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1994年5月10日、イリノイ州シカゴで、僕は生まれた
僕のお父さんはくしゃくしゃの髪の毛に丸いメガネ、顔はほっそりと長く、全体的にみて痩せ型だ、
お母さんも、お父さんと同じく痩せ型、金色の髪と快晴よりももっともっと綺麗な蒼の目を待っている人だった、
けれども、2人には子供が生まれず、30後半になってようやく授かった子供が僕だった、そんな僕に親は、
『神は恵み深い』と思い、僕に『John』と名付けた、
これは僕が、お母さんから聞いた、『神は恵み深い』だ、なんてよくいうよ。母さんや父さんからしたら、僕は恵み深い子なのかもしれない、でも僕は違った、僕は、
生まれつき、色が見えないんだ、
全盲の人とはまた一つ違う、景色は見えるし、物の輪郭もはっきりわかる、だけれども、あと一つが足りない。
僕は、超重度の”色盲”患者なんだ、生まれつき白と黒の色しかない、色の明暗や濃淡で、灰色だったりにはなるが、本当にそれだけ。
物心ついた時からそうだからみんなそうなのだろうと思っていた、初めはこれが普通だと思っていた、
でも、それは外界の世界に触れるまで….
僕はまだ、他人と出会ったことがなかった。
4歳の時、僕は幼稚園に入った、初めて見る外の世界と、知らない人々に、僕の感情は昂った。はじめての自分と同い年の”友達”というものを作れたんだ、
みんな初めてで緊張していて、それでも、どんどんみんなと仲良くなっていって、次第に僕はみんなと仲良くなった。
僕はお絵描きが好きだった、ずっと1人で絵を描いているのが好きだったんだ。
でも、ある日、みんなでお絵描きをするという遊びをしていた、みんなで好きな絵を描いて、一斉に見せ合うっていう遊びだ。
僕もお絵描きをするのは好きだったから、その遊びに混ぜてもらった。
その時言われた言葉は今でも覚えている。
『ねーねー』
『どうしたの?』
『ジョン君って、なんでこんな変な”色”ばかり使っているの?』
『え?どういう意味?、なにもおかしくないよ』
そう怪訝な表情で返したら、
『ふぅん、ジョンくんって変なの』
何年経っても、この言葉だけはずっと心に残り続けている、自分は普通とはかけ離れている、僕は普通の人じゃないんだって。
それで僕は聞いたんだ、
『色ってなぁに?』
“color”という単語は、親がたまに使っていたりするから、存在自体は知っていた、そして、それは概念的なものであることも、なんとなくわかっていた、でもどういうものなのかは僕にはわからなかった。
『へぇー知らないんだ!じゃあ、私が教えてあげるね!』
女の子の友達だった、とても明るい子だったんだ。
その子には赤色と青色、他にもたくさんの色をその日は教えてもらった、僕には色の違いはわからない、全部同じ色に見えた、わからないっていうたびに不満そうに彼女はしていた、でも、彼女は、僕に色を教えてくれる時に、
“Beautiful”とか、”Emotional”って感じで表現してくれたんだ、これだけたくさん色について語れるんだよ、
きっと、”色”って綺麗なんだろうな。
でも、人って醜いよね、綺麗なんだ、っていうふうには思うんだ、けれどね、
僕も見たい、なんで見れないんだろう、羨ましいって気持ちが勝っちゃうんだから。
でも、そんな綺麗な色が見たいって思ったから、僕は聞いたんだ
『綺麗なものってなぁに?』
そしたら、彼女は満面の笑みでこう答えてくれた。
『お花さんは、きれいでかわいくて、とーってもすてきなんだよ!』
と、言ってくれた
だから僕はお母さんに、
『お庭にお花さんを植えたら、綺麗だし、かわいいよ!』
って、お母さんを説得して花を植えた、庭一面に咲くように、
その時の作業は今でも覚えている、希望に満ち溢れていた、綺麗なものだ庭一面に見れる、僕はワクワクと楽しみで溢れかえっていた
冬を超えて、春になると、たくさんの花が咲いていた、庭一面に咲くたくさんの。けれど….
