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「遥、どんな様子?」
電話を切った私に高野君が聞いてきた。
「うーん、参ってはいるけれど、まだ何とか持ちこたえているって感じ」
きっと本心では、かなりつらいんだろうと思う。
「遥は俺と違って外にあたったりしないからな」
「え?」
「正反対ってそういう意味だろ?」
「それは、」
昨日1日連絡が取れなかったことを注意され、朝からデスクの上に並べられた私の携帯。
遥からの着信にも高野君が気づいてくれて、結果的に専務室の高野君の前で遥と通話をすることになってしまった。
当然内容は筒抜けになるわけで・・・
「大体さあ、何で遥は『遥』って呼ぶのに、俺は『高野君』なの?」
「それは、」
「俺のことも名前で呼んで」
「でも、遥だって仕事の時は『専務』って呼んでいるし、」
いきなり名前で呼べって言われても・・・
「じゃあ、2人の時は名前で呼んでよ」
「えぇー」
「遥も雪丸さんも呼び捨てじゃないか」
「それは、そうだけれど」
「ほら」
「えっと・・・空?」
うわ、すごく恥ずかしい。
なぜだろう高野君のペースで話が進んでいく。
この人こう見えて、案外策士で駆け引き上手かもしれない。
私、もしかして、まずい人につかまったのかも。
***
昼食会場へ向かう車の中でも、空の愚痴は続いていた。
「どうせなら遥の秘書じゃなくて俺の秘書になってくれればいいのに」
「そんなぁ、私は平石建設の人間ですからね」
遥や空みたいに簡単に出向なんてできない。
「ずるいよな、遥はいっつも礼といるんだから」
「もう」
いい加減にしてと語気を強めてしまった。
空って、やっぱりうちの社長に似ていると思う。
本人は『おじさん』なんて言っているけれど、その言動も、軽さも、仕事になった途端に入るスイッチも社長と一緒。
やっぱり親子なのよねと、つくづく思う。
まあ、これを空に言うと怒るんだろうけれどね。
「あの、お渡しした資料は目を通していただきましたか?」
もうすぐ昼食会場に到着となった時、同乗していた雪丸もさすがに心配そうな声をかけた。
非常事態だと空自身が言っている割に、緊張感がなさすぎる。
「大丈夫、仕事はきちんとしますよ」
空のことだからそつなくこなすんだろうけれど、少し不安になってきた。
***
「では、よろしくお願いします」
昼食会場として用意されたのは都内の高級料亭。
広いお座敷の末席に私の席も用意されていた。
もうすぐ視察団も到着ということで、空と雪丸も玄関でお迎えの体制。
私も空の後ろに控えて一行を待つこととなった。
さっきまであんなにかる口をたたき子供っぽくさえ感じる態度だった空も、引き締まった顔でビジネスモード。
ああ、これがこの人の本気なんだと思える精悍な顔つきになっている。
それからほどなく、うちの営業担当数人の案内で到着した車から降りてきたアメリカ人は5人。
今回契約を考えている会社の上層部の人だと聞いている。
〈お久しぶりです。お待ちしておりました〉
空が英語で話しかける。
〈やあ、高野さん。久しぶり〉
相手も空のことがわかるらしく、にこやかに挨拶を返す。
よかった、いい感じ。
この調子なら上手くいきそう。
「どうぞ、ご案内いたします」
おかみさんの声がかかり、一行は料亭の中へと進んでいった。
***
予想通り、昼食会は順調だった。
他愛もない雑談をしながら、相手の要望も聞きだしつつ、にこやかに食事が進んでいく。
本当に、こういう時の空はとっても有能だと思う。
今まで一緒に接待の席に着いたことは多くないし、その時は営業部の一社員としてだったから器用にこなす子だなくらいにしか思わなかったけれど、こうやって会社を代表する立場で振る舞う空の言動は貫禄すら感じるもの。
社長が強引にでも会社を継がせたいと思う気持ちも理解できる。
社長の息子のような存在だってことを抜きにしてでも、空には人の上に立ち会社を引っ張て行くだけの能力がある。
将来有望で、キラキラしていて、誰もがうらやむ王子さま。
とてもじゃないけれど、子持ちのアラサー女の相手になるような人ではない。
ん?
考え事をしていた私は、視線を感じて顔を上げた。
何か言いたそうに私を見る空。
何かあるのかもしれないと、私は空の背後に近づいた。
「何か?」
「食事が進まないようだね。体調が悪い?」
「はあ?」
嘘でしょ。
この状況で、そんな用事で、私を呼んだの?
