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もふもふねこ
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まなーもーど
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最後に交わした言葉「……つまり、ゾムさんは私に隠していたことがあるんですね」
静かな執務室に、エーミールの声が落ちた。
目の前にいるゾムは、いつものように笑っていなかった。
「せやから、それはちゃうって言うてるやろ」
「では、どうして私には教えてくださらなかったんですか?」
「言う必要がなかったからや」
その言葉に、エーミールの指先がぴくりと動いた。
ゾムは、言ってからしまったと思った。
けれど、一度口にした言葉は取り消せない。
「……そうですか」
エーミールは、机の上に置いていた資料をそろえた。
「わかりました。お忙しいところ、時間を取らせてしまって申し訳ありません」
「エーミール、待てや」
「失礼します」
いつもなら、もう少し話をしようとする。
納得できないことがあれば、何度でも質問してくる。
それなのに、今日のエーミールは振り返りもしなかった。
扉が閉まる。
ゾムはしばらく、その場から動けなかった。
「……あー、くそ」
頭をかきむしる。
本当は、あんな言い方をするつもりではなかった。
今回の件は、暗躍部隊が独自に進めていた調査に関わるものだった。エーミールに余計な心配をかけないため、ゾムは詳細を伏せていた。
その調査の過程で、ゾムはエーミールについて、ある話を耳にしていた。
それが気になって、どうしても確かめたかった。
だが、本人に聞く勇気が出なかった。
聞いて、もしも本当だったら。
そう考えると、いつもの余裕などどこかへ消えてしまった。
その結果が、これだった。
「……明日、ちゃんと話そ」
そうつぶやいたゾムは、まだ知らなかった。
明日が来る前に、自分が遠くへ行くことを。
そして、その明日が、二人にとってどれほど遠いものになるのかを。
*
翌朝。
我々軍の作戦会議室に、幹部たちが集まっていた。
「ゾム、今回の任務やけどな」
書記長のトントンが、一枚の書類を差し出した。
「国外での情報収集と、現地部隊の支援や。期間は一か月を予定しとる」
「了解」
「帰還予定日は一応決まっとるけど、現地の状況によっては延びる可能性もある。無理はすんなよ」
「わかっとるって」
ゾムは書類を受け取った。
そのとき、会議室の扉が開いた。
「失礼します。先日の作戦資料について、総統に確認したいことが……」
入ってきたのは、エーミールだった。
彼はゾムを見ると、一瞬だけ動きを止めた。
けれど、すぐに視線をそらし、グルッペンのもとへ歩いていく。
ゾムは、思わず立ち上がりかけた。
「エーミール、俺――」
「グルッペンさん、こちらの資料なのですが」
声をかけたものの、エーミールには届かなかった。
いや、届いていたのかもしれない。
ただ、返事をしなかっただけなのかもしれない。
ゾムは握りかけた手を開いた。
今、話しかけてもいいのだろうか。
昨日のことを謝りたい。
ちゃんと説明したい。
けれど、周囲には仲間たちがいる。
任務の出発も迫っている。
「ゾム、そろそろ準備せえよ」
トントンに声をかけられ、ゾムはうなずいた。
エーミールに背を向ける。
その背中を、エーミールは見ていた。
呼び止めようと思った。
昨日は、自分も感情的になっていた。
きっと、ゾムにも事情があったのだろう。
だから、帰ってきたら話をしよう。
ちゃんと謝ろう。
そう思ったのに。
「……いってらっしゃい」
声は、誰にも届かなかった。
ゾムが出発したあと、エーミールはしばらく会議室の扉を見つめていた。
そして、小さく息を吐いた。
「……帰ってきたら、ちゃんと話しましょうね」
その言葉が、三か月もの間、届かないままになるとは知らずに。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ゾムが出発してから、一週間。
エーミールは、いつもどおりに仕事をこなしていた。
作戦の立案、各部隊からの報告の整理、今後の戦略の検討。
軍師としての仕事に、抜かりはなかった。
ただ、少しだけ変わったことがあった。
昼食の時間になると、無意識に食堂の入口を見てしまう。
廊下を歩いていて、ゾムの声が聞こえた気がすると振り返ってしまう。
夜、執務室で一人になると、最後に交わした言葉を思い出してしまう。
――言う必要がなかったからや。
「……はぁ」
ペンを置く。
「仕事に集中しなければ」
自分に言い聞かせ、資料に目を落とした。
そんなある日のことだった。
「エミさん、ちょっとええですか?」
執務室を訪ねてきたのは、ショッピだった。
「はい。どうしました?」
「この前、ゾムさんとなんかありました?」
エーミールの手が止まる。
「……どうしてですか?」
「いや、出発前から様子おかしかったんで」
ショッピは壁にもたれた。
「ゾムさん、任務に行く前、ずっとあんたのこと気にしてましたよ」
「……私のことを?」
「はい。話しかけようとして、やめてを何回か見てました」
エーミールは黙った。
「喧嘩でもしたんですか」
「……少し、意見が合わなかっただけです」
「ふうん」
ショッピはそれ以上、追及しなかった。
ただ、帰り際にぽつりと言った。
「ゾムさん、ああ見えて、あんたに嫌われるんめっちゃ怖がってると思いますよ」
「……え?」
「本人は絶対認めへんでしょうけど」
ショッピは軽く手を振って、部屋を出ていった。
エーミールは、しばらく動けなかった。
ゾムが。
あの、いつも自信満々で、何があっても動じないような人が。
自分に嫌われることを、怖がっていた?
