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✧≡≡ FILE_021: 父親 ≡≡✧
公園の滑り台の下で、少年──キリスは膝を抱えていた。
「……うっ……ひっ……」
涙を止めようと思っても止まらない。
泣き声を聞かれたくなくて、誰もいない場所を選んだつもりだったのに、それでも胸の奥が熱すぎて、声が漏れる。
父親が──嫌いだった。
研究ばかりで、家にいない。
たまに帰ってきたと思ったら、数秒も目を合わせない。
「あとにしてくれ」「今忙しい」
その言葉を繰り返すだけで、キリスの話など一度も最後まで聞いてくれなかった。
今日もそうだった。
久しぶりに帰宅した父に、勇気を出して声をかけた。
“ねえ、パパ、今日ね──”
話の半分も終わらないうちに、父はため息をつき、
「すまない、今はだめだ」
そう言って、また自室へ消えた。
そして数分後、“原子力技術者”である父は、いつものように無言で家を出た。
玄関が閉まる音が、何よりも冷たかった。
だからキリスは怒りに任せて家を飛び出した。
怒りか悲しみか、自分でも分からないものに押されるまま、公園で泣き続けていたのだ。
「……キリス!」
名前を呼ばれ、顔を上げる。
夕闇の中を走ってくる影。
母だった。
息を切らし、手には薄手のカーディガンを握っている。
心配の色が、そのまま表情になっていた。
「こんなところにいたの……。探したんだから」
近づく母の声を聞いた瞬間、キリスの胸の奥が、針で刺されたように痛んだ。
「……ママ……」
泣き声が零れると、母はすぐそばまで駆け寄り、しゃがんでキリスを抱きしめた。
温かかった。
父の無機質な背中とは違う、確かな体温だった。
「どうしたの? ねえ、何があったの」
しばらく言葉が出なくて、喉がつまる。
やっと漏れた言葉は小さかった。
「……パパら今日も……話、きいてくれなくて……っ……」
母は驚きも叱りもしなかった。
ただ、背をゆっくり撫でただけだった。
「そう……つらかったわね」
優しく言われるほど、涙が止まらなくなる。
「ねえ、帰ろう。今日はママがあなたの話、全部聞くから」
キリスは首を振った。
「パパ……嫌い……いつも、研究ばっかで……!」
吐き出した瞬間、胸の奥のつかえが少しだけ軽くなった。
母は否定せず、ただ静かに抱きしめた。
「……キリス。そう思うのは悪いことじゃないわ。ただ、寂しかったんだもんね」
その言葉が、涙の堰をまた少し崩した。
しばらく鼻をすすっていたが──
やがて、涙の合間に震える声で言った。
「……ぼく……大きくなったら……」
母が顔を上げる。
「大きくなったら、ぼく……絶対……あんな大人にはならない」
「……キリス?」
「だって……! 子どもの話も聞かないで……帰ってきても、ずっと何かの紙ばっか見てて……“あとにしてくれ”って……ぼく、あれほんと嫌い……!」
言葉が震える。
悔しさとも、寂しさともつかない感情の塊が胸で暴れていた。
「ぼくは……子どもを見捨てる父親にはならない。ちゃんと、話きく。ぎゅーってして、“優しいお父さん”になる……!」
幼い声はまっすぐだった。
世界をまだ知らないからこその純粋さが、痛いほど胸に刺さる。
母はそっと微笑んだ。
涙を隠すように、キリスの髪を撫でる。
「……きっとなれるわ。あなたは、誰より優しい子だもの」
その言葉が嬉しくて、キリスはぎゅっと母に抱きついた。
──このとき、彼はまだ知らなかった。
父が“研究ばかり”だった理由も、その研究が後に自分の人生を変えてしまうことも。
ただ、幼い心のままに願ったのだ。
“優しい父親になりたい”と。
母は涙を悟られないように一度だけ瞬きをし、そっとキリスの手を取った。
「……帰ろう。今日はあなたの好きなスープを作るわ」
「……………」
キリスは唇を噛んだ後、そっと母の指をぎゅっと握る。
さっきまで泣きじゃくっていたとは思えない、幼い無邪気さが戻りつつあった。
「……うん」
二人は並んで歩き出す。
夕暮れの公園を出て、家へ向かう細い道。
風の匂いは、まだ静かな“いつもの日常”のものだった。
しばらく歩いたあと、ママがふと口を開いた。
「……ねえ、キリス。パパのこと、少し話してもいい?」
キリスは少しだけむっとした顔で、けれど頷いた。
「……うん。聞く」
ママは歩調を落とし、ゆっくり言った。
「パパはね……原子力の技術者なの。国でも数えるほどしかいない“原子炉主任技術者”よ。とても難しい資格で……何年も勉強して、やっとなれる人なの」
