テラーノベル
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「そうだ。ペイン公は、僕の言葉を信じたいと言ってくれた。だが……状況証拠があまりにも、僕に不利すぎた」
セレノの声は、消え入りそうにかすれた。
ウィリアムもまた、ランディリックの視線を受け止めるように顔を上げる。
その瞳には昨夜からの苦悩が深く沈んでいた。
「……俺は、殿下のお身体が反応しているのを見て……〝殿下が無理矢理ダフネを手籠めにしようとしている〟と……そう、誤解してしまったんだ」
「違う!」
セレノが震える声で否定した。
その叫びがヴェールの中で反響し、すぐに小さく消える。
「僕は彼女に触れるつもりなんか……! でも、あの体勢になってしまったら……どう説明すれば……」
胸元を押さえるセレノの指がかすかに震えている。
悔しさ、恥、怒り、悲しみ、そして――恐らくはダフネと血の繋がったリリアンナへの恋情。
それらすべてが、彼の中で渦を巻いていた。
「もちろん殿下の話を聞いて……今は俺だってそう信じたいと思っている。だが――」
昨晩この部屋へ乗り込んだのはウィリアムだけではない。
配下の者たちも一緒だった。
そうして部屋へ入り、あの惨状を目の当たりにした中で、セレノが婚前交渉を厭うマーロケリー国の皇太子セレノ・アルヴェイン・ノルディールだと知っているのはウィリアムだけ。他の者たちにしてみれば、北の辺境に住む自国民――落ちぶれた侯爵家の三男坊セレン・アルディス・ノアールに過ぎなかった。
いくらセレノが誤解だと言っても、状況がそれを許さなかった。
「昨夜お前と一緒に殿下の部屋へ乗り込んだ人間は何人だ?」
ランディリックは全てを話さずともそれを理解してくれたらしい。
苦々し気に落とされた声音に、ウィリアムが唇を噛む。
「部屋前に待機させていた衛兵を含め、四人……」
一人ならば何らかの方法で口を塞ぐことは可能だったかもしれない。だが、複数人ともなると不可能だ。
ランディリックはしばらく沈黙していたが、やがて静かに口を開いた。
「殿下。……貴方が悪いとは言いません」
セレノが驚いたように顔を上げる。
ウィリアムも息を呑んだ。
「優しさは、美徳です。ですが――状況を誤れば、易々と他者に利用される脆さにもなる」
その声音は冷たい。だが、決して責める響きではなかった。
「今回の件……最も罪深いのは、殿下の純真に付け込んだ〝あの女〟です」
室内の空気がわずかに震えた。
ウィリアムが喉を鳴らし、セレノの肩が小さく跳ねる。
ランディリックはゆっくりと立ち上がった。
その紫水晶色の瞳は氷のように澄んでいたが、瞳の奥に宿る光は炎のように熱い。
「話はすべて理解しました。――では次に聞くべきは、あの女の言葉です。殿下をどのように貶める〝言い訳〟をするか、お手並み拝見といきましょう」
ウィリアムが顔を強張らせ、セレノは息を詰めた。
「……ランディリック卿……まさか」
「殿下があの女に会いたくないお気持ちはお察しいたします。ですが、対峙しないままでは何も解決しません。――ウィリアム」
名を呼ばれたウィリアムは、微かに震える息を吐いた。
「――呼んできてくれるか? 今回の件の黒幕、ダフネ・エレノア・ウールウォードを」
その決定はあまりに静かで、あまりに絶対だった。
「僕の前で……そして殿下の前で、すべてを語らせましょう。嘘をつけば――その舌ごと、引きちぎってやる」
ウィリアムは、その言葉に血の気を引かせながらも……ゆっくりと、必死に頷いた。
「……分かった。呼んで……くる。けど……いくらお前だって、俺の屋敷で刃傷沙汰は許さないよ?」
彼が部屋を出ていくと、静寂のヴェールの内側にさらに深い緊張が降りた。
セレノは椅子の端で小さく拳を握りしめた。
「……ライオール卿。僕は……どうすればいい?」
ランディリックは小さく吐息を落とすと、「あの女が入って来たら、殿下のことは侯爵家三男坊セレン・アルディス・ノアールとして扱います。そのつもりでいてください」と告げた。
ランディリックの胸の中には目の前にいるセレノ皇太子殿下のことよりも、ただ、リリアンナを守るためにどう動くべきか。それだけしかない。
そのためにも〝真実〟を知る必要があるのだ。
「その上でどうしようもできない場合もないとは言い切れません。……殿下も、ある程度は腹を括っていただきたい」
――生かすにせよ、殺すにせよ、リリアンナを傷付けることだけはさせない。それだけがランディリックにとって確かな事だった。
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