「……そんなはず」
ない、と言いかけて、口を閉じる。
思い返してみれば、ゾムは自分にだけ、時々ひどく不器用だった。
自分のことなら何でも笑って済ませるのに、エーミールのことになると、妙なところで意地を張る。
大切なことほど、うまく言えなくなる。
それは、エーミール自身にも覚えがあった。
「……私、何をしているんでしょう」
小さくつぶやいたとき、再び扉が開いた。
「エーミール、まだおったんか」
今度はロボロだった。
「ロボロさん。何かご用ですか?」
「いや、トントンに資料届けに来たついでや。……って、お前、なんか顔色悪ない?」
「いえ、大丈夫です」
「ほんまか?」
ロボロは椅子を引いて座った。
「ゾムのことか?」
エーミールは答えなかった。
それだけで十分だったらしい。
「……あいつ、何か言うたんか」
「少し、誤解があったようです」
「誤解?」
ロボロは首をかしげた。
「……ああ。もしかして、例の件か」
エーミールが顔を上げる。
「例の件、とは?」
ロボロは、しまったという顔をした。
「いや、あれや。ゾムが最近、妙に調べてたやつ」
「……何を調べていたんですか?」
ロボロは少し迷ったあと、話し始めた。
ゾムが調べていたのは、エーミールが以前関わった作戦についてだった。
その作戦で、エーミールは独断で一部の情報を伏せていた。
結果的に作戦は成功したものの、ゾムはそれを知り、何か問題があったのではないかと考えていたらしい。
「でもな、あれ、エーミールが悪いことしたわけちゃうで」
ロボロは続けた。
「あのときの判断、グルッペンも認めとるし、トントンも事情を知っとる。ゾムも最初はそう思ってたはずや」
「……では、なぜ?」
「お前が一人で責任を背負ってたんちゃうかって、気にしてたんやと思う」
エーミールは目を見開いた。
「……え?」
「ゾムが聞いてたんは、作戦がどうこういう話だけやない。お前がそのあと、周りに何も言わんかったことも気にしてた」
ロボロは頭をかいた。
「俺らからしたら、お前が考えて決めたことやってわかっとった。でも、ゾムは……まあ、あいつなりに心配してたんやろ」
エーミールは、ゆっくりと視線を落とした。
自分は、ゾムが自分を信用していないのだと思っていた。
自分の判断を疑っているのだと。
だから、あの言葉を聞いて、ひどく傷ついた。
けれど。
「……そう、だったんですね」
声が震えた。
ロボロが眉を寄せる。
「エーミール?」
「……私、勘違いをしていたんですね」
ゾムは、自分を責めたかったわけではなかった。
ただ、心配していた。
自分が知らないところで、エーミールが何かを抱え込んでいるのではないかと。
それなのに、自分は。
「……謝らないと」
エーミールは立ち上がった。
「ゾムさんが帰ってきたら、ちゃんと謝って、話をします」
「おう。それがええと思うで」
ロボロは笑った。
「まあ、あいつも謝らなあかんことあるやろうけどな」
「……はい」
エーミールも、ほんの少し笑った。
帰ってきたら。
そのときは、ちゃんと話そう。
今度こそ、言葉を途中で諦めない。
そう決めた。
けれど、その約束が果たされる日は、まだ遠かった。
──────────────────────────
ゾムの帰還予定日。
我々軍の正門には、数人の兵士が集まっていた。
「そろそろやろ?」
シャオロンが腕時計を見た。
「予定どおりならな」
トントンが答える。
エーミールは、少し離れた場所でじっと門を見つめていた。
朝から、何度も時計を確認している。
落ち着かない。
仕事をしていても、気がつけば時計を見てしまう。
ゾムが帰ってきたら、まず何と言おう。
謝ろう。
それから、ちゃんと話そう。
そして。
「……おかえりなさい」
そう言いたい。
何度も頭の中で練習した言葉だった。
しかし、予定時刻を過ぎても、車両は現れなかった。
一時間。
二時間。
日が傾き始めても、連絡はない。
「……遅いな」
コネシマがつぶやいた。
そのとき、通信室からロボロが飛び出してきた。
「トントン!!」
ただならぬ様子に、全員が振り返る。
「どうした?」
「現地から緊急連絡や! ゾムの部隊が襲撃を受けたらしい!」
空気が凍りついた。
「……は?」
トントンの声が低くなる。
「詳しく言え」
「撤退中に敵の大規模な攻撃を受けた。部隊の一部は離脱できたけど、ゾムが……」
ロボロの声が詰まった。
「ゾムが、まだ見つかってへん」
エーミールの耳から、周囲の音が消えた。
「……え?」
誰かが何かを言っている。
けれど、言葉が頭に入ってこない。
ゾムが。
見つかっていない?
「……捜索隊は?」
自分でも驚くほど、冷静な声が出た。
「すぐに派遣する」
トントンが即座に答える。
「現地との連絡を続けろ。グルッペンにも報告や」
幹部たちが一斉に動き出す。
その中で、エーミールだけが立ち尽くしていた。
昨日まで、そこにいた人。
自分に笑いかけていた人。
最後に、きちんと話せなかった人。
「……ゾムさん」
唇が震えた。
「お願いですから……帰ってきてください」
その願いは、誰にも聞こえなかった。
*
発見の報告が届いたのは、翌日の夜だった。
ゾムは、現地の医療施設に搬送されていた。
命に関わる大きな怪我を負っていたが、治療を受け、一命を取り留めたという。
エーミールは、その知らせを聞いた瞬間、膝から力が抜けそうになった。
生きている。
ゾムは、生きている。
それだけで、胸がいっぱいになった。
しかし。
「意識は、まだ戻っていないそうや」
トントンの声が、静かに響いた。
「容体が安定したら、こっちの医療施設に移送する。医療班とも連携してる」
「……そうですか」
エーミールは、うなずいた。
泣かなかった。
泣いてしまえば、立っていられなくなりそうだったから。
「……私、仕事に戻ります」
そう言って執務室へ戻った。
机に座り、資料を開く。
文字が読めない。
何度読んでも、頭に入ってこない。
それでも、ペンを握った。
ゾムが帰ってくる場所を、守らなければ。
あの人が目を覚ましたとき、いつもどおりの我々軍があるように。
そう思わなければ、何もできなくなってしまいそうだった。
*
ゾムが我々軍へ搬送されたのは、それから数日後だった。
医療施設の個室。
ベッドの上で、ゾムは眠っていた。
頭にも腕にも包帯が巻かれ、機器が静かな音を立てている。
いつもなら、部屋に入ってくるだけで空気を変えてしまうような人なのに。
今は、ひどく静かだった。
エーミールはベッドの横に座った。
「……ゾムさん」
返事はない。
「おかえりなさい」
ずっと言いたかった言葉だった。
けれど、返事はなかった。
エーミールは、そっとゾムの手に触れた。
温かい。
ちゃんと、生きている。
そのことに安堵すると同時に、胸が締めつけられた。
「……すみませんでした」
小さな声で言う。
「私、あなたのことを誤解していました。あなたが何を心配していたのか、ちゃんと聞こうともしませんでした」
握った手に、少しだけ力を込める。
「……帰ってきたら、話をしようと思っていたんです」
喉が詰まった。
「謝って、それから……」
言葉が続かない。
ゾムは眠ったままだった。
「……早く、目を覚ましてください」
エーミールは額を伏せた。
「私、まだあなたに伝えたいことが、たくさんあるんです」
その日、エーミールは初めて泣いた。
誰もいない個室で。
眠り続ける恋人の手を握りながら。
───────────────────────────
一か月が過ぎた。
ゾムは、まだ目を覚まさなかった。