「気分が悪いようなら下がっていてもいいよ」
「大丈夫です」
「本当に?」
「他に御用はございませんか?」
「うん」
あぁー、もう。
できることならここで叫びたい。
でも、今は我慢、我慢。
何とか今日1日を乗り越えないと。
***
会食も、午後の視察もとても順調に進んだ。
雪丸の案内も、空の説明もスムーズで、終始和やかな雰囲気。
このままいけばいい話になるのかもと、私にも思えるくらいだった。
ただ、一つ。
空の予想が当たったというか、私の体調が悪くなってしまった。
空が指摘したとおり、昼食会の時から食事が喉を通らなかった。
午後からは頭痛もしてきて食事を食べられないまま鎮痛剤を飲んだ。
きっとそれがいけなかったんだと思う。
視察も順調に進み『後は夜の会食だけ』そう思い気が緩んだ途端、めまいを感じてしまった。
もともと疲れがたまるとめまいが出る体質だし、昨日の夜はほとんど寝れてないし、仕方がないとは思う。それでも今日はやるしかなかった。
だから、もう少しだけ頑張ろう。
私はできるだけ自然に空から離れ、雪丸の側について歩くことにした。
この体調不良が空にバレれば、大騒ぎになりそうで怖かった。
もう少し、あと少し、これが終われば家に帰れるから。
心の中で何度も繰り返し必死に仕事をこなした。
「「ありがとうございました」」
社長以下偉い人たちが並んで一行をお見送り。
もちろんその中には空もいる。
一行の乗ったタクシーが見えなくなるまで見送って、やっと今日の仕事が終わった。
***
はあぁー。
終わった。
よかった、無事に終わった。
私はホッとして気が抜けてしまった。
ガタンッ。
さっきまで何とか立っていたのに足の力が入らなくなって、よろけて壁にぶつかった。
「おい、大丈夫か?」
近くにいた雪丸が支えてくれて倒れずに済んだけれど、もう力が入らない。
「ごめん、大丈夫だから」
これで家に帰れる、その思いしかない。
とにかく頭が痛くて、めまいがして、意識を保っているのがやっと。
それでも無事に終わったことの達成感で踏ん張っていた。
「すみません、こちらでもらいますから」
聞き覚えのある声が耳元で聞こえる。
あっ。
色々と考えを巡らせていると体の浮く感覚。
「いいからじっとしていろ」
これは・・・空の声。
それも相当機嫌が悪い時の。
「ごめんね」
本当なら自分の足で歩きたい。
でも、今はできそうにない。
悔しいけれど、空に抱えられたまま私は意識を手放した。
***
「何で黙っていた?」
え?
声をかけられたのは車の中。
雪丸が手配してくれた車の後部座席に寝かされ、頭は空の膝に乗っている。
ゆっくりと目を開けると、まっすぐ私を見下ろす空の視線とぶつかった。
「具合が悪い自覚がなかったわけじゃないよな?」
「ぅ、うん」
午後から眩暈がしていたし、体もつらかった。
「具合が悪いならなんで言わない?」
「だって・・・」
今日は非常事態だったじゃない。
「これじゃあ、大地と変わらないぞ」
「そんなぁ・・・」
私はただ、今日の視察を無事に終わらせたかっただけ。
たとえ自分が無理をしてでも会社のために尽力したかった。
それ以外の意図はない。
「心配する人間がいるって考えたか?」
「それは・・・」
「心配する大地や俺の気持ちをわかっていてそんな行動をしたんなら」
「もしそうなら?」
一体どうだって言うのよ。
「きっちり反省してもらうまでだ」
「はあ?」
何を言っているんだろうこの人。
それとも、私の耳がどうかしたんだろうか?
