コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
【八カ月後】
桜の花びらが散りきった4月末、新緑が芽吹く田舎町は春の柔らかな陽光に包まれていた
町の中心から少し外れた丘の上に立つ、白い漆喰の壁とオレンジ色の尖った屋根を持つ冠婚葬祭施設は、普段はひっそりと静まり返っている
しかし今日、この小さな建物はまるでお祭りのように色とりどりの花と笑顔で飾られ、特別な賑わいに沸いていた
力と沙羅の「二度目」の結婚式・・・10年前の悲劇を清算し、愛を再び誓うための、特別な一日が始まった
10年前、沙羅の悲劇はここから始まった、彼女は祭壇の前で置き去りにされた
あの日の屈辱と孤独は、彼女の心に深い傷を刻んだ
だが今、力は世界的ロックバンド「ブラックロック」のリードボーカルとして成功を収め、沙羅と娘の音々を守るために命がけで戦ってきた男だ
入籍は済ませていたが、力は「過去をきちんと清算したい」と、沙羅を説得してこの結婚式を企画した
招待客は、10年前と同じ顔ぶれがほとんどで、町の人々や高校の同級生に今はブラックロックのメンバー、音々と健一が加わり、皆がこの日を祝福するために集まっていた
施設の二階の花嫁控室は春の光が大きな窓から差し込み、沙羅の純白のウェディングドレスをキラキラと輝かせていた
ふわっと広がるスカート、繊細なレースのベール、胸元に輝く小さなパールのネックレス・・・花嫁姿の沙羅はまるで絵本の中の妖精のように美しかった
だが、大きな姿鏡の前に座る彼女の顔は真っ青に青ざめ、何やら様子がおかしい
彼女の額には脂汗が浮かんでいた、両手はブルブルと震え、まるで寒さに耐える小動物のようだ
沙羅の心は結婚式が近付くにつれ、10年前のあの日の記憶に囚らわれてすぎて、ここ数日は何度も悪夢を見る様になっていた
祭壇の前で待たされたあのどうしようもない不安感・・・
神父の苦笑い、ざわつく観客の同情の視線・・・あのトラウマが、頭の中でぐるぐると渦巻いていた、今や沙羅の呼吸は浅く、ゼーゼー言っている
ガチャッ!「沙羅~!そろそろ式が始まるわよ~!」
真由美が、紫のカクテルドレスをひらひらさせながら明るく入ってきたが、なんだか様子がおかしい沙羅の異変にすぐ気づいた
「ちょっと・・・沙羅!? どうしたの、その顔!」
「あっ! あたし、やっぱり結婚式やめる!」
沙羅の声はまるでパニック映画のヒロインのようだった、彼女は椅子からガタンッと立ち上がり、ドレスの裾を握りしめて叫んだ
「 何言ってるの! もう来賓客は満員御礼よ! ほら、音々ちゃんも力も待ってるんだから!行くわよ!」
真由美が目を丸くして首をかしげる、彼女の派手な紫のドレスが、まるで沙羅の動揺をからかうようにキラキラ揺れた
ブツブツ・・・「リッ・・・リハーサルの時は大丈夫だったのよ・・・でも、あの祭壇の前に立つと、過去のトラウマが・・ああっ!気が狂いそう!」
沙羅の声は震え、10年前の記憶が怒涛の様にフラッシュバックしてくるのと戦っていた
白いドレスで一人ぼっちの祭壇、ざわめく観客、誰も来ないバージンロード、彼女の心臓はバクバクと暴れ出し、息が詰まりそうだった
「やっ!やっぱり結婚式なんかしなくていいわよ! 力と私はもう入籍してるんだし!ね?やっぱり辞めるってみんなに言ってきて!」
「ちょっと~落ち着きなさいよ!」
真由美が沙羅の肩をガシッとつかんだ
「力はちゃんと祭壇にいるわ! 音々ちゃんも、健一さんも揃ってあなたを祝福したいって参加しているのよ、みんな10年前とは違うのよ!」
真由美の励ましも今やパニックを起こしている沙羅の耳には入らない
ブツブツ・・・「やっぱり力が『ちゃんと式をやりたい』って言ったのを反対すればよかった・・・」
沙羅の顔は今やガマカエルもびっくりの青さで額からダラダラと汗が流れ落ちていた
そこへ敏腕マネージャーの陽子が入って来た、紺色の素敵なスーツを着こみ、大ぶりの金のイヤリングをジャラジャラ鳴らしてる