しんぺい神からは、回復の兆しはあるものの、いつ意識が戻るかはわからないと説明されていた。
エーミールは、毎日、仕事が終わると医療施設へ向かった。
朝の忙しい時間でも、夜遅くなっても。
少しの時間でも、ゾムのそばにいたかった。
「今日は、シャオロンさんがまた訓練でコネシマさんに怒られていましたよ」
ベッドの横で、エーミールは話しかける。
「本人は悪くないと言っていましたけど、聞いていたショッピさんは笑っていました。……あの二人、相変わらずですね」
返事はない。
「トントンさんは、また書類を山ほど抱えていました。ゾムさんが起きたら、手伝ってあげてくださいね」
返事はない。
「……私は、今日も元気です」
そこで、少しだけ言葉に詰まる。
「ですから、心配しないでください」
本当は、元気ではなかった。
食事は取っている。
仕事もしている。
眠ることもできている。
けれど、何かがずっと欠けていた。
いつものように笑っていても、心のどこかが冷たい。
ふとした瞬間に、ゾムの声を思い出す。
隣を歩いていたときの足音。
自分をからかうときの笑い声。
何かを褒めるとき、少しだけ柔らかくなる目元。
もう一度、見たい。
もう一度、聞きたい。
「……ゾムさん」
エーミールは、自分の髪に触れた。
任務から帰ってきたゾムと会ったとき、彼はいつも、エーミールの髪を褒めていた。
髪を整えてやると言って、勝手に触ってくることもあった。
「お前、髪伸ばしたら似合うんちゃう?」
そんなことを言われたこともある。
そのときは、邪魔になりそうだからと笑って断った。
けれど、今は。
「……伸ばしてみましょうか」
ぽつりとつぶやいた。
「あなたが目を覚ますまで、切らないことにします」
それは、願掛けだった。
何かをしたからといって、ゾムの目が覚めるわけではない。
そんなことはわかっていた。
それでも、何もできない自分に、ひとつだけ約束を作りたかった。
「……だから、早く起きてくださいね」
エーミールは、眠るゾムの手に頬を寄せた。
「あなたが起きたら、髪を切るかどうか、一緒に考えましょう」
そして、いつものように笑った。
「……待っていますから」
*
その日の夜。
医療施設の廊下で、エーミールはトントンに呼び止められた。
「エーミール」
「トントンさん。どうしました?」
「少し、話せるか」
二人は、廊下のベンチに座った。
トントンはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「無理してへんか」
エーミールは、少し驚いたように目を瞬かせた。
「……していませんよ」
「嘘つけ」
即座に返された。
「お前、最近ちゃんと休んどるか? 仕事も増えとるし、毎日ここに来とるやろ」
「それは……」
「ゾムが目を覚ましたとき、お前まで倒れとったら、あいつ絶対怒るで」
エーミールは、困ったように笑った。
「……そうですね」
「せやから、ちゃんと飯食え。寝ろ。仕事も一人で抱え込むな」
「はい」
「あと」
トントンは、少しだけ声を柔らかくした。
「ゾムが目を覚ますまで、お前がずっと一人で頑張らなあかんわけちゃうからな」
エーミールは、顔を上げた。
「……え?」
「俺らがおるやろ」
トントンは、当然のことのように言った。
「ゾムは俺らの仲間や。お前だけが心配してるわけちゃう」
「……」
「みんな、あいつが起きるのを待っとる。せやから、お前も少しは俺らに頼れ」
エーミールは、唇をかみしめた。
「……ありがとうございます」
声が震えた。
「私……どうしても、何かしなければと思ってしまって」
「わかっとる」
トントンは、エーミールの肩を軽く叩いた。
「でもな、何もできへん時間も、無駄やないで」
その言葉に、エーミールは目を閉じた。
何もできない。
ただ、待つだけ。
それが、こんなにも苦しいなんて知らなかった。
けれど。
「……はい」
顔を上げる。
「私、もう少し頑張ってみます」
「頑張るんはええけど、無理はすんなよ」
「はい」
トントンは立ち上がった。
「ほな、帰るぞ。明日も仕事や」
「……あの」
エーミールが呼び止める。
「ゾムさんが目を覚ましたら……私が毎日来ていたこと、伝えてもらえますか?」
トントンは、振り返った。
そして、少し笑った。
「そんなん、俺が言わんでもわかるやろ」
「……そうでしょうか」
「お前の顔見たら、あいつ絶対わかるわ」
そう言って、トントンは歩き出した。
エーミールは、その背中を見送りながら、ほんの少しだけ笑った。
──────────────────────────
ゾムが目覚めなくなって三か月目に入った朝。
我々軍の本部に、緊急の報告が届いた。
「敵国が、宣戦布告をしてきました」
会議室に、緊張が走った。
報告を読み上げるロボロの声は、いつになく硬い。
「相手は、ゾムの部隊が任務に向かっていた国です。こちらが派遣した部隊が受けた襲撃についても、関与を認めていません」
「ふざけやがって……!」
コネシマが机を叩いた。
「こっちの部隊を襲っといて、今度は戦争やと?」
「落ち着け、コネシマ」
グルッペンが静かに言った。
「怒りに任せて動けば、相手の思うつぼだ」
「……わかっとる」
コネシマは拳を握りしめた。
会議はすぐに始まった。
各部隊の配置。
敵の進軍経路。
補給線の確保。
作戦の立案。
エーミールは、資料を広げながら、報告された情報をひとつずつ確認していた。
戦争が始まってから、すでに何度か戦闘が起きている。
我々軍は善戦していた。
しかし、どうにも戦況がかみ合わない。
こちらの作戦が読まれているかのように、敵は先回りしてくる。
「……おかしいですね」
エーミールがつぶやいた。
「何がですか?」
隣にいたショッピが尋ねる。
「敵の動きです。こちらが進軍するたびに、ちょうどいい位置に部隊が配置されている」
「情報が漏れとる可能性は?」
ロボロが資料をのぞき込む。
「もちろん、それも考えました。しかし……」
エーミールは地図を広げた。
「こちらの作戦が漏れているのなら、敵はもっと効率的に動けるはずです。なのに、彼らは要所を押さえる一方で、特定の地点だけは不自然なほど避けている」
「特定の地点?」
「はい」
エーミールは、地図上のいくつかの場所を指した。
「ここです。この一帯だけ、敵の動きが妙に制限されている」
ロボロが目を細める。
「……地形か?」
「おそらく。ですが、地形だけでは説明がつきません」
エーミールは、古い地形資料を引っ張り出した。
そこには、現在の地図には記載されていない施設の跡があった。
「……まさか」
彼の表情が変わった。
敵国は、かつてこの地域に大規模な軍事施設を建設していた。
その施設は、今では放棄されたことになっている。
しかし、資料を照らし合わせると、敵の進軍経路は、その施設の周辺を避けるように組まれていた。
「ここに、何かあるんです」
エーミールは確信した。
「敵は、この施設を利用している。おそらく、我々の進軍を妨げる何かが」
「せやけど、そこを攻めるんは難しいで」
シャオロンが地図をのぞき込んだ。
「敵の防衛線の奥や。正面から攻めたら、こっちも相当な損害が出る」
「……わかっています」
エーミールは、唇を結んだ。
どうすればいい。
敵の作戦の要を崩せば、戦況は変わる。
しかし、通常の部隊を送り込めば、相手の防衛に阻まれる可能性が高い。
少数で、素早く、確実に。
そして、敵がその施設を利用できない状態にする。
「……」
エーミールは、ふと、別の資料を手に取った。
そこには、施設の構造について記されていた。
