穏やかそうな淑女が怒ると一段と怖いんだなって、メグさんを見て実感した。
「私たちが登生の前で喧嘩したから、だから怒ったのよね」
「そうだな」
「登生の前では喧嘩をしないって、約束だったのにね」
「ああ」
淳之介さんも登生の前で喧嘩してしまったことに落ち込んでいるようだ。
確かに、大人としての配慮が足りなかったと思う。
でも、あの状況では黙っていられるはずがない。
淳之介さんの言うことはちぐはぐすぎるんだもの。
「なあ璃子、俺の話を聞いてくれないか?」
さすがにこのままでいる訳にもいかずどうしたものかと困っていると、淳之介さんがまじめな声で話しかけてきた。
「わかりました、聞くわ」
すべて話してしまったからには何でも聞いてあげる。もう逃げない。
並んで座っている体勢から、少し向き合って私が淳之介さんの方を向いた。
淳之介さんも私の顔をまっすぐに見ながら、ゆっくりと話し出した。
***
「璃子も知っているように、俺は中野コンツェルンの息子だ。ゆくゆくはグループ企業を引き継いで行く立場にある」
「ええ、そうね」
初めはまさかと思ったけれど、住んでいるマンションも仕事もそう言われればと納得できた。
「財閥の家なんて、金があって多くの使用人がいて何の苦労もないように思うだろうけれど、実際には自由もプライベートもなくて、結構窮屈で暮らしにくいものなんだよ」
「へー」
庶民の私にはわからないけれど、世間に名前と顔が知られている分暮らしにくいことも多いのだろう。
かわいそうだなと思って頷いていると、淳之介さんは子供の頃の話を始めた。
淳之介さんのお母様はアメリカ国籍の人で、学生時代にお父様と恋愛結婚。
10代の頃から日本にいて言葉の問題は全くなかったらしいけれど、日本での暮らし自体にはなかなかなじめずに苦労したそうだ。
「特に忙しいおやじとのすれ違いもあって、俺が3歳になった頃離婚してアメリカに帰ってしまったんだ」
「そうだったのね」
小さな頃にご両親が離婚されたって聞いていたけれど、そう言うことだったのね。
「当時、俺には弟がいた。あまり体が丈夫ではなかったから外で遊ぶことはなかったが、いつも二人で家の中を走り回っていた」
「ああそれが、動物好きの弟さん」
「そう」
以前「登生のおもちゃが少ないね」って話になった時に、聞いた気がする。
「母は離婚するときに、弟の|玄次郎《げんじろう》だけを連れて家を出たんだ」
「え?」
自分でも表情が固まったのがわかった。
「そう、俺は母に捨てられた」
どこか投げやりに聞こえる淳之介さんの言葉に、返す言葉が見つからない。
***
「今思い出しても、当時の俺はかわいくない子供だったよ」
懐かしそうで、でも寂しそうな淳之介さん。
そりゃあね、自分は母親に捨てられたと思っていればへそ曲がりにだってなるだろう。
「森先生からも、小さい頃はやんちゃだったって聞きました」
「先生、璃子にそんなこと言ったのか」
自分で言い出したくせに恥ずかしそうな顔。
「でも、お母様だって、好きで淳之介さんを置いて行ったんじゃないと思うわ」
子供と離れるのって、身を裂かれるように辛いものだから。お母様もきっと辛かったと思う。
今登生を育てている立場から、どうしてもそう伝えたかった。
「そうだな、子供の頃には恨んだこともあったが、大人になった今は理解している。中野コンツェルンにはどうしても跡取りが必要だった。離婚したからと言って子供を2人とも連れて行くことは許されなかったんだろう。俺がおやじの立場だったとしても、同じように求めただろうと思うよ」
やはり淳之介さんはちゃんとわかっていた。
そのことにホッとした。
***
「それで、璃子が見せてくれた写真なんだが、あそこに写っていたのは、3歳で生き別れた俺の弟の玄次郎だよ」
「えぇ?」
「双子だから、他人が見たって区別がつかないはずだ」
「え、でも・・・」
まさか話がこんな風に繋がって行くとは思っていなくて、理解が追い付かない。
「3歳で別れてから20年以上、弟とは全く連絡をとっていなかった。でも、登生の外見とハワイで生まれたってことを聞いてもしかしたらと調べてみた」
だから、登生が生まれた時のことを気にしていたんだ。
「じゃあ登生は、」
「俺の甥にあたる」
「それじゃあ・・・」
登生は淳之介さんの子供じゃない。
淳之介さんは嘘なんてついていなかった。
ポロポロと目から涙が流れ落ちる。
今まで張りつめていたものが溢れ出したように、私は泣き続けた。
***
涙を流し続ける私を淳之介さんがそっと抱きしめる。
「心配をかけたな」
「ううん」
謎が解けてよかった。
その後、ハワイに出向になった姉が現地で弟さんと出会い恋に落ちて登生が生まれたことと、もともと体が弱かった弟さんが登生の誕生と入れ違うように病気で亡くなったことを教えてもらった。
「登生の両親は2人とも亡くなったのね」
あんなに小さいのに、両親とも死別なんてかわいそう。
「そうだな。でも、登生には俺と璃子がいるじゃないか」
「そうね」
私たちが家族になればいいのよね。
ん?
「でも待って、メグさんはどうするの?」
彼女のことをすっかり忘れていた。
「どうして今その名前がでてくるんだ?」
「だって、2人は付き合っているのよね?」
「はあ?」
今度は淳之介さんの声が大きくなった。
「だってほら、ホテルに入って行く所の写真もあるし、このマンションにも出入りしているし」
「それは、璃子が入院しているから登生の世話を頼んだだけで。ホテルにだって用事があったから行っただけだ」
「それって付き合ってるってことでしょ?」
わざわざ女性が泊っている部屋に行く用事なんて、他にないでしょう?
