「さ、寝よう。また憂鬱な明日を頑張って生きようね」
ミリー。
口にしなかっただけ偉いと思いながら、私は眠りについた。
「一限目…座学ねぇ…」
一人で教室内に席を構えていた。
私と数名の生徒が早めに着席している。
「まーたこの授業?めんどー」
「分かる。昨日も一限目だったよねー」
私は最悪だった。
昨日の気の強い一人と、髪を束ねた一人が入って来たのだ。それも、存在感を増す大きな声で。
私は気配を消して俯く。
「クインテッド君は昨日はどこで受けたの?」
彼の名前を呼ばれてハッとする。
俯いていて気付いていなかったが、彼は彼女らと共に来ているようだった。
彼女の声に沈黙が返る。
「ねえ。そもそも席に座れなくない?」
「だよねー、援助してあげないといけないやつだよね」
彼は何も言わなかった。
室内の後ろの方で、派手な音を鳴らしながら着席する音が聞こえる。
「それでねー、昨日こういうことあってさー」
彼女達の話し声が始まった。
おそらく、二人は席に着いたのだろう。
彼はどうだろうか。座れたのだろうか。
振り向こうとしたが、教室内に入ってくる先生が見えた。
私は、振り向く事をやめてしまった。
「さー、席に着けー。授業始めるぞ」
辺りにはまだ着席していない生徒が、慌てて座り出す。
私の席は窓側の一人イスだった。
横に人はいない。
いや、わざわざ一人で座れる席を選んだんだ。
私はやっぱり一人でいる方がいいんだ。
それでも、僅かな心の揺れが言葉になっていた。
「寂しいな…」
その時だった。
私のすぐ傍に気配があった。
「えっ…来てくれたんだ…」
クインテッドが隣に来ていた。
「今日は30ページから始めるぞー」
先生の声が授業を始める。
私は慌てて筆を持ち、板書をする。
彼がどんな表情で、どんな気持ちで私の所へ来たのか分からない。
でも、すぐ傍に車椅子に乗った彼がいることは見えていた。
それがただ、私の心の寂しさを埋めていた。
というのも束の間。
「これで今回は終わるぞー」
鐘の音とともに、先生は授業を切り上げる。
あっという間に終わってしまった時間は、恐怖心で塗り替えられる。
私は横を向く間もなく、席を立ち、教室内から出て行った。
彼を再び置き去りにして。
「もークインテッド君。なんであっちに座ったの」
「こっちに来れば良かったじゃん」
威圧的な足音を踏み鳴らしながら、近付く二人の存在に気付いていたから。
そんな二人の言葉を最後に、私は次の教室へ向かった。
逃げるように、置いていくように。
自分だけが助かればそれでいい。
そんな事を心に抱えている振りをして、早足で進んで行った。
「もう、ほんとに嫌…」
私は校内にある自室で、いつものようにミリーを抱きしめていた。
「ミリー…聞いてよ。彼がさ…」
今日の出来事をミリーに零す。
ふかふかの毛に顔を埋めると、気持ちが幾分か楽になる。
「彼がね…おかしくなってたの」
私はミリーをベッドに置いた。
そして、デスク下の椅子を引いて筆をとる。
「今日はね…」
いつもの日記を開いて、出来事を綴っていく。
自分の脳内からそれを刻むように。
止まることのない手。
薄れていく文字。
「あれ…もうインク切れちゃった?」
筆から言葉は出なくなっていた。
「えぇ、困るよー。まだ新しい筆、用意してないんだよね…」
机の引き出しを開けて、腕を突っ込む。
気まぐれに用意していなかったか確認する。
中にあるのはくしゃくしゃになった紙ばかり。
何がどうしてこうしたのか。
そのうちの一個をとって、中身を見る。
親愛なるあなたへ
大切なものが一度でも壊れてしまったら、
もう終わりよ。
人も心も皆、同じ。
だって、修復しても痕は消えないんだよ。
外見だけ直ってても、次、傷が入ったら
中身からボロボロになってしまう。
傷は直っても、傷になった経路は消えない。
それでも、私はその傷を撫でて、
傷ごと貴方を大切にする。
詩人のなりすましのような言葉。
「これ、いつ書いたんだっけ」
誰に向けて書いたのか。
誰のために書いたのか。
何一つ覚えていない。
ただ、貴方というのが自分というのは
覚えている。
「何かをしようと思っても、失敗して尻拭いするのも自分なんだよね」
エメラルドの瞳が脳裏に浮かぶ。
クインテッド君。
彼と仲良くなりたい。友達になりたい。
同じ転校生で仲良くしたい。
そんな囁かな願いが、私の存在を脅かした。
「何も欲しがらない方が幸せでいられるのかも」
まだ止まる気のない手ごと、日記を閉じる。
その動作に意味なんてなかった。
ただ、頭を空にしたい。
無でいたい。
そんな事を考えるなと言わんばかりに、ノック音が聞こえてくる。
時計を見る。
二十一時。
こんな夜中に一体、誰だろうか。
「はーい、もしかして先生ですかー?」
私はよく消灯時間を過ぎてしまう事があった。
二十一時。
これが既に消灯時間。
それにしても、時間ピッタリに来るなんて意地悪過ぎる。
私は扉を開ける。
そこには見覚えのある姿が、座り込んでいた。
「クインテッド君…」
彼は操り糸が切れてしまった人形みたいだった。
「ちょっと、私の部屋の前でもへたり込むのはやめてよ」
彼の腕に入り込み、担ぐように立たせる。
「ほら、歩いて」
全身に覆い被さるような重さに、崩れそうだった。
それに負ける前に彼をベッドに、放り投げる。
私は急いで部屋の扉を閉めた。
コメント
1件