使われなくなった搬入路。
現在の敵の防衛配置。
そして、施設の機能を止めるために必要な条件。
頭の中で、情報がつながっていく。
敵の戦力をすべて倒す必要はない。
敵が優位に立っている理由、その根本を崩せばいい。
「……これなら」
小さくつぶやいた。
「これなら、戦況を変えられます」
その声に、仲間たちが振り返る。
「エーミール、何か思いついたんか?」
トントンが尋ねた。
「はい。敵の拠点を無力化できれば、こちらの部隊が進めるようになります」
「具体的には?」
エーミールは説明を始めた。
敵の施設には、外部から機能を停止させられる弱点がある。
ただし、そこへたどり着くには、通常の進軍経路を使えない。
そして、敵に気づかれずに近づける時間も限られている。
説明を聞き終えたコネシマが、眉を寄せた。
「……待て。そこ、ほとんど敵のど真ん中やないか」
「はい」
「そんなとこに誰を送り込むつもりや?」
エーミールは答えなかった。
誰を送るか。
それは、最初から決まっていた。
自分だ。
軍師として、敵の弱点を見つけたのは自分。
作戦を最も正確に理解しているのも自分。
そして、誰かに任せれば、その人が戻ってこられないかもしれない。
だったら。
「……私が行きます」
会議室が静まり返った。
「は?」
シャオロンが目を見開く。
「いやいやいや、待て待て! 何言うとんねん!」
コネシマが身を乗り出した。
「お前、軍師やろ! 前線に出る役ちゃうやろが!」
「わかっています」
「わかっとらんから言うとんねん!」
トントンも厳しい顔をした。
「エーミール、作戦の立案者が現場に行く必要はない。別の方法を考えよう」
「……時間がありません」
エーミールは静かに言った。
「敵は、こちらが施設の存在に気づいたことを、いずれ察するでしょう。その前に、機能を停止させなければ」
「せやからって、お前一人で行く必要はないやろ!」
「……」
エーミールは、机の上の地図を見つめた。
自分は、死ぬつもりで行くわけではない。
ただ、成功させなければならない。
ゾムが守ろうとしていた仲間たち。
ゾムが帰ってくるはずだった場所。
それを、自分のせいで失いたくなかった。
「……お願いします」
エーミールは、頭を下げた。
「私に、行かせてください」
その姿を、グルッペンは黙って見つめていた。
やがて、静かに口を開く。
「エーミール」
「はい」
「お前は、何のために行く?」
エーミールは、顔を上げた。
「……我々軍を勝利に導くためです」
「それだけか?」
その問いに、エーミールは答えられなかった。
グルッペンは、しばらく彼を見つめていた。
「……わかった」
「グルッペン!?」
トントンが声を上げる。
「ただし、これは命令ではない。お前が自分で選ぶことだ。そして、必ず帰ってこい」
エーミールは、目を見開いた。
「……はい」
「作戦の準備を進めろ。ただし、撤退手段の確保を最優先にする。無謀な行動は許さん」
「承知しました」
エーミールは敬礼した。
その顔には、いつもの穏やかな表情が戻っていた。
けれど、誰も気づかなかった。
彼が、すでに心の中でひとつの覚悟を決めていたことに。
───────────────────────────
深夜。
基地の灯りが少なくなった頃。
エーミールは、自室で荷物をまとめていた。
必要な資料。
通信機。
最低限の食料。
そして、作戦に必要な物資。
それらを、ひとつずつ確認していく。
最後に、机の引き出しを開けた。
中には、小さな紙片が入っていた。
ゾムが以前、何気なく書いて渡してきたメモだった。
『帰ったら飯行こ。約束な』
何でもない、短い言葉。
けれど、エーミールはそれをずっと捨てられずにいた。
紙を指でなぞる。
「……約束、しましたからね」
小さく笑った。
「ちゃんと、帰ります」
そう言って、メモを胸ポケットにしまった。
それから、鏡の前に立つ。
三か月前より、ずいぶん伸びた髪。
肩に触れるほどの長さになっていた。
願掛けのために伸ばし始めた髪。
ゾムが目を覚ますまで、切らないと決めた髪。
「……もう少しだけ、待っていてください」
エーミールは髪をまとめ、身支度を整えた。
そして、誰にも告げずに部屋を出た。
*
夜明け前。
基地の車両置き場。
エーミールは、用意しておいたバイクの前に立っていた。
荷物を固定し、燃料を確認する。
必要な物資は積んだ。
帰りの燃料はない。
正確には、帰還できる保証がないほど、余裕を削っていた。
それでも、行かなければならないと思った。
もし自分が失敗すれば、戦況はさらに悪化する。
仲間たちに、これ以上負担をかけるわけにはいかなかった。
「……ごめんなさい」
誰に向けた言葉なのか、自分でもわからなかった。
トントンか。
グルッペンか。
それとも。
「……ゾムさん」
名前を口にした瞬間、胸が痛くなった。
目を覚ましたとき、自分がいなかったら。
そう考えると、足が止まりそうになる。
けれど、今は。
「……あなたが守ろうとした場所を、私も守りたいんです」
エーミールはヘルメットをかぶった。
エンジンが低く唸る。
そして、バイクは夜明け前の道を走り出した。
基地の誰にも見送られないまま。
───────────────────────────
同じ頃。
医療施設の個室。
ゾムの指が、わずかに動いた。
看護をしていた医療兵が顔を上げる。
「……ゾムさん?」
反応はない。
けれど、もう一度。
指先が動いた。
そして、かすかに眉が寄る。
「先生! 先生を呼んでください!」
医療兵が駆け出していく。
ほどなくして、しんぺい神が駆けつけた。
呼びかけに、ゾムのまぶたがわずかに震える。
光が、ぼんやりと視界に差し込んだ。
「……っ」
声を出そうとして、喉がうまく動かなかった。
頭が重い。
身体が痛む。
何が起きたのか、すぐには思い出せなかった。
けれど。
「……エー……」
かすれた声が、漏れた。
医師が顔を上げる。
「ゾム、聞こえる?」
ゾムは、ゆっくりと目を開いた。
見慣れない天井。
機器の音。
包帯に覆われた自分の身体。
そして、頭の中に浮かんだのは、たった一人の名前だった。
「……エーミール」
「意識が戻りました!」
医療兵の声が響く。
ゾムは、必死に身体を起こそうとした。
「……っ、あいつ……どこや」
「ゾムさん、動いてはいけません!」
「エーミールは……!」
「落ち着いてください。まずは身体の状態を――」
「……あいつに、会わせてくれ」
しんぺい神は、厳しい表情で首を横に振った。
「今のお前は、まだ動ける状態じゃない。意識が戻ったばかりや。安静にしておかんと」
ゾムは、歯を食いしばった。
思い出した。
出発前、エーミールと喧嘩したこと。
帰ったら話そうと思っていたこと。
そして、任務中に受けた攻撃。
意識が途切れる直前、何を考えていたのか。
――帰らなあかん。
――あいつに、謝らな。
「……くそっ」
ゾムは、布団を握りしめた。
「……俺、まだ謝ってへんのに」
しんぺい神は、少し表情を和らげた。
「大丈夫だよ。焦らず回復しよ。三か月間、お前の回復を願っていた奴らがいるんよ」
ゾムは、顔を上げた。
「……三か月?」
「おん」
一瞬、何も考えられなかった。
三か月。
自分は、三か月も眠っていたのか。
その間、エーミールは。
「……あいつ、来とったんか」
医療兵がうなずいた。
「毎日のように来ていましたよ。お仕事が終わったあと、必ず」
ゾムは、目を閉じた。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