キリスは瞬きをした。
“むずかしい仕事”という程度の理解しかできない年齢だが、ママの声の“誇り”だけは分かった。
「すごいの……?」
「ええ。とてもすごいわ。パパが扱っているのは、街ひとつを動かせるエネルギーなの。危険でもあるけれど……だからこそ、あの人はいつも必死で守っているのよ。“誰にも傷ついてほしくない”って、そういう人なの」
キリスは母の手を見つめた。
自分の手より大きく、あたたかくて、少し震えている。
「でも……ぼくのことは……?」
その言葉に、母は少しだけ目を伏せた。
「キリス。パパはね……あなたのことを、とても大事に思ってるのよ。本当は、あなたと一緒にいたい。でも──」
そこで言葉が途切れた。
“でも”の先にあるものが、幼い子には重すぎるから。
「……仕事を、やめられないの。もし、パパが“少しだけ気を抜いたら”……大勢の人が困る。傷ついてしまう。そういう場所で働いているの」
キリスは、言われてもすべてを理解はできない。
けれど、“父がただ冷たいわけではない”──
その一点だけは胸に落ちた。
「……じゃあ……パパがんばってるの?」
「ええ。とても」
そのまま二人は手を繋いで歩き出す。
夕方の空気は冷たく、街灯がひとつ、またひとつ灯りはじめていた。
──そのときだった。
ママの足が、ふいに止まった。
白いものが、空からちらちらと落ちてきていた。
季節外れの雪……ではない。
ママの表情が、一瞬で強張る。
「……嘘……」
キリスは嬉しそうに手を伸ばした。
「わあ……ゆきだ! ほら、触れ──」
「触っちゃだめ!!」
ママの声は、今まで聞いたことがないほど鋭かった。
キリスは驚いて足を止める。
ママは息を呑みながら、上空を見つめていた。
白い“粉”は風に乗り、絶えず舞い続ける。
しばらくして、ママは震える手で自分のカーディガンを脱いだ。
そして、ためらいなくキリスの肩に掛ける。
「走るわよ、ついてきて」
言葉の強さは平常を装っていたが、その焦りは隠せていなかった。
母はキリスの手を強く握り、走り出す。
目指すは、すぐ近くの歩行者用トンネルだった。
両側の入口から風が吹き抜けない場所を選べば、まだ粉の侵入を防げる——そう判断したのだ。
トンネルの中央付近。
ママはようやく立ち止まり、深く息をついた。
「ここなら……大丈夫……少しは……」
キリスはカーディガンの袖を握りしめて震えていた。
「ねえ、ママ……これ、ほんとに雪じゃないの……?」
「雪じゃない。……絶対に、触っちゃだめ」
母の声は落ち着いているようで、どこか空回りしていた。
呼吸が速い。脈も早い。肩が上下している。
二人はしばらくトンネルの中央にとどまり、
外を吹く風の音を聞いていた。
それから、15分後──
15分という時間が、本来こんなにも長いものだっただろうか。
あつい。
なんで、こんなに……あついの。
さっきまで外は寒かったのに、トンネルの中はひんやりしてたのに、ぼくの体だけが、ぐらぐら、ゆれてるみたいにあつい。
胸の奥がチクってして、息を吸うと、のどが痛い。なんか、空気が重い。むねの中に、熱い石が入ってるみたい。
「……ママ……?」
声を出したのに、自分の声が、自分の声じゃないみたいにかすれてる。
あつい、あつい、あつい。
目の前がちょっと白い。
地面が、ゆれてる……?
なんで。
なんでだろう。
ぼく……なんで、こんなに……くるしいの。
ママの手、さっきより熱い。
ぎゅってしてくれてるのに、
なんでだろう、ちょっと痛い。
あつい。
息が、すうって入らない。
すうってしても、胸がつっかえて、ひりってして、くるしい。
ママ、泣いてるの?
なんで泣くの。
ねえ、なんで──
あつい、あつい、あつい。
ママの声が、とおい。
なんて言ってるのか、わかんない。
ママ、どこ?
なんで……しゃがんでるの……
いかないで。
あつい、くるしい、ママ、こわい、やだ、やだよ……ここ、いやだよ……
こわい。
息が、ひゅうってなって……
胸がぎゅうってして……
涙が出るのに、泣く力もない。
──ひかり。
まえのほうが、ぱって明るくなった。
トンネルの奥で、白い光が揺れてる。
車の……ライト?
なんでこんなところに……?
ひかりが……目にしみる……
まぶしい……
でも……あったかい?
わかんない……
全部、ぼやけてる……
もう、目……あかない……
ひかり……
ひかりが……ゆれて……
……ママ……
パパ……?