テラーノベル
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熱い。暑い。身体中が痛い。体に力が入りにくい。
でも、なぜか足だけは動く。
朝のはずなのに、外はまるで夕方のように暗かった。
少し進んだ先には、地面にパタパタと人が倒れていた。
私の足はすくんでしまった。
皮膚が焼けて爛れた人、家が崩壊して柱の下敷きになる人。
その先には、燃えている家。
あちこちからは、呻き声や泣き叫ぶ声。
まるで、別の世界のようだった。
私がまだ歩けることさえ、この状況においては奇跡のようだった。
澄子は、あの場所で待ってくれているのだろうか。今も私を待ってくれているのだろうか。
「どうか無事であって……!」
床には砕けたガラスや、折れた木が散らばっていた。
大きいもの以外、私は気にせず踏みしめた。
空き地。さっきまであった音と明るさは、もうどこにもなかった。
「……澄子?」
『ここで待っておく』と言ったあの優しい姿も見当たらなかった。
「……ああ、澄子。ごめんなさい……!」
私はその場に崩れ落ち、泣き叫んだ。
「今どこにおるん?何しよるん?怪我はない?」
誰もいない空き地に尋ねた。
当然、答える人はいない。
その時。
『気ぃつけて』『学校終わってからじゃよ?』
私の脳内で、今朝の会話がよぎった。
「お父さん、お母さん、お姉ちゃん……!」
呼びたい名前が、ひとつに決められなかった。
でも、私は駅の方に走った。
駅の方面が、より被害が大きいから。
「お父さん、お姉ちゃん……!」
二人が無事であることを祈りながら、私は全力で走った。
辺り一面、火と煙で覆われていた。
だが幸い、橋は無事だった。
川が交わるところにある橋、相生橋。
その付近がとても酷かった。
相生橋はどこからでもよく見えた。
私はお父さんとお姉ちゃんを探したけど、橋の付近にいた人は、誰が誰か、わからなかった。
それに、今どこにいるのかもわからないから、お父さんとお姉ちゃんが無事かもわからない。
私は燃えた街を睨みながら、踵を返した。
「お母さん……!」
今度は買い物に出かけたお母さんを探した。
駅からは逆方向だった。
まだ爆心地から離れているから、きっと見つかる。そんな甘い考えで、ひたすら走った。
「お母さん、いる?返事して!!」
私は叫びながら走った。
小さな小さな希望を胸に抱きながら。
私は商店街の方面に走った。
すると、見覚えのある服が見えた。
「……お母さん!」
私は駆け寄った。やはり、それはお母さんだった。
しかし、お母さんは、近くに植えられていたであろう、木の下敷きになっていた。
「お母さん、お母さん!私だよ、千鶴子!」
私はお母さんの耳元で叫んだ。
自然と涙が流れた。
私が涙を流したと同時に、空から雨が降ってきた。
私が手のひらで雨を受け止めると、黒かった。
黒い雨。見たことも、聞いたこともなかった。
黒い雨は、街や地面、お母さんや私のことまで黒く染めた。
私はお母さんのそばに膝をついた。
「お母さん……」
呼びかけても、返事はなかった。
わかっているはずなのに、わかりたくなかった。
私は、お母さんの手をそっと握った。
もう、温もりはほとんど残っていなかった。
「ねぇ、お母さん……」
言葉の続きは、うまく出てこなかった。
頭に浮かぶのは、今朝の光景。
笑い声と、あたたかいご飯の匂い。
あれが、最後だったなんて——
「……澄子」
ぽつりと、名前がこぼれた。
澄子は、今どこにいるんだろう。
お父さんは。お姉ちゃんは。
会いたい人の名前が、次々と浮かんでくる。
でも——
ひとつに決められなかった。
私はただ、何度も何度も、名前を呼んだ。
届かないとわかっていても、呼び続けた。
空を見上げると、黒い雨が降り続いていた。
あの朝と同じはずの空は、もうどこにもなかった。
やわらかな光に包まれていた、あのひだまりも——
もう、どこにも。
「……お母さん」
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エルザベス兼加藤生物さん
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