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『主様であれない主様』
3話 フラッシュバック
廊下に、血の匂いが広がっていた。
「っ……ハウレス!!」
誰かの声が響く。
視界の先で、ハウレスが崩れ落ちていた。
服が裂け、赤が滲んでいる。
床に、ぽたぽたと血が落ちる音。
「担架を!」
「ルカスを呼べ!!」
騒がしい声が飛び交う。
けれど――
律の足は、動かなかった。
⸻
「……」
呼吸が、浅くなる。
目の前の光景が、ぼやける。
なのに、はっきりと“重なる”。
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――違う。
これは、今じゃない。
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「……立ってろ」
低い声が、耳の奥で響く。
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視界が、暗転する。
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冷たい石の床。
鼻を刺す鉄の匂い。
誰かが倒れている。
血が、広がっている。
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「……遅い」
感情のない声だった。
振り向かなくても分かる。
“主”だ。
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「申し訳、ありません」
自分の声がする。
今よりも、ずっと低くて、従順で。
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「言い訳は?」
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「……ございません」
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沈黙。
足音が近づく。
ゆっくりと、規則的に。
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「この程度の仕事も、満足にこなせないのか」
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喉が、締まる。
息ができない。
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「……次は?」
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答えは、決まっている。
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「……失敗は、いたしません」
⸻
「違う」
即座に否定される。
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顎を掴まれる。
無理やり、顔を上げさせられる。
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「私が聞いているのは、“次はどうするか”だ」
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視線が、逃げられない。
冷たい。
底がない。
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「……命令を、いただければ」
絞り出す。
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一瞬の、沈黙。
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次の瞬間――
頬に衝撃が走る。
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床に叩きつけられる。
耳鳴り。
視界が揺れる。
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「自分で考えろ」
冷たい声。
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「考えられないなら、価値はない」
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心臓が、大きく鳴る。
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「お前は何だ」
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「……執事、です」
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「ならば、完璧であれ」
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言葉が、突き刺さる。
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「命令を待つな」
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「先を読め」
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「最適を出せ」
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「主のために、全てを捧げろ」
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息が、苦しい。
でも、逆らえない。
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「はい」
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それしか、言えない。
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「もう一度言え」
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「……はい」
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「聞こえない」
⸻
「はい」
⸻
「違う」
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静かに、囁かれる。
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「“ありがとうございます”だろう?」
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一瞬、思考が止まる。
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それでも、口は動く。
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「……ありがとう、ございます」
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その言葉と同時に、胸の奥が歪む。
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嬉しいと思った。
認められた気がした。
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――壊れていく。
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視界が、揺れる。
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「次は失敗するな」
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「はい」
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「期待している」
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「……はい」
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⸻
「主様!!」
現実に引き戻される。
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目の前には、血に濡れたハウレス。
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息が荒い。
手が、震えている。
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「……っ」
喉が、詰まる。
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頭の中で、さっきの声が響く。
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“先を読め”
“最適を出せ”
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考えるより先に、体が動く。
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「止血を優先してください」
声が出る。
冷静に。
正確に。
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「ロノ、布を」
「バスティン、固定を」
「ルカスが来るまで、圧迫を続けて」
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一切の迷いなく、指示が飛ぶ。
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完璧な対応。
誰も逆らわない。
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なのに――
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「……違う」
小さく、呟く。
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これは、命令じゃない。
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ただの、“最適”。
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“主様”の言葉じゃない。
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「……俺は」
震える声。
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「これしか、できない」
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血の匂いの中で。
その言葉だけが、やけに重く落ちた。
3話 おわり
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