毎日。
三か月。
あいつは、ずっと。
「……エーミール」
声が震えた。
「……待たせて、もうたな」
*
ゾムが目を覚ましたという知らせは、すぐに我々軍へ届いた。
「はあ!? ゾムが!?」
シャオロンが声を上げる。
「ほんまや! 意識が戻ったって!」
ロボロも、嬉しそうに笑った。
「よかった……!」
トントンは、深く息を吐いた。
「……ほんまに、よかった」
グルッペンも、安堵したように目を細めた。
「彼が目を覚ましたのなら、戦況についても共有できるな」
その言葉に、トントンがうなずく。
「せやな。まずは回復を優先させて……」
「……ところで」
ショッピが、ふと周囲を見回した。
「エミさんは?」
その瞬間。
会議室の空気が止まった。
「……あれ?」
ロボロが眉を寄せる。
「さっきまで、ここにおらんかったか?」
「いや、今朝から見てへんぞ」
シャオロンが言った。
トントンの顔から、血の気が引いた。
「……まさか」
彼は、エーミールの机へ走った。
机の上には、整理された資料が残されていた。
しかし、肝心の本人はいない。
「……おい」
トントンは、机の上の資料をめくった。
そこにあったのは、敵の軍事施設に関する分析資料。
そして、エーミールの字で書かれた作戦案。
「……嘘やろ」
ロボロが、隣から資料をのぞき込んだ。
「この作戦……」
「……あいつ、一人で行ったんか?」
コネシマが低く言った。
誰も答えられなかった。
だが、答えは明らかだった。
敵の弱点を見つけたのは、エーミール。
作戦を理解しているのも、エーミール。
そして、彼ならば。
「……あいつ」
トントンの声が震えた。
「何を考えとんねん……!」
そのとき、通信室から兵士が飛び込んできた。
「報告です! 敵の軍事施設付近で、大規模な混乱が発生しています!」
「何やと?」
「敵部隊の連携が乱れ、こちらの進軍を妨げていた機能が停止した模様です!」
ロボロが、はっと顔を上げた。
「……まさか」
シャオロンが、唇を震わせた。
「エーミール……?」
誰もが、同じことを考えていた。
そして、誰もが同じように願っていた。
どうか。
どうか、無事でいてくれ。
───────────────────────────
ゾムが目を覚ましたことを知った直後。
彼は、しんぺい神の制止を振り切ろうとしていた。
「ゾムさん、お願いですから横になってください!」
「無理や。俺、行かなあかんねん」
「お前は、まだまともに歩くこともできないんやぞ!」
「それでもや!」
声が、病室に響いた。
ゾムは、包帯の巻かれた腕を押さえながら、ベッドの端に腰を下ろしていた。
身体は重い。
立ち上がるだけでも、視界が揺れる。
それでも、頭の中では、ひとつの考えがぐるぐると回っていた。
エーミールがいない。
戦況が変わった。
あいつが、何かをした。
そして、自分は三か月も眠っていた。
もし。
もし、あいつが。
「……っ」
ゾムは、唇をかみしめた。
「……俺、また間に合わんかったら」
言葉が途切れた。
そのとき、病室の扉が開いた。
トントンが、息を切らして立っていた。
「ゾム!」
「トントン! エーミールはどこや!」
トントンは、一瞬だけ目を閉じた。
「……戦場や」
ゾムの顔から、表情が消えた。
「……は?」
「エーミールが、敵の施設を止めに行った。単独でな」
「……なんで」
声が低くなる。
「なんで、誰も止めへんかったんや」
「止めたかったに決まっとるやろ!」
トントンも声を荒らげた。
「でも、あいつは何も言わずに出ていったんや! 俺らが気づいたときには、もう――」
「……どこや」
ゾムは立ち上がった。
足元がふらつく。
それでも、壁に手をついて身体を支えた。
「ゾム、待て!」
「どこやって聞いとんねん!」
トントンは、ゾムの目を見た。
そこにあったのは、怒りだけではなかった。
恐怖だった。
大切な人を失うかもしれないという、隠しようのない恐怖。
トントンは、唇を引き結んだ。
「……北東の旧軍事施設や。詳しい位置は、今、ロボロが追っとる」
ゾムはうなずいた。
「……わかった」
「ゾム!」
「……絶対、連れて帰る」
その声には、迷いがなかった。
「今度こそ、ちゃんと話すんや」
そして、ゾムは病室を出た。
医療兵が慌てて追いかける。
トントンも、舌打ちをして走り出した。
「……あのアホ二人が!」
怒鳴りながらも、彼の足は止まらなかった。
*
旧軍事施設。
戦況は、確かに変わり始めていた。
敵の連携が崩れ、我々軍の部隊が徐々に優勢を取り戻している。
しかし、その混乱の中で。
エーミールは、敵兵に囲まれていた。
計画は、成功した。
施設の機能は停止し、敵の進軍を支えていた仕組みも使えなくなった。
これで、我々軍は反撃できる。
仲間たちが、前へ進める。
それだけで十分だった。
「……よかった」
エーミールは、息を整えながらつぶやいた。
しかし、帰り道は塞がれていた。
敵の兵士たちが、彼を取り囲んでいる。
「我々軍の軍師か」
一人の兵士が、冷たい声で言った。
「ずいぶんと大胆なことをしてくれたな」
エーミールは、相手を見つめた。
逃げ道はない。
通信機も、もう使えない。
持ってきた物資は、ほとんど使い切っていた。
それでも、エーミールは顔を上げた。
「……あなた方の作戦は、これで終わりです」
「何?」
「我々軍は、もう止まりません」
その言葉に、敵兵が顔を歪めた。
「……なら、お前をここで始末するまでだ」
エーミールは、ゆっくりと目を閉じた。
怖くないわけではなかった。
本当は、帰りたかった。
トントンに怒られてもいい。
コネシマに怒鳴られてもいい。
ショッピに呆れられても、ロボロにため息をつかれてもいい。
ゾムに。
「……ゾムさん」
名前を口にした瞬間、胸が痛くなった。
まだ、謝っていない。
まだ、話していない。
まだ、伝えていない。
「……ごめんなさい」
小さくつぶやいた。
「……約束、守れそうにありません」
敵兵が、彼に近づいた。
エーミールは、目を閉じた。
そのとき。
「――エーミール!!」
聞き慣れた声が、戦場に響いた。
エーミールの目が、大きく開く。
まさか。
そんなはずがない。
だって、あの人は。
「……ゾム、さん?」
振り返った先にいたのは。
包帯だらけの身体で。
患者服のままで。
息を切らしながら、こちらへ走ってくるゾムだった。
「……っ、ゾムさん!!」
ゾムは、エーミールの前に飛び込んだ。
迫っていた敵兵を切りつけ、エーミールの元へ駆けつける。
「……遅なって、すまん」
息を切らしながら、それでもゾムは笑った。
「……迎えに来たで」
エーミールは、何も言えなかった。
目の前にいる。
ずっと、待っていた人。
何度も、夢に見た人。
「……ゾムさん」
声が震えた。
「……本当に?」
「おう」
ゾムは振り返った。
そして、エーミールの顔を見た瞬間、表情が変わった。
伸びた髪。
疲れ切った顔。
涙をこらえようとして、うまく笑えない表情。
そして。
ようやく会えたことに安堵したような、泣きそうな顔。
ゾムは、一瞬、言葉を失った。
「……お前」
その声が震えた。
「……何してんねん、ほんまに」
怒りたかった。
どうして一人で来た。
どうして仲間に相談しなかった。
どうして、自分を置いていこうとした。
言いたいことは、山ほどあった。
けれど。
エーミールが、泣きながら笑った。
「……おかえり、なさい」
その言葉を聞いた瞬間。
ゾムの胸の奥で、張りつめていたものが切れた。
「……ただいま」
