テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
婚儀を終えたその夜。
私の部屋の前で控えめな声が響いた。
「失礼致します」
美月の声だ。
私は静かに返す。
「入っていいぞ」
扉が開き彼女が姿を現す。
白い寝巻きの姿は、どこかまだ儚くそして少し緊張を帯びていた。
「先程振りだな」
「そうですね」
彼女が布団の近くまで歩み寄ってくる。
私の部屋は必要最低限の物しか置かれていない。だからこそ、その小さな身体が余計に際立って見えた。
「共に寝よう」
言葉にした瞬間、美月の声がわずかに上擦る。
「は、はい」
その反応が初々しく、胸の奥に温かなものが広がった。私はただ微笑みを返す。
やがて彼女は布団の中に入り、緊張した面持ちで仰向けに横たわった。
私も隣に横になり、薄い掛け布団を肩まで引き上げ、そっと彼女の方へ身体を向ける。
「美月、その……嫌じゃなければ手を繋ぎたいんだが」
思い切って告げると彼女は驚いたように瞬きをした。
「手ですか……?」
「ああ」
「いいですよ」
布団の上に差し出した私の左手に彼女の小さな右手が重ねられる。
その温もりを逃さぬよう、私は両手で包み込んだ。
「永和様……?」
不安げに問いかける声に私は真正面から応える。
「美月、私は不器用で、何を考えているのか分かりづらいとよく言われる。だから……もし、これから不安や不満に思うことがあれば、遠慮なく言って欲しい」
真っ直ぐに彼女を見つめる。
私の青色の瞳に映る美月はどこか幼く、けれど勇気を振り絞ろうとしているように見えた。
「わかりました。永和様も何かあれば言ってくださいね」
「ああ、勿論だ」
その答えに肩の力が抜ける。
彼女の微笑みに釣られるように、私の口元も自然と緩んでいた。
まだお互い知らぬことばかりだ。
だが、こうして日々を重ねていけば――彼女の全てを知り、受け止めていけるだろう。
「永和様、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ、美月」
彼女は繋いだままの手に力を込め、その温もりに安堵したように眠りに落ちていった。
静かな寝息を立てる美月を見つめながら、私はそっと右手を伸ばしその柔らかな髪を撫でた。
婚儀を終えてから3ヶ月少し。
その夜も、いつものように寝室の灯りを落とし、美月が横たわる布団の中に身を滑り込ませた。
隣に並ぶと、彼女の柔らかな吐息がすぐ近くで感じられる。
「美月、私たちが夫婦となってから、もう一月ほど経ったな」
月明かりに照らされた美月の横顔を見つめながら言うと、美月は小さく頷いた。
「そうですね」
鬼の国での生活にも慣れつつあるのだろう。私に対して向けられる瞳も、初めの頃よりずっと落ち着いて見える。
だからこそ、私は前から胸の内にあったことを口にした。
「その……新婚旅行に行かないか?」
私がそう言えば美月の瞳が驚きに揺れる。
「新婚旅行ですか……?」
「ああ。まだ行っていなかったからな。嫌でなければ私は行きたいと思っている」
月明かりが彼女の表情を照らし出し、恥じらいと喜びが入り混じった顔がはっきりと見えた。
その姿を見て、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「嫌じゃないです。行きたいです……!」
その答えに思わず微笑みがこぼれる。
「そうか、よかった」
私がそう言うと彼女は私の右手をぎゅっと握り返してきた。
❀❀❀
それから二日後。
私たちは王都から車で二時間ほどの場所にある、温泉地で知られた田舎街へと向かっていた。
ハンドルを握りながら、助手席の美月が外の景色に目を輝かせる。
「自然豊かでなんか落ち着きます」
「ああ。王都とは違って、田舎は静かで良い」
窓の外には瑞々しい緑の田畑が広がり、風に揺れる穂が初夏の光を受けて煌めいていた。
「窓開けてもいいですか?」
「ああ、構わない」
彼女が窓を開けると、若葉の香りを含んだ柔らかな風が流れ込み、彼女の髪を揺らした。
その横顔がどこか嬉しそうで、私は横目でその姿を見てしまう。
「良い風ですね」
「そうだな」
たった一言のやり取りが、私の心を安らがせた。
❀❀❀
昼前。
目的地の宿に到着した。
車を降りた美月は、目を丸くして建物を見上げる。
「着いたな」
「そうですね、それにしても大きな宿ですね」
木造の外観は立派で、何度も手を加えたように広がっている。
「ああ、この辺りでは人気の宿らしい」
「そうなんですね」
「ああ。では、行こうか」
「はい……!」
私は自然に手を差し伸べると、美月は少し照れながらもその手を優しく握り返してきた。
初夏の風が私と美月の背を押し、私達は並んで宿の玄関へと歩き出した。