「とにかく帰ろう。話は帰ってからだ。今はゆっくり休め」
優しく頭をなでられ、瞼が重たくなって、私は再び目を閉じてしまった。
***
昨日一日無理をして倒れてしまった私は、空に抱えられて自宅に帰ってきた。
その時のことは眠っていて覚えていないけれど、どうやら着替えさせてもらってベットに寝かされたらしい。
朝、いつもの時間に目が覚めると台所からいい匂いがして、まだふらつく体を引きずるように私は台所に向かった。
「おはよう」
昨日送ってもらったのはわかっていたけれど、まさか部屋にいるとは思っていなくて驚いた。
「何しているの、まだ顔色も悪いのに。寝てないとダメじゃないか」
「大丈夫、もう」
平気だよと言おうとしたのに、
「ダーメ」
何のためらいもなく抱えあげられてしまった。
「ちょ、ちょっと」
「いいからじっとしてろ」
いや、でも、
「お願い降ろして」
これは恥ずかしすぎる。
「もうすぐご飯だから、おとなしく寝てて。また起き出したら何度でも連れ戻すからな」
「だから・・・」
困ったなあ、こんな時どうしたらいいんだかわからない。
***
「大地、お母さん具合悪いから学校の準備自分でしろよ」
「え、お母さん大丈夫?」
「ああ。具合悪いのに無理するから、寝込んでる。今日は一日お休みさせるから、お前は自分で自分のことをするんだぞ」
「うん、わかった」
リビングから聞こえてくる2人の会話。
不思議だな、とっても幸せな気分になって、涙が浮かんだ。
マズイ、私弱っているかも。
「あれ、大地何してるの?」
「うん、宿題」
ああ、大地。
思わず声が出そうになった。
いつも私が声をかけないと宿題をしないから、昨日は終わっていなかったんだ。
「どうして今?」
「だって、」
「だって?」
「お母さんが」
「お母さんは関係ないだろ、お前の宿題だぞ」
「でも・・・」
普段から大地はなかなか宿題をしない。
別に勉強が嫌いなわけでもわからなくて出来ないわけでもない。どちらかというとわかるからやる気にならない感じ。
ダメだよと何度注意してもいつも口答えするのに、
「いいから、とにかく終わらせろ」
「はーい」
今日は素直だな。
***
「終わった」
5分もたたず大地が声を上げた。
「やればすぐに終わるじゃないか」
「まあね」
「バカ、ほめてない。今度宿題してなかったらゲーム禁止な」
「はあ?」
「当たり前だろ、俺やお母さんが仕事をするようにお前にとっては勉強が仕事なんだから、やるべきことはやれ」
大地の返事は聞こえてこない。きっとむくれているんだろうな。
「返事は?」
「はぁい」
うわ、空強い。
私だとけんかになって終わりなのに。
「お母さんに確認するからな」
「わかっ・・・てます」
フフフ。
大地がかわいい。
お父さんがいない大地は、こんな風に叱られることをどう思っているんだろうか。
本当は、こうやって育ててあげないとダメなんだよね。
私一人だとつい感情的になりがちだから。
「ほら大地、時間大丈夫か?」
「ああ、行ってきまーす」
駆け出していく大地の足音。
この幸せに慣れてはだめだと思いながら、朝から幸福な気分になってしまった。
***
私は肉親の愛情を感じることなく育った。
誰かに守られた記憶もない。
唯一家族を感じることができたのは平石家にいた2年間。
そこで、私は愛されるってことと愛するってことを教えてもらった。
平石のおじさまもおばさまも実の子のように私を愛してくださったし、大地のこともかわいがってくださった。
お二人を見て、ああ自分も大地のことを大切に愛していこうと決心した。
けれど、自分が大地を愛することと、誰かに守られることは勝手が違う。
「ダメだよ、もう一口」
「もう・・・無理」
昨日のお昼から何も口にしていない私は何か食べないといけないんだと思う。
目の前に並べられた朝食もおいしそうで、普段なら喜んで食べられただろう。
でも、今はまだ食欲がなくて・・・
「ほら、フルーツだけでもいいからもう少し食べて」
どこから持ってきたのか、桃缶を器に入れてきた空が一口サイズにカットしてフォークで口元まで運んでくれる。
「ねえ、恥ずかしいんだけど」
さすがに、あーんなんて出来ない。
「仕方ないでしょ、自分で食べないんだから」
「だって」
「ほら」
・・・パクン。
あれ、美味しい。
ククク。
空が笑っている。
***
「ねえ、もうからかうのはやめて。私は誰とも恋をする気はないの」
大地のために生きるって決めたんだから。
「俺は、君をあきらめる気はないよ」
「だからそれが、」
迷惑なのよと言いかけた口を
うぅっ。
空の唇に塞がれた。
必死に離れようとするけれど、ピクリとも動かない。
そのうちギュッと抱きしめられて、私の力が抜けていった。
「ひどい」
やっと離れた空に恨み言を言ってみる。
「俺は、本気だ」
「だからって」
こんなやり方は卑怯。
「もう恋をしないなんて理由で振られるのは納得できない。俺を見て、知って、そのうえで好きになれないなら仕方がないけれど、初めから逃げるのはなしだ」
「空」
「お願いだから、ちゃんと俺を見て」
悲しそうな目で私を見る空がゆっくりと近づいてきて、
チュッ。
もう一度唇が重なった。
なぜだろう、私も抵抗しなかった。
開けられた唇の隙間から、お互いの温かさが流れ込んでくる感覚。
心の奥にしまい込んでいた感情がチクチクと胸に刺さる。
こんな気持ちになったのはいつぶりだろう。
もう感じることのない気持ちだと思っていたのに・・・
きっと今の私はものすごく弱っていて、だから空を受け入れてしまった。
元気になればいつもの自分に戻れると言い聞かせた。