ゾムは、エーミールを抱きしめた。
「……ほんま、アホやな、お前」
声が震えていた。
「……なんで、こんな無茶すんねん」
「……すみません」
「謝るんは、あとや!」
ゾムは、エーミールの肩をつかんだ。
「……あとで、絶対に怒るからな。めちゃくちゃ怒る。覚悟しとけよ」
「……はい」
エーミールは、泣きながらうなずいた。
「……でも」
ゾムは、彼の顔を見つめた。
「……間に合って、よかった」
その言葉に、エーミールの表情が崩れた。
「……っ、ゾムさん……!」
涙があふれる。
三か月。
長かった。
ずっと、待っていた。
何度も、もう二度と会えないのではないかと思った。
それでも、待っていた。
「……会いたかった、です……!」
ゾムは、彼を強く抱きしめた。
「……俺もや」
その声は、ひどく優しかった。
「……ずっと、会いたかった」
けれど。
二人が再会を喜ぶ時間は、長くは続かなかった。
ゾムの身体が、大きく揺れた。
「……っ」
「……ゾムさん?」
ゾムは、エーミールの肩に手をついた。
「……いや、ちょっと……さすがに、無理したわ」
「……え?」
ゾムは、苦笑した。
「……怒るんは、あとに……」
言い終わる前に、膝が崩れた。
「ゾムさん!!」
エーミールが、慌てて身体を支える。
しかし、エーミール自身も限界だった。
張りつめていた緊張が切れた瞬間、全身から力が抜けた。
「……あ、れ……」
視界が揺れる。
ゾムの顔が、ぼやけていく。
「……ゾム、さん……」
二人は、その場に倒れ込んだ。
意識が遠のく直前。
ゾムは、エーミールの手を握った。
「……今度は……」
かすれた声で、つぶやく。
「……ちゃんと、話そな……」
エーミールは、ほんの少し笑った。
「……はい……」
そして、二人は同時に意識を手放した。
*
「――ゾム!! エーミール!!」
駆けつけた我々軍の部隊が、二人を発見したのは、それから間もなくのことだった。
先頭を走っていたコネシマが、二人の姿を見て叫ぶ。
「おい!! 誰か医療班呼べ!! 早く!!」
「もう呼んでます!」
ショッピが通信機に向かって叫ぶ。
ロボロは、エーミールのそばに膝をついた。
「……エーミール! おい、聞こえるか!?」
返事はない。
けれど、二人とも呼吸はあった。
ロボロは、深く息を吐いた。
「……ほんまに……」
言葉が続かなかった。
そこへ、トントンが駆け込んできた。
二人の姿を見た瞬間、彼は頭を抱えた。
「……あのアホどもがぁぁぁ!!」
戦場に響き渡る怒声。
しかし、その声は少し震えていた。
「……ほんまに、心配かけやがって……!」
トントンは、二人のそばにしゃがみ込んだ。
「……帰るぞ」
眠っている二人に、静かに告げる。
「……全員で、帰るんや」
───────────────────────────
戦争が終わったのは、それから数日後だった。
エーミールの作戦によって敵の軍事施設が機能を停止し、我々軍は戦況を大きく好転させた。
その後、幹部たちが各部隊を率いて反撃を進め、敵国は停戦を受け入れた。
大きな戦いは終わった。
我々軍は、勝利した。
そして。
「……ここ、どこや」
目を覚ましたゾムが最初に見たのは、見慣れた医療施設の天井だった。
「……また、ここか」
ぼそりとつぶやく。
隣には、椅子に座ったトントンがいた。
「おう。お目覚めか、問題児」
「……トントン」
「お前なあ……!」
トントンが立ち上がる。
「何してくれとんねん!! 目ぇ覚ましたと思ったら、患者服のまま戦場に突っ込んで!! 医師の制止も振り切って!! しかもエーミールまで一緒に倒れて!!」
「……いや、あれは」
「言い訳すんな!!」
ゾムは、黙った。
しばらくして、小さく尋ねる。
「……エーミールは?」
トントンの表情が、少しだけ和らいだ。
「隣の部屋や。お前と同じで、しばらく休んどる」
「……そうか」
ゾムは、深く息を吐いた。
生きている。
無事だった。
それだけで、胸がいっぱいになった。
「……会いたい」
トントンは、しばらくゾムを見つめていた。
そして、ため息をついた。
「……ぺ神の許可が出たらな」
「……頼むわ」
「ほんま、今だけは大人しくしとけ」
「……わかった」
そう答えたゾムは、もう一度、目を閉じた。
今度は、安心して眠るために。
*
エーミールが目を覚ましたのは、その日の夕方だった。
最初に見えたのは、白い天井。
次に、腕に巻かれた包帯。
そして、椅子に座っているロボロの姿だった。
「……ロボロさん?」
「……おう」
ロボロは、深いため息をついた。
「……起きたか、アホ」
「……すみません」
「ほんまにな!!」
ロボロは頭を抱えた。
「お前、何してくれとんねん! 何も言わずに出ていくとか、心臓止まるかと思ったわ!!」
「……申し訳ありません」
「謝ったら済むと思うなよ! トントンなんか、今でもめちゃくちゃ怒っとるからな!」
「……はい」
エーミールは、うなだれた。
それから、はっと顔を上げた。
「……あの、ゾムさんは?」
ロボロは、少しだけ笑った。
「隣の部屋。お前より先に目ぇ覚ましたで」
「……本当ですか?」
「ああ。ぺ神の許可が出たら会わせたる」
エーミールは、ほっとしたように目を閉じた。
「……よかった」
その顔を見て、ロボロは何も言えなくなった。
ずっと、心配していたのだろう。
ゾムが目を覚ますかどうか。
自分が帰れるかどうか。
そして、もう一度会えるかどうか。
「……エーミール」
ロボロは、静かに声をかけた。
「次は、ちゃんと相談せえよ」
エーミールは目を開いた。
「……はい」
「俺ら、仲間やろ」
「……はい」
「お前が一人で背負う必要なんかないねん」
エーミールは、唇をかみしめた。
「……ありがとうございます」
涙が、頬を伝った。
「……本当に、すみませんでした」
ロボロは、困ったように笑った。
「……もうええわ。生きて帰ってきたんやから」
そして、そっとエーミールの頭を撫でた。
「……よう頑張ったな」
その言葉に、エーミールは声を上げて泣いた。
───────────────────────────
翌日。
ぺ神の許可が下り、二人は同じ部屋で過ごせることになった。
ゾムはベッドの上に座り、エーミールが入ってくるのを待っていた。
扉が開く。
「……失礼します」
エーミールが、ゆっくりと入ってきた。
二人の視線が合う。
しばらく、何も言えなかった。
三か月ぶりに目を覚ましたゾム。
戦場で、命がけで再会した二人。
言いたいことは、山ほどある。
けれど、どちらも、最初の一言が出てこなかった。
やがて、ゾムが口を開いた。
「……エーミール」
「……はい」
「こっち、来て」
エーミールは、ベッドのそばまで歩いていった。
ゾムは、そっと手を伸ばした。
「……座り」
「……はい」
エーミールが椅子に座ると、ゾムは彼の手を握った。
その手は、少し冷たかった。
「……髪、伸びたな」
エーミールは、目を見開いた。
「……はい」
「……なんで?」
少し迷ってから、エーミールは答えた。
「……願掛けです」
「願掛け?」
「あなたが目を覚ますまで、髪を切らないと決めていました」
ゾムは、息をのんだ。
「……そっか」
伸びた髪に、そっと触れる。
以前より長くなった髪。
その長さの分だけ、エーミールは自分を待っていた。
そう思うと、胸が苦しくなった。
「……ありがとうな」
エーミールは、首を横に振った。
「……お礼を言われるようなことではありません」
「いや」
ゾムは、まっすぐ彼を見た。
「……ありがとう」
エーミールの目に、涙が浮かんだ。
