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「すっかり涼しくなってきたねぇ」
秋色に移り変わって久しいメニューを丁寧に拭き、次の来客に備えテーブル席を整えているバーテンダーに、常連客の男が声をかけた。
その声に応じるように、バーテンダーは常連客の方へと顔を向けた。
すると、そこでは、イヌ族らしい人懐こい笑顔を浮かべた常連客が、椅子から垂らした茶色の尾をゆるゆると左右に振っていた。
そんな常連客にひとつ微笑むと、純白の毛色にダークグレーの柄を交えた艶やかな毛並みを持つそのバーテンダーは、自身の長く太い尾を揺らしては言った。
「そうですね。夜は特に――」
― Drop.001『 Recipe choice〈Ⅰ〉』―
「はぁ……。そろそろ夏も終わりかぁ。寂しいなぁ」
今度は駄々をこねるような様子で尾を振りだした常連客に、バーテンダーは変わらず微笑みながら問う。
「夏。お好きなんですか?」
常連客は、少しはしゃいだ様子で頷く。
「そう! 俺、夏が一番好きなんだよねぇ。――桔流君は? 夏、好き?」
“桔流”と呼ばれたバーテンダー――宝利桔流は、常連客の問いに、エメラルドグリーンの瞳を揺らがせる。
そして、少し考えるような様子で顎に手を添えると、
「う~ん。そうですねぇ……」
と言い、軽く首を傾げた。
その右肩では、伸ばされた後ろ髪を結って作られた小ぶりな三つ編みが、ゆるりと揺れる。
そんな桔流は、少し考えた後、
「夏……。――僕は……、少し苦手かもしれません」
と、苦笑しながら言った。
すると、ほろよい気味の常連客はふにゃりと笑い、言った。
「あはは。そっか~。――まぁ、桔流君は、夏より冬が似合うもんねぇ」
「ふふ。そうかもしれません」
桔流は、優しく微笑む。
そんな桔流に対し、常連客が“冬が似合う”と言ったのは、桔流がユキヒョウ族の獣亜人だからだった。
桔流達のように、耳や尾など、身体の一部にのみ獣の名残を残し、二足歩行で生活し、言葉でコミュニケーションを図りながら文明を発展させてきた者達は、生物学上――“獣亜人族”と分類されている。
その獣亜人族の先祖達は、かつて、“ユキヒョウ族は、その祖先となるユキヒョウの獣族達と”――といったように、四足歩行で暮らす獣亜人族の祖先――“獣族”のうち、各々と近しい遺伝子構造を持つ獣族の生息地で共に暮らしていた。
しかし、時代と共に獣亜人族の文明が発展してゆくと、科学の力により、どの地域でも、それぞれの体質に合わせた居住環境を作り出せるようになった。
また、そんな獣亜人族たちが、時代と共に種を越えた子孫繁栄をも行ってゆくと、彼らの遺伝子構造にも変化が起こり始めたのだった。
そして、その変化は、獣亜人族達の体質にも変化を及ぼす事となり、現代の獣亜人族ともなれば、たとえ、祖先が暑さに弱い種族であっても、真夏の外出も問題なくできる――といったように、より一層、居住環境に縛られない体質を手に入れていったのである。
その結果――。
獣亜人族達は、祖先の性質や生息地に囚われない暮らしができるようになり、現代では、誰もが、どの土地でも快適に暮らせるようになった。
それゆえ、ユキヒョウ族である桔流も、祖先の故郷からは程遠い、――夏は暑く、冬は寒い、四季折々の気候が巡る瓊本の首都、――祷郷が、出身地かつ現住地なのである。
「――あ。秋の新メニュー。召し上がってくださったんですね」
そんな都会育ちの桔流は、先ほどの常連客が食している一品が今秋の新メニューだと気付き、嬉しそうに言った。
常連客は、はにかみながら頷く。
「うん。やっぱり季節限定のメニューは見逃せないからねぇ。――今年のも全部美味しいよ~」
「ふふ。有難うございます。お口に合いましたようで嬉しいです」
桔流が首を傾げて微笑むと、常連客はまたふにゃりと笑う。
「へへへ。こちらこそ。――お腹も心も喜んでるよ~。――あ、それと、雑誌も!」
「あ。雑誌の方も見てくださったんですか?」
桔流が尋ねると、常連客は更に上機嫌になって言った。
「もちろんだよ~。目の保養にもなるし、桔流君が表紙の時はつい買っちゃうんだ~。――今月号も変わらずかっこよかったよ~」
桔流は、そんな自身への称賛にも嬉しそうにすると、首を傾げるようにして笑み、礼を述べた。
「ふふ。そちらもご贔屓にして頂いて、ありがとうございます」
桔流の本職はバーテンダーだが、兼業の雑誌モデルとしても大いに活躍している。
それゆえ、桔流は、バーで働いている際にも、“雑誌を見た”――と言って、モデル業に関する話題を振られる事も多かった。
そんな桔流が、その日も幾人目かの常連客との談笑を終え、テーブルフロアからカウンター内へ戻ろうとした、その時。
桔流はふと、足を止めた。