「今日の披露宴で新曲を力が披露するわよ!4Kカメラを用意したわ!世界中からお祝いメッセージが届いているわよ!あ~やっぱり、SNS画像投稿だけじゃなく、ゲリラライブ配信にしようかしらっ!悩むわぁ~・・・だってファンは力達の幸せそうな顔が何より好物なのよ!大丈夫よ!動画に映りたくないってあなたの気持ちは考慮してモザイクを挟むから」
そこで陽子は沙羅を見ては思わず吹き出しそうになりながら叫んだ
「ちょっと! ガマカエルじゃないんだから! その汗どうにかしなさいよ、沙羅!メイク班を呼ぶわ」
そこへジフンが入って来た、彼も今日だけは冴えないマネジャーの地味な服装ではなく、タキシードに身を包んでいるが、おぼこい童顔のせいで七五三のようだ
「 あと5分で式が始まります、力さん初め、皆さん祭壇でお待ちですよ!」
「あ・・・あたし、トイレ!」
沙羅はほとんど悲鳴のような声を上げ、ドレスの裾をたくし上げて控室を飛び出した、真由美と陽子は顔を見合わせて唖然とした
10分後・・・
祭壇の前では、真っ白なタキシードに身を包んだ力が、スズランのコサージュを胸に輝かせ、落ち着いた笑顔で立っていた、粋な髪型を決めた力は、おとぎ話の中に出て来る王子様のように素敵だ
音々はピンクのチュールドレスで父親の隣にちょこんと立ち、フラワーガールとして花びらが沢山持った籠を腕に下げて、キラキラした目でバージンロードを見つめていた
健一も紋付き袴で、拓哉や誠達もこの後のライブのための真っ黒なスーツに身を包み、最前列に座って待っている
今や礼拝室の全員が沙羅が登場するのを今か今かと待ち構えていた
しかしいつまでたっても沙羅が現れない、観客席のヒソヒソ声がざわめきが徐々に大きくなり、真由美と陽子が慌てて祭壇に駆け寄ってきた
「変ね〜、沙羅がトイレから出てこないのよ!」
真由美が心配顔で言う
「まさか、トイレで倒れてるんじゃ・・・?」
バタンッ!「大変よ!沙羅が逃げたわ!トイレはもぬけの殻よ!」
控室のドアが勢いよく開き、陽子が叫んだ
「ええ!?」
「ええ?!」
「ええ?!」
「ええ?!」
力の目が大きく見開かれ、観客席が一気にザワザワと騒然となった
だが、力の顔にすぐにいたずらっぽい笑みが浮かんだ
ハハッ「逃がすかっ!追いかけるぞ!」
ダッシュで力が外に飛び出した、白いタキシードが春風に翻り、スズランのコサージュが床にポトンッと落ちた
その姿は、優雅なロックスターというより、大好きな女の子を追いかける少年の様だった
ワハハハ!「 やっぱりこの二人はこうでなくっちゃな!」
スターダストのライブハウスオーナーで力の親友の雄介が、太った体にパツパツのスーツを着て大笑いした
「花嫁を追いかけろ!」
「俺も行くぜ!」
「ぼっ僕も!」
「沙羅ちゃん待ってぇ~~!」
海斗が拳を振り上げ、拓哉も誠もゲラゲラ笑いながら後に続いた
キャハハッ「音々も行く~!」
「ねっ!音々ちゃん、おじいちゃんと行こう!待っておくれ」
音々がピンクのドレスをひらひらさせ、笑いながら追いかけ部隊に加わった、その後を紋付袴の健一がえっちらおっちら追いかける
「なんだこの結婚式!」
「面白すぎる!」
「捕まえる所見ようぜ」
観客達も大爆笑しながら、ぞろぞろと丘の上へとみんな走り出した、まるで町全体が沙羅と力のドタバタ劇に巻き込まれたようだった
丘の上をウェディングドレス姿の沙羅がハァハァと息を切らせて走っていた、純白のドレスは裾が泥で少し汚れ、ベールは風に煽られて乱れていたが、彼女の必死な姿はどこか愛らしかった
両手でドレスの端をつまみ、まるで逃亡中のプリンセスのように駆ける沙羅、その後ろから力が満面の笑みで追いかけてくる
ワハハハ「沙羅―――! 待て―――!」
力の声は、まるでライブステージで歌うような力強さと笑顔で満ちていた、力にとって沙羅を追いかけるこの瞬間すら、愛の冒険の一部でとっても楽しそうだ
「あなたを愛してるけど、祭壇に立つのだけは嫌っ! 過去のトラウマが蘇るのよーーー!」
沙羅は走りながら叫んだ、彼女の声は半狂乱だった、一生懸命走りながら叫んだ
「結婚式なんか大っ嫌―――い!」
・:.。.・:.。.