きれいには程遠く、かわいくには程遠く、すてきにも程遠い、まるで、戦争を写したフォトグラフのように、無感情で哀れみ深い、限りない灰色だけが映っていた、
毎年のように春を楽しみにしていた、それでも、僕の目に灰色以外が映ることはなかった。
僕は、とっても悲しかったんだ。
やがて月日は経ち、僕は地元の小学校に通い始めた、新しい友達に、新しいお勉強、新しい物事に触れる楽しさがあった、でも、それも灰色の無感情に塗りつぶされていった
美獣の授業で、こんなエピソードがあった。
『この色が何色かわかる人〜』
先生が黒板を指して、生徒たちに質問をする。
当然、みんなからすれば簡単な質問だ、だから、僕も私もと、たくさんの人が手を挙げる。
僕1人を除いて
手を上げない、これは授業に参加する気がないと言っているのと同じだ、それに少し腹が立ったのだろう、先生は、
『ジョン君、この色が何色かわかりますか?』
『え、』
手を挙げていないのに、先生に名前を指名された、でも答えられない、僕には色が見えないから、だから先生に向かってこう言ったのだ。
『あの..その、…..わかりません……』
それを、授業にやる気のない姿勢と勘違いしたのか、それを聞いた瞬間、先生は僕に対して怒鳴り声をあげた。
『わからないじゃないでしょう!簡単な質問をしているんです、誰でも答えられるような質問です、ふざけているのですか?授業を受ける気がないなら、教室から出ていってください‼️』
そう言われ、僕は美術室を追い出された、そのことは両親にも伝わり、僕はお父さんに怒られた
その日からだ、あんなに大好きだったお絵描きが嫌いになったんだ。
そしてその日から色がわからない(COLORLESS)というあだ名がついた、そして僕は、
いじめられるようになった
そんなことが続き、小学校に通い始めて半年が経った頃、僕は、
無感情になった。
色が見れない、永遠の灰色、周りにはあって、僕にだけはないもの、みんなからはいじめられらようになった、大好きだったお絵描きも嫌いになった。
僕の目は色も感情も表情も映さない、そんな環境で僕の感情は、心は、どんどん息吹を上げなくなった
流石にそんな様子の僕を、父さんと母さんは心配したのだろう、僕を病院に連れて行ってくれた、そこで僕の体を、詳しく調べてもらったんだ、そしたら、お医者さんにこう言われた
『ジョン君は、超重度の色盲症です、』
BLINDLESS(光が無い)
お医者さんが言うには、僕は生まれつき黒と白の色しか見れない、それらのの濃淡、明暗でしか色を判別できない、普通の人は色鉛筆で景色を描けるのを、僕は黒の鉛筆だけでしか世界を描けないらしい。
僕はそれを聞いて納得した、病気だったんだ、
みんなは普通の人間だから色が見える、僕は異常な人間だから色が見えない、僕は普通じゃない、
その頃から、ぼくは自分は、普通の人間ではないんだと思い始めるようになったんだ
家に帰る、もう夜の遅い時間だった、明日も学校に行く。
いじめられるために
人が群れるところには必ずいじめが起きる、それは動物社会でもおんなじことだ、どんな動物でも、集団行動をすれば、いじめられる個体が現れる。
つまり、人間が人間を虐めることは至極当然のことで有り、それは、集団行動をして進化を続けてきた人間の本能なんだ、
これを僕は小学生ながら理解してしまった
僕は普通の人間のしての本能を持つ”いじめる側”じゃなくて、”いじめられる側”にあぶれてしまったんだ、
生まれる前から決まっていたのかもしれない、
カルヴァンの教えってみんなは知ってるのかな、この世界は全てが神が未来も含め、全て予定しているのだと、どんなことが起こるのかは、もう既に決まっていることだと、
悲しいよね、
ババ抜きでジョーカーを引いたのは僕だった、それは生まれる前から決まっている、どうしようもない事実
その日は寝付けなかった、
お父さんはやっと生まれた1人息子が重度のハンディ持ちであること、そして、今までそれにずっと気づかなかったこと、寄り添えなかったことを悔やんだ、
お母さんは、大切な一人息子を、不自由のない体に産んでやるといる、当たり前であり、”普通である”ことを悔やんだ
両親共々、その夜はずっと悔やみ悔やみ、僕に懺悔の言葉を呟きながら啜り泣いていた。