(あれ……)
そして、とあるテーブル席をちらと見やる。
(まだ来てないのか……)
そのテーブル席には、黒髪の男が座っていた。
その男は、艶のある漆黒の毛並みをもつクロヒョウ族の獣亜人であった。
顔は随分と整っており、体格はがっしりとしている。
実は、そんな人目を引く一人客の男は、入店時、――“後から連れが来るかもしれない”と申し出た客であった。
そのため、その申し出を踏まえた桔流は、男を敢えてテーブル席に通したのだった。
しかし、男がそうして席につき一時間ほどが経過した今も、男の云う“連れ”とやらは現れていないようである。
とはいえ、当の本人に動じた様子はなく、店の入り口を伺う様子もなかった。
テーブルに置いたスマートフォンこそ、たまに確認する事はあったが、それ以外は酒に口をつけつつ、読書にふけるのみであった。
(まぁ、あの感じなら気にしなくても大丈夫か。――元から遅れる予定だったのかもしれないし……)
そして、一度は気になったものの、男のその様子から改めて心配無用と判じた桔流は、温かなキャンドルに照らされた金色の瞳を記憶の隅に残しつつ、バーカウンターへと向かった。
桔流がカウンター内に入ると、バーの店長――仙浪法雨も、店の奥からカウンター内に入ってくるところであった。
二人はそこで、何気ない挨拶を交わした。
「――アラ。お疲れサマ。桔流君」
「あ、法雨さん。お疲れ様です」
そんな店長の法雨は、オセロット族の獣亜人で、生物学上は男性だが、普段から女性を思わせるような口調と仕草で振る舞っている人物だった。
それに加え、中性的な外見の美人である事や、レモン色にダークブラウンのメッシュカラーを交えた艶髪を、女性スタイルのショートヘアに整えている事もあってか、たまに女性に勘違いされる事もあるほどで、――その魅惑的な外見は、店の繁盛をも支えている。
その性格はといえば、まさに姉御肌といったところだ。
「――さて、と」
そんな法雨は、桔流と挨拶を交わすなりひとつ呟くと、カウンター内で屈み込み、そのまま棚の中の備品や酒類の在庫確認を始めた。
桔流は、同じようにしてその法雨の隣で屈み込むと、やや小声で言った。
「あの、法雨さん」
「ん? なぁに?」
それに何気なく応じ、桔流の方へ顔を向けた法雨は、すぐに目を細めると、手に持っていたクリップボードを立てては口元を隠しながら言った。
「ヤダ、ちょっと……。愛の告白なんて受けられないわよ」
「違いますよ」
桔流はそれに半目がちに抗議すると、クリップボードを自身の方に倒すようにして続けた。
「愛の告白じゃなくて、――さっき、俺がご案内したクロヒョウ族のお客様の事なんですけど……。――あのお客様のお連れの方って、まだいらしてないですよね……」
一度は心配無用と判じたものの、桔流はやはり、あの一人客の事が気になっていたのだ。
桔流が尋ねると、法雨は再び在庫確認を続けながら何気なしに答える。
「あぁ。そうみたいねぇ」
「やっぱ、そうですか……」
しかし、桔流が気にかけているのを察すると、法雨は再び作業の手を止め、桔流に視線を合わせて言った。
「桔流君。――随分あのお客様の事を気にしているようだけど、野暮な詮索はしない事よ。――アタシ達は、美味しいお酒とお食事、そして十分なサービスをお客様にご提供するのがお役目。――お客様の私情にアタシ達が勝手に首を突っ込むのは……?」
「――要らないお世話」
「そう。ご名答。――よくできました。偉い偉い」
桔流の満点の回答を受け、法雨は満足げに桔流の頭を撫でた。
そして、優しく続ける。
「――桔流君のそういう優しいトコロはアタシも好きだけど、ヒトは皆、まずは自分の力で立ち向かわないといけない壁もあるの。――そして、アタシ達の手助けが必要な時は、お客様がアタシ達を頼るよう、運命が勝手に仕向けてくれるものなのよ。――だから、あのお客様にとって、アタシ達の助けが必要なら、否が応でもそういう流れになるから。その時が来たら、――その時は、全力で助けて差し上げなさい。――ね」
「――……はい」
法雨の言葉に納得はしているものの、その正義感からか、桔流はどうにも心の整理がつけられずにいた。
そんな桔流が、なんとか自分の心に整理をつけようとしている事をも察した法雨は、その様子に苦笑しつつ、桔流の髪をまたひとつ撫でた。
それからしばらく経った頃――。
次第に賑わいも落ち着き始めた店内を見やりつつ、桔流がカウンター内で仕事をしていると、あのクロヒョウ族の男が近場のスタッフを呼びつけた。
様子を見るに、会計をするために呼びつけたようだった。
(相手、結局来なかったんだな……)
法雨の言葉に従い、できるだけ気にしないよう努めていた桔流だったが、
(これだけ待って来ないとか、流石に落ち込んでんじゃ……)