はあぁー。
淳之介さんから聞こえてきた大きなため息。
「ねえ璃子、彼女は俺の母さんだよ」
「ええぇー」
口を開けたまま、淳之介さんを見た。
「若く見えるが、50は過ぎている」
「・・・嘘」
信じられない。
***
淳之介さんとの答え合わせが終わりリビングに戻ると、美味しそうな料理が並んでいた。
「ちゃんと仲直りしたのね?」
淳之介さんを睨みながら聞いてきたメグさんに、
「ああ」
淳之介さんのぶっきらぼうな返事。
「すみません。ご心配をかけました」
私はちゃんと頭を下げた。
「そうね、子供の前でのケンカはダメよ」
「はい」
こうやって話すと、やはりメグさんはお母さんだ。
淳之介さんの恋人と間違えていたなんて、恥ずかしい。
「昔、子供達が喧嘩をするとプレイルームに入れて『仲直りするまで出てくるんじゃありません』って叱っていたのよ」
フフフと笑ってみせるメグさん。いや、お母様。
そうか、そうやって淳之介さんは育てられたんだ。
当時の淳之介さんはきっとかわいかったんだろうな。
「メグちゃん、おなかすいた」
「ああ、そうね。ご飯にしましょ」
肉じゃがと、エビフライと、マカロニサラダと、お味噌汁。
すべてお母様の手作りらしいけれど、みんな美味しそう。
「ほら、2人とも座って」
「「いただきます」」
4人で食卓を囲み、私はやっと家に帰って来たんだなと実感した。
***
「お母さまは登生や姉のことをご存じだったんですか?」
夕食が終わり、登生の寝かしつけも終わった後で聞いてみた。
「ええ。とは言っても息子の玄次郎の葬儀の時に一度会っただけなのよ」
「そうですか」
離婚後気候のいいハワイに移住して暮らしていたお母様と玄次郎さん。成人までは一緒に暮らしていたそうだが、その後は玄次郎さんも独立し、別々に暮らしていたらしい。
「俺が、玄次郎の死を知ったのも最近だ」
悔しそうに唇をかむ淳之介さん。
「私だって、付き合っていた人がいたのを知ったのも、子供までいると知ったのも亡くなった後」
「その時にでも俺に知らせてくれればよかったじゃないか」
確かにそうすれば、今とは違う状況になっていたのかもしれない。
「亡くなる直前、玄次郎は『子供のことは、中野本家には伝えないでほしい。この先のことは茉子の望むようにさせてほしい』そう頼んでいたらしいわ」
「あいつ・・・」
ギリッ。
淳之介さんから、奥歯を噛み締める音が聞こえてきた。
***
「玄次郎はいつも淳之介のことを気にしていたわ。本社ではなく子会社の中野商事から自分の力で上がって行こうとする淳之介を『さすが兄貴だ』と褒めていた。きっと、思うように動けない自分の体がもどかしかっただろうけれどそれを外に見せないくらい強い精神力を持った子だったわ」
同じ遺伝子を持ち、ともに生まれてきた双子の兄弟。
活躍する兄の姿を見るたびに、悔しさも焦りもあったに違いない。
それでも、自分らしく人生を全うした玄次郎さんを立派だと思う。
そんな人を好きになった姉を誇らしくも思う。
「親父たちは本当に知らなかったのか?」
それでも淳之介さんは不満そう。
確かに、姉は中野商事に勤務していたわけで、調べればわかりそうなもの。
「もちろん、玄次郎が亡くなったことはお父様にも連絡したけれど、茉子さんと登生のことは、私とハワイ支社長しか知らないわ」
なるほど、ハワイ支社長が手配したのか。
そう言えば、「ハワイでは支社長秘書だった」って荒屋さんが言っていた。
きっと帰国の時の手配もその人がしたのね。
「すべては玄次郎と茉子さんの意志だったのよ」
葬儀の後も「子供は私が育てます」そう言った姉の意志を尊重して、中野本家に登生のことが伝わることはなかった。
「せめて俺に知らせてくれれば、こんなことにはならなかったのに」
それでも、淳之介さんはブツブツと言い続ける。
***
「それで、あなたたちはこれからどうするつもりなの?」
「どうするって・・・」
淳之介さんが登生の父親でないことがわかり、登生の実の父親が誰なのかもはっきりした今、これからは登生と淳之介さんと自分のことだけを考えていればいいように思える。
でも、お母様から姉と玄次郎さんの思いを聞いてしまった私と淳之介さんは素直に安堵することができない。
「あなたたちが登生を引き取るって言うなら反対はしないわ。もちろん、璃子さんが一人で育てるつもりなら応援もする。でも、迷っているのなら私に託してもらえないかしら?」
「お母さまに?」
「ええ、幸い私はまだ元気だし、日本よりも海外の方が自由にのびのび育ててやれると思うのよ」
「それは、まあ」
そうかもしれない。
私が一人で登生を育てるとなると、経済的に裕福とは言えない。
仕事にも出ないといけないから、寂しい思いをさせることもあるだろう。
だからと言って、中野本家の子供として育てられることの窮屈さを知っている淳之介さんには迷う気持ちもあるはず。
どちらにしても、簡単に答えは出ない。
「来月まで日本にいるつもりだから、それまでに答えを出してちょうだい」
お母様は私たちの出した結論に従うからと言ってくださった。