「……ゾムさん」
「……うん」
「……すみませんでした」
ゾムは、黙って聞いていた。
「出発前、私はあなたの言葉を誤解していました。あなたが私を信用していないのだと思って……ちゃんと話を聞こうとしませんでした」
エーミールは、握られた手を見つめた。
「本当は、帰ってきたら謝ろうと思っていたんです。あなたが心配してくださっていたことも、仲間から聞いて……」
声が震える。
「……でも、あなたが帰ってこなくて」
ゾムの手に、少しだけ力がこもった。
「……毎日、目を覚ましてほしいと思っていました。あなたに会いたくて、話したくて……」
涙が落ちた。
「……本当に、怖かったんです」
ゾムは、何も言わなかった。
ただ、エーミールの手を握り続けていた。
「……もう二度と、会えないんじゃないかと思って」
その言葉を聞いた瞬間、ゾムは彼を引き寄せた。
包帯に触れないよう、ゆっくりと。
エーミールの頭を、自分の肩に寄せる。
「……ごめんな」
低い声だった。
「……俺も、悪かった」
エーミールは、顔を上げた。
ゾムは、まっすぐ彼を見つめていた。
「お前にちゃんと話せばよかった。心配してたんなら、そう言えばよかったんや」
「……ゾムさん」
「……俺、お前のことになると、ほんまにあかんな」
苦笑する。
「大事にしたいって思うほど、変なとこで意地張ってまう」
エーミールは、首を横に振った。
「……私もです」
「せやな」
ゾムは、少し笑った。
「……お互い様や」
二人は、しばらく黙っていた。
やがて、エーミールがぽつりと言った。
「……私、あなたに、嫌われたのだと思っていました」
ゾムの表情が変わった。
「……は?」
「あなたが私に何も話してくださらなかったので……私のことを、信用していないのかと」
「……ちゃう」
ゾムは、即座に否定した。
「ちゃうねん、エーミール」
彼は、エーミールの両手を握った。
「俺がお前を信用してへんわけないやろ」
「……」
「お前は、俺が知っとる誰よりも、ちゃんと考えて、ちゃんと判断できる人や。俺がどれだけ無茶しても、いつも冷静に見てくれる」
少し笑う。
「……せやから、余計に心配になるんや」
「……どうしてですか?」
「お前、何でも一人で抱え込むやろ」
その言葉に、エーミールは黙った。
「自分が我慢したらええ、自分が頑張ればええって、すぐそう考える」
ゾムは、少しだけ眉を寄せた。
「……俺は、それが嫌やねん」
「……」
「お前には、ちゃんと頼ってほしい。俺にも、仲間にも」
ゾムは、彼の手を額に当てた。
「……お前が一人で苦しんでるの、見たくないんや」
エーミールは、とうとう声を上げて泣いた。
「……っ、すみません……!」
「謝らんでええ」
「……でも……!」
「……もうええから」
ゾムは、そっと彼を抱きしめた。
「……帰ってきてくれて、ありがとう」
その言葉に、エーミールはゾムの服をつかんだ。
「……ゾムさんも」
涙で濡れた声で、必死に伝える。
「……帰ってきてくださって、ありがとうございます……!」
ゾムは、目を閉じた。
三か月。
長かった。
眠っている間、どんな夢を見ていたのかも、もうはっきりとは思い出せない。
けれど、最後に聞こえた気がした声だけは、覚えていた。
――早く、目を覚ましてください。
――待っていますから。
「……もう、どこにも行かん」
ゾムは、エーミールの髪を撫でた。
「……少なくとも、今度はちゃんと話してから行く」
エーミールは、涙を拭いながら笑った。
「……はい」
「……それと」
ゾムは、少しだけ意地悪な顔をした。
「お前、俺が起きたら怒るって言うたやろ」
「……え?」
「一人で戦場に行ったこと。絶対に怒るって」
エーミールは、気まずそうに目をそらした。
「……覚えていらっしゃったんですね」
「当たり前やろ」
ゾムは、ため息をついた。
「……ほんま、心配したんやからな」
「……はい」
「……二度と、あんなことすんな」
今度の声は、からかいのない、真剣なものだった。
エーミールは、ゆっくりとうなずいた。
「……約束します」
「……よし」
ゾムは、少し笑った。
「……ほな、仲直りやな」
エーミールは、目を丸くした。
そして。
「……はい」
今度は、泣きながらではなく。
ちゃんと、笑って答えた。
────────────────────────
二人が医療施設を出られるようになった日。
我々軍の食堂には、なぜか幹部たちが全員集まっていた。
「……何してんねん、お前ら」
ゾムが呆れたように言う。
「見てわからんか? 退院祝いじゃ!」
コネシマが胸を張った。
「いや、まだ完全に治ったわけちゃうんやけど……」
「細かいことはええねん!」
「よくないやろ!」
トントンが即座に怒鳴った。
「お前ら、病み上がり二人に何させるつもりや! 今日は安静や言うたやろ!」
「いや、だから飯食うだけやって!」
シャオロンが笑いながら言った。
「それならええやろ?」
「量が多すぎんねん!!」
テーブルの上には、二人では食べきれないほどの料理が並んでいた。
オスマンが優雅に紅茶を注いでいる。
ひとらんらんは、さりげなく二人の椅子を用意していた。
しんぺい神は、ゾムの包帯を確認しながら、何度も注意事項を伝えている。
チーノは、なぜか「退員祝い」と書かれた紙を掲げていた。
「……誰が作ったんですか、これ」
エーミールが尋ねる。
「俺や!」
チーノが得意げに答えた。
「……字、間違っとるぞ」
ショッピが指摘する。
「えっ、どこ!?」
「『退員』の『員』が違う」
「うわっ、ほんまや!」
「……何をやっとるんや、お前らは」
ロボロが呆れたように笑った。
その光景を見て、エーミールは思わず笑った。
久しぶりだった。
心から、何も考えずに笑えたのは。
ゾムは、その横顔を見つめていた。
そして、そっと目を細めた。
「……何ですか?」
エーミールが気づく。
「いや」
ゾムは、笑った。
「……やっぱ、お前は笑っとるほうがええな」
エーミールの顔が、赤くなる。
「……っ、何を言っているんですか!」
「ほんまのことやろ?」
「……皆さんが見ています!」
「見せとけばええやん」
「ゾムさん……!」
そのやり取りに、シャオロンが机を叩いて笑った。
「うわっ、出た! ゾムの甘々モード!」
「病み上がりでも通常運転かよ!」
コネシマがからかう。
「いや、むしろ悪化しとるやろ」
ショッピが淡々と付け加えた。
「……お前ら、ほんまうるさいな」
ゾムは笑っていた。
いつもの、余裕たっぷりの顔。
けれど、エーミールを見る目だけは、少し違った。
まるで、もう二度と見失わないように。
そこにいることを、何度も確かめるように。
*
食事が終わり、少し落ち着いた頃。
グルッペンが、二人の前に立った。
「ゾム、エーミール」
「はい」
二人が姿勢を正す。
グルッペンは、珍しく真面目な顔をしていた。
「今回の戦争におけるお前たちの働きは、我々軍にとって大きな意味を持つ。エーミールの作戦が戦況を変え、ゾムが彼を救出したことも、結果として重要な出来事となった」
エーミールは、静かに頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「だが」
グルッペンの声が、少しだけ低くなる。
「私は、今回の件を美談にするつもりはない」
その言葉に、二人は顔を上げた。
「エーミール。お前の作戦が成功したことは評価する。しかし、仲間に何も告げず、単独で危険な場所へ向かったことは問題だ」
「……はい」
