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︎︎ プロローグ
夜は、街の骨だけを照らしていた。
半壊したネオンが雨に濡れて鈍く光り、広告の顔の一部が崩れている。舗道には誰かの残した紙袋と、血の一滴が風に弾かれて乾いていた。 廃墟都市――かつての喧騒は、今や静寂と機械の低い唸りだけを残している。
「ターゲットはコールサイン〈マリー〉。二十代後半、単身行動、容態は急速に悪化中。直近の接触者に渡航の痕跡あり。持ち込み阻止が最優先」
無線から聞こえる声は平坦で、余計な感情を一切含んでいない。報酬、任務内容、撤退線。金額が高いほど、依頼は危険だ。
かなたは笑っていた。月明かりに照らされた顔は幼く、でもその瞳の奥には刃のような光がある。笑いが似合う顔だが、その笑顔はいつもどこか冷えている気がする。
「準備はいい?」トワの声は小さい。彼女の腰には小さな羽のような飾りが揺れ、指先は刃物の形を思わせる緊張を纏っている。
「いつでも。」かなたは肩越しに答え、掌の奥で何かが溶けるような感触を覚えた。自分の体が、血が──固まって、鋭さを得る瞬間を思い出す。彼女にとって、それは武器であり、祝福であり、呪いだ。
二人は瓦礫の谷間へ降りた。廃ビルの影が彼らを包み、風が古い看板の端を擦る音だけが響く。遠くで犬が吠えたような気配がして、トワはすぐに反応した。
破れた扉の隙間から漏れる光の下に、〈マリー〉はいた。毛布にくるまって、膝を抱えて座るその姿は、不思議と恋人を待つ少女のように見えた。
「……この人、恋に囚われてるの?」トワが問う。問いは情報確認以上のものを含んでいた。
「多分ね。Erosyndromeの後期、感情の転換が激しく出るタイプ。対象に自己の愛情を押し付ける前に、対象を無力化する衝動に変換される。つまり“好き”が“殺す”に直結する段階だ」
かなたの声は淡々としているが、指先が小さく震えた。
そして今日も、仕事が始まる。