と、男の心を案じてしまい、会計を済ませる男の様子をさり気なく伺い見た。
そして、小さく安堵の息を吐く。
会計を担当したスタッフに“ごちそうさまでした”と言った男の顔には、爽やかな笑顔があったからだ。
(あぁ。なんだ。良かった。――心配する必要、本当になかったな)
そんな男の笑顔に安堵した桔流は、
(――きっと、相手の仕事が遅れただけとかで、この後、別のとこで会うんだろうな)
と、何となく温かな気持ちになりながら、手元へと視線を戻した。
その後――。
男の会計を担当したスタッフがそのまま別の客のオーダーに回ったので、桔流は一度手を止め、あの男が座っていたテーブルを片付ける事にした。
その途中。
桔流は、男が座っていた座席の隣の椅子に、光沢感のある瑠璃色の紙袋が置かれている事に気が付いた。
その小ぶりな紙袋には、ブランド名と思しき〈B-tail Bless〉という銀色の文字が、上品に印字されている。
(――〈B-tail Bless〉……)
それは、ファッションアイテムや化粧品のみならず、ジュエリーでも大変有名な大手ブランドの名であった。
「――……」
その名と紙袋の様相に、何となく嫌な予感がした桔流は、汚さぬようにしながら手早く袋の中を確認した。
すると、その上品な紙袋の中には、落ち着いたデザインながら、高級感漂う包装が施された――“小さな包み”が入っていた。
(これ……)
桔流は、その包みを見るなり、焦燥感が湧き上がってくるのを感じた。
それに弾かれたようにテーブルから離れると、桔流は、先ほど男の見送りをしたスタッフのもとに向かう。
そして、手早く男が向かった方向を聞き出すと、急いで店を出た。
店から飛び出すなり、桔流は足早に繁華街を辿り、男の姿を探した。
しかし――、
(――遅かったか……)
すでに人気の少ない時間帯だというのに、店からやや離れた通りまで来てみても、男の姿を見つける事はできなかった。
「マジかよ……」
桔流は、思わず心の音をこぼす。
そして、やや乱れた呼吸を落ち着かせると、今一度袋の中を見て溜め息を吐いた。
(――このサイズ……やっぱ、指輪だよな……)
上質な紙袋の中に佇むその包みは、どう見ても指輪――、あるいは、小さな高級品が入っているとしか思えない様相をしていた。
(クソ。もう少し早く気付けてたら……)
悔しい気持ちを抱きながら、桔流は今一度周囲を見回す。
だが、やはり男の姿は見当たらない。
(はぁ……。これだけ探してもダメなら、これ以上は意味ないな……)
時刻は零時を過ぎていた。
桔流はそこで、ついに男の捜索を断念すると、後ろ髪を引かれながらも一度店に戻る事にした。
「――どうだった?」
桔流が足早に店に戻ると、スタッフから事情を聞いたらしい法雨が尋ねてきた。
「すいません。見失いました……。――あの」
「ん?」
そんな法雨にひとつ詫びると、桔流は次いで、紙袋を丁寧に差し出した。
「これ、多分、指輪か何かじゃないかって思うんですけど……」
法雨も、その紙袋を丁寧に受け取る。
そして、そっと袋の中を確認すると、ふむと呟いた。
「確かに、これはそうかもしれないわね……」
しかし、すぐに明るく笑うと、
「――でも、大切な物ならちゃんと取りに来るわよ。――取りにいらっしゃるまでは、お店で大切に保管しておきましょ」
と、言った。
だが、対する桔流は、未だ明るさを取り戻せぬ様子で頷いた。
「はい……」
法雨は、そんな桔流を励ますように言う。
「ふふ。お疲れ様。――大丈夫よ」
――自分の発見が一歩遅かった事で、男にこの品を手渡せなかった。
その事実に気落ちしているらしい桔流の心情を察し、法雨は優しく続ける。
「たとえ、お渡しできなかったとしても、アナタは素晴らしい判断をしたわ。桔流君。今日は本当にお疲れ様だったわね。――さ、ちょうどいい時間だし、アナタは一度休憩してらっしゃい。――ね」
そんな法雨の励ましに、
「はい。有難うございます……」
と、やはり元気なく一礼した桔流は、未だしょぼくれたままの心を抱え、休憩をとるため更衣室へと向かった。
その間。
(――もし、アレが本当に指輪だったら……、これから会う相手にプレゼントする予定の指輪だったって事だよな……)
桔流はひとつ考え、更に憶測を転じてゆく。
(指輪の贈り物――。もしも――)
もしもあの男が、今夜、“一世一代のイベント”を迎える予定だったとしたら――。
(そんなめちゃくちゃ大事な瞬間に、指輪を忘れたなんて事になったとしたら……――)
「――はぁ……」
(どうか、そんな悲惨な事にはなりませんように……)
その晩。
桔流は、そうして男の無事を切に祈りつつ、拭えぬ自責の念と共に、妙に静かな夜を過ごした。
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