「ゾム。意識が戻った直後、ぺ神の制止を振り切って戦場へ向かったことも同様だ」
「……おん」
「お前たちが互いを大切にしていることは、よくわかっている」
グルッペンは、二人を見つめた。
「だが、仲間を大切にするというのは、自分の命を軽く扱うことではない」
二人は、何も言えなかった。
「お前たちが生きて帰ってきたことを、私は嬉しく思う。だが、次は同じ方法を選ぶな」
「……承知しました」
二人は、そろって敬礼した。
グルッペンは、少しだけ表情を和らげた。
「……よし。話は以上だ」
そう言って、背を向ける。
しかし、扉の前で立ち止まった。
「……それと」
二人が振り返る。
「エーミール」
「はい」
「髪、似合っているぞ」
エーミールは、目を丸くした。
「……ありがとうございます」
グルッペンは、満足そうにうなずいて出ていった。
その瞬間。
「……あー、グルッペンまでそれ言うんか」
ゾムが、ぼそりとつぶやいた。
「え?」
エーミールが振り返る。
ゾムは、少し不満そうな顔をしていた。
「……いや、なんでもない」
「……?」
「……あとで、俺にも触らせてな」
「……っ!?」
食堂のあちこちから、笑い声が上がった。
「お前、ほんまそればっかやな!!」
コネシマが叫ぶ。
「うるさいわ!!」
ゾムも負けずに叫び返した。
そして、エーミールは。
顔を真っ赤にしながらも、嬉しそうに笑っていた。
最終章 ただいま、おかえり
夜。
ようやく騒がしい食堂から解放された二人は、医療施設の近くにある小さな庭を歩いていた。
まだ、二人とも本調子ではない。
そのため、短い散歩だけ。
それでも、ゾムはエーミールの隣を歩けることが嬉しかった。
「……寒くないか?」
「大丈夫です」
「ほんまに?」
「はい」
「……なら、ええけど」
ゾムは、そっとエーミールの手を握った。
エーミールは、少し驚いたあと、握り返した。
しばらく、二人は黙って歩いた。
夜風が、伸びた髪を揺らす。
やがて、ゾムが口を開いた。
「……なあ、エーミール」
「はい?」
「髪、切るん?」
エーミールは、自分の髪に触れた。
「……どうしましょうか」
「……俺は、今の長さも好きやで」
「……そうですか」
「うん」
ゾムは、少し笑った。
「……でも、お前が切りたいなら、切ったらええ」
エーミールは、目を瞬かせた。
「……願掛け、だったんです」
「うん」
「あなたが目を覚ますまで、切らないと決めていました」
「……うん」
「だから……もう、切ってもいいのかなって」
ゾムは、少し考えたあと、首を横に振った。
「……いや」
「……え?」
「切ってもええし、伸ばしてもええ。お前が好きにしたらええねん」
エーミールは、黙ってゾムを見つめた。
「……願掛けを終わらせるために、無理に切る必要もないし。俺が好きやからって、無理に伸ばす必要もない」
ゾムは、彼の髪をそっと撫でた。
「……お前の髪やろ?」
その言葉に、エーミールは小さく笑った。
「……そうですね」
「せやろ?」
「……では、もう少し伸ばしてみます」
「お、ええやん」
ゾムは嬉しそうに笑った。
「……そのうち、俺が結んだるわ」
「……自分でできます」
「知っとるわ」
「……では、どうして?」
ゾムは、少しだけ目を細めた。
「……俺がやりたいから」
エーミールは、顔を赤くした。
「……もう」
ゾムは、そんな彼を見つめていた。
伸びた髪。
柔らかな表情。
自分の隣で、ちゃんと笑ってくれている。
それだけで、胸がいっぱいだった。
「……エーミール」
「はい?」
ゾムは、足を止めた。
そして、まっすぐ彼を見つめた。
「……ただいま」
エーミールは、目を見開いた。
それは、戦場で聞いた言葉だった。
けれど、今度は違う。
もう、目を覚まさないかもしれないという恐怖はない。
もう、帰ってこないかもしれないという不安もない。
今、目の前にいる。
自分の手を握って。
自分を見つめて。
ちゃんと、帰ってきてくれた。
エーミールは、笑った。
涙が、少しだけ浮かんだ。
「……おかえりなさい」
ゾムも笑った。
「……ただいま」
二人は、そっと抱きしめ合った。
「……もう、どこにも行かないでくださいね」
エーミールが、小さくつぶやいた。
ゾムは、彼の背中に腕を回した。
「……約束はできへん」
エーミールの身体が、少しだけ強張る。
けれど、ゾムはすぐに続けた。
「軍人やから、任務には行かなあかん。お前も、俺もな」
「……はい」
「でも」
ゾムは、彼の髪に頬を寄せた。
「……何があっても、ちゃんと帰る努力をする。お前に伝えるべきことは、ちゃんと伝える。無茶するときは、ちゃんと相談する」
少しだけ笑う。
「……せやから、お前も約束して」
「……何をですか?」
「一人で全部背負わんこと。困ったら俺を頼ること。俺がおらんときは、トントンでも、ロボロでも、誰でもええから頼ること」
エーミールは、目を閉じた。
「……はい」
「……よし」
ゾムは、そっと彼の額に自分の額を寄せた。
「……これからも、よろしくな」
エーミールは、笑った。
今度こそ、心から。
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
夜風が、二人の髪を揺らした。
遠くの建物から、仲間たちの笑い声が聞こえる。
きっと、明日になれば、また騒がしい日々が始まる。
ゾムは訓練に復帰しようとしてトントンに怒られるだろうし、エーミールは仕事を抱え込みすぎてロボロに注意されるだろう。
コネシマは二人をからかい、シャオロンは面白がり、鬱とショッピは呆れた顔で眺める。
オスマンは穏やかに笑い、ひとらんらんはさりげなく二人を気にかける。
しんぺい神は、無理をする二人に何度でも注意するだろう。
チーノは、きっとまた余計なことを言って怒られる。
そしてグルッペンは、そんな彼らを見ながら、いつものように笑うのだろう。
悪友で。
兄弟で。
ライバルで。
何があっても、背中を預けられる仲間たち。
そんな我々軍の中で。
ゾムとエーミールは、もう一度、二人で歩き始めた。
すれ違っても。
喧嘩をしても。
遠く離れることがあっても。
今度は、ちゃんと言葉にする。
「好きだ」と。
「心配している」と。
「帰ってきてほしい」と。
そして。
「ただいま」と。
「おかえりなさい」と。
何度でも。
何度でも。
二人が帰る場所は、ここにある。
そして、その隣にはいつだって、騒がしくて、頼もしくて、どうしようもなく大切な仲間たちがいる。
我々軍は、今日も平和です。
――少なくとも、トントンの怒鳴り声が響き渡るまでは。
「ゾム!! お前、まだ安静にしとけ言うたやろがぁぁぁ!!」
「いや、ちょっとエーミールと散歩しただけやん!!」
「その包帯で何が散歩じゃ!!」
「……ふふっ」
エーミールの笑い声が、廊下に響いた。
その声を聞いたゾムは、怒鳴られながらも、嬉しそうに笑った。
もう二度と、失いたくない声だった。
――Fin.
コメント
2件
あの...読み終わったあと自然と涙が...🥲本当に尊いです✨こういう話愛して止まないですまじで書き方好きすぎます🤭
読み終わりました……長かったけど、一瞬だった気がします。 ゾムさんとエーミール、お互いを想う気持ちがすれ違って、それでもちゃんと向き合おうとする姿が切なくて温かかったです。 特にエーミールが髪を伸ばす願掛けをするところ、ゾムさんが病み上がりで戦場に飛び込むところ……胸がぎゅっとなりました。 もふもふねこさんの筆致、すごく丁寧で心に染みました。最後の「ただいま」「おかえり」には涙が……。 続き、楽